「大統領のケーキ」は、イラク人監督ハサン・ハーディの長編デビュー作。何だか豪華で美味しそうなタイトルだが、1990年代のイラクが舞台だから話は厄介。そう、当時の大統領は言わずと知れたサダム・フセイン。悪名高き独裁者の現役時代のケーキともなれば、甘い話ではなさそうだ。
映画は、そのフセイン大統領の誕生日の2日前、4/26から始まる。やけに細かい設定だ。…ってことは、あのフセインの誕生日は4/28で星座は牡牛座だったのか…。牡牛座の知り合いには●●と◆◆がいるけどもしかして独裁者気質だったりして…などと、頭の中がいきなり俗な妄想で暴走気味。一方で、実在した人物の歴史の1コマを背景にピンポイントでスタートを切れば、映画は自ずとドキュメンタリー色を帯び、早くも只ならぬものを目撃する予感しかしない。そこに期待を裏切らぬ見事なオープニングが待っていた!
爆音を轟かせながら上空を戦闘機が飛行する中、川べりの給水所に集まった人々は、わずかの水を求めて大混乱にある。たったバケツ一杯の水を配給するにも、大統領の名を冠するとは呆れるが、なるほど独裁政治とはこういうことか―。そもそも大統領が無謀に始めた戦争で孤立しているのに、人々の暮らしは物資不足が常態化し、まともな食べ物も手に入らない。腐ったトマトさえ買えなかった極貧の婆さんと孫のラミアは、夕暮れの美しい川面に小舟を走らせ、家路に着こうとしている。対岸では炎が燃え盛っているが、取り立てて騒ぎ立てないふたりからは、空襲の日常化もたやすく想像できる。そうだった…イラク軍のクウェイト侵攻が国際的に非難され、国連から経済制裁を受けていた報道はよく目にしていた。あの時の状況をイラク国民側から見た絵が、このオープニングなのか。35年の時を経た今、ようやく他者を想像するための補助線に巡りあえるとは―。
まず単純に、中東と聞いて砂漠しかイメージできない無知な私に、舟が移動手段になっている生活者たちのドラマは、それだけで新鮮に映った。幼くして両親を亡くした9歳のラミアは、イラク南部の広大な湿地帯の川べりで、祖母と雄鶏のランディと共に暮らしている。葦で編んだ小屋で寝起きし、ランプの灯を頼りに舟上で宿題をこなし、貧しくても誇り高い婆さんの教えに従い信仰心は厚く、もちろん学校も舟を漕いで登校。勉強もお手伝いも一生懸命なラミアの姿に、ついホホが緩む。
―が、学校ではフセイン政権によるガチガチの愛国者教育が行われており、教師による子どもたちへの恫喝は日常茶飯事。特に今朝は、”大統領の誕生日を祝うための係”を決める恒例のクジ引きの日だ。もし選ばれてミッションが果たせなかったら、通報されて家族ともども身に危険が及ぶらしい。それにしても、国民総出で自分の誕生日会を開かせるなんて、なぜ独裁者の発想はこれほど幼稚なのだろう。しかも、権力者におもねる取り巻きたちの保身が幼稚化に拍車をかけ、国民は監視・弾圧社会の中で黙って従うよりほかに道はない。ラミアはケーキ係に、親友のサイード少年は果物係に抜擢されてしまい、ああ無情だ。
しかし、普段の食事もままならないのに、どうやってケーキの材料を揃えられる?最低限必要なのは卵と小麦と砂糖。そこで翌日、婆さんはお金に交換できそうなモノを用意し、ラミアとランディを連れて、ヒッチハイクでバグダッドへ向かう。陽気な郵便屋さんに乗せてもらった車中では、戦時下での人々の悲喜こもごもを想像させる小さなスケッチが盛り込まれ、なかなか魅せる。いついかなる時でも場所でも、人間をタフにするものは、日常生活の中にあるようだ。
街へ到着。ところが婆さんの実際の目的は、ケーキの材料集めではなく、ラミアを養子に出すことだった。持病のある婆さんが、孫の将来を考えて下した決断とはいえ、婆さんとの今の生活を変えたくないラミアは、雄鶏のランディを連れて咄嗟に逃げ出す。いくら未成年だって、なんの相談もなく勝手にじぶんの人生を決められちゃあ、やってられない。外では独裁者が、学校では先生が、家では保護者が支配する毎日に、自分の判断で風穴を開けた形にも映る。面白い!
こうなったら、以前の生活を取り戻すためにも、自力でケーキの材料を見つけるしかないと覚悟を決めたラミアは、無謀な賭けに出る。毎週父親の手伝いで(なんとスリ💦)街へ来ているサイードを見つけ出し、ふたりプラス一匹で、ミッション遂行のために駆けずり回るのだ。そしてこの先映画は、おとぎ話の体裁で進むのだが、童話につきものの残酷さの部分を、子どもたちの目を通した独裁政権下に巣食う大人たちの狡猾な振る舞いで描いて行くため、試練の肉付けがリアルで終始ヒリヒリ。すっかりのせられ、「マジか!」の連発となった。
砂糖のために体を売ってくれた妊婦との出会いがあった。卵は重労働と交換でゲットした。父の形見の時計を売って偽札をつかまされ、小麦だけは盗むしかなかったものの、なんとかお宝3品をコンプリートできたかと思ったら、サイードとケンカになったり、相棒のランディが鶏屋に連れられてしまって恐ろしい思いをしたり…と一難去ってまた一難だ。さらにケーキチームのB面では、孫を探し回る婆さんと、それをフォローする郵便屋さんのエピソードが随時重奏されて進み、観客は1990年代のイラクの圧政の日常をしかと体感する。警察は無論、病院でさえも安心が担保されない想像を絶する理不尽な社会では、ささやかな子どもの知恵と勇気だけでは乗り切れないが、それでも映画はこのおとぎ話を、最後の最後まで人工甘味料を遠ざけて着地させる。
ラミアは、過酷な地獄巡りを終え、婆さんの遺体と共に家路へ着く。生きて再び会うことがかなわなかった孫が、弔いの時間に何を思ったかは、我々が想像するしかない。翌朝は、打って変わって大統領の誕生日である。さらにお祭り騒ぎの校内に、突如空襲警報が鳴り響き、爆撃が始まるではないか。ハレとケの狭間で、もはや何を信じ、何を拠りどころにしたらいいのか誰にもわからない。
いつしかラミアとサイードは、机の下にもぐり、ふたりの日常の遊戯=まばたきゲームに興じる。これが最後になるかもしれないと思いながら、まっすぐ見つめ合う目と目。映画は永遠の友情を捉えつつ、在りし日のフセインの誕生日会の記録映像を流して幕を閉じた。そう、戦争で傷を負うのはいつも弱い立場の人々。これは終わった悪夢ではない。権力を誇った男の幼稚なプロパガンダ映像は、そのまま現在進行中の世界の断片だと警告しているのだ!
監督の子供時代の体験をもとに、演技未経験の素人を起用して描いた渾身の1作。ロングラン上映を願ってやまない。
2025年/115分/イラク・米・カタール
監督・脚本/ハサン・ハーディ
編集/アンドゥ・ラドゥ
撮影/トゥードル・ブラディミール・パンドゥル
美術/アナマリエ・テク
出演/バニーン・アハマド・ナーイフ サッジャード・モハンマド・カーセム