■『クライ・マッチョ』

穏やかな日の光を浴び、古めかしいトラックが広大な大地をゆったり走って行く。カントリー・ソングが響き渡る中、運転席に鎮座するのは、監督デビュー50周年を迎えたクリント・イーストウッド91歳。監督業40本目にして主演も務め、マイク・マイロ役に扮してみせる。

時は1979年テキサス。マイクが余裕綽々と牧場へ乗りつけ、カウボーイハット姿で降車するオープニングを目撃すれば、映画ファン(特に男子)の目頭は早々に熱くなり、思わず「待ってました!」と声をあげたくなるだろう。クリントがマイクなのか、マイクがクリントなのか…もはや本人と役柄の境界線も、現実とスクリーンの境界線も溶解し、何だかよくわかんないけどありがたい光を拝もうと手を合わせたりなんかして…ね(笑)。

考えてみたら、米国へ行ったことのない私だって、カウボーイ文化や西部劇の様式美は、すべて映画からの刷り込みでイメージしているに過ぎない。どこまでもどこまでも続く荒野の景色なんて、生涯ナマで体感することさえないわけで、わたしにとっては絵空事。なのにこの非日常のロケーションこそ、映画の日常だと承知し、郷愁さえ感じてしまうのだから、脳ミソはじぶん都合でできている。

そして、スクリーンを通じて、米国のヒーロー像を体現し続けてきたと言われるクリントもまたしかり。これだけ長い役者人生を、ある意味、思わせぶりだけで歩き通してきた事実があるのだから、映画館では彼が現実なのだ。

ところが『クライ・マッチョ』は、一瞬にして信望者たちの夢を打ち砕く。マイクはヒーローどころか牧場主でもなく、一介の雇われ調教師に過ぎなくて、しかもやる気なしの遅刻の常習者(汗)。開口一番、オーナーのハワードから解雇通達をくらい、問答無用で追い出される始末。もちろん、反省するどころか軽口叩いてどこ吹く風で立ち去るあたりも、クリント映画らしい定石ではあるが…。

とりあえず映画は、クリントの現人神化を早々と避け、”祭りの後”から始まるドラマに舵を切る。ロデオのチャンピオンだった栄光の時代をひとなめし、その後の落馬事故ですべてを失い、辛うじて住処だけはあるが今や落ちぶれ切った老いぼれだとアピール。そして、そんな孤独な老人の前に、先のハワードを再登場させ、別れた妻に引き取られてメキシコにいる13歳の息子ラフォを連れ戻してくれと依頼させるのだ。

なるほど。誘拐まがいの厄介な事案でも、恩義のある人間から頼まれたら、国境越えも辞さないのがロンサムカウボーイの美意識か。だってマイクの家は、手狭ながらじぶんの趣味が全開でさー、ぜんぜん不憫に見えないわけ。むしろ独居老人の天国みたいな理想空間だったから、彼の、”家を去り、仁義を切ろう”決断には思わず苦笑いした。そうそう、ヒーローとは不合理を直進する生き物でしたね(笑)。

先を急ごう、国境越えだ。ところが我らがヒーローは、マニュアル車をヨボヨボ転がし、野宿をしながら気負いゼロで向かう。ラフォの母親の豪邸へもゆるゆると潜入し、案の定捕まってもどこ吹く風。逆に母親の養育放棄に釘を刺したりして、まるで町内会の会長ノリだ。ご都合主義のその上を行くオレサマ展開に、笑いが止まらない。

そのうえ息子探しだってあっさり成功。ラフォは自堕落な母親の元を離れ、独り路上で生き抜いてきたらしい。両親に振り回され、大人を信じられなくなっている少年の唯一の相棒は、闘鶏用のニワトリ”マッチョ”だけ。そこでもマイクは、父親を拒むラフォに対して強い説得を試みない。爺さんとひ孫ほどの年の差があっても、孤独に向き合っている点では同じ地平に立つ身だからだ。知恵は授けても支配者ヅラしない大人との接触で、やがて少年からは屈託のない笑顔がこぼれるようになる。

というわけで、後期高齢者と未成年者とニワトリのオレサマ軍団は、父親の待つテキサスへ向かう。ここからは荒野を舞台にロードムービーのはじまりだ。

ところで、お察しの通りここが映画の一番のメインディッシュとなるはずなのだが…およそチャージがかからない。サボテンをかじったり…リオグランデ柄のジャケットを買い込んだり…車を盗まれたり&盗んだり…と、終始のんきな旅日記調。いちおう、母親が放った追手の気配はあるものの、ほぼ開店休業状態。鼻っ柱の強い2人と1匹が揃っていながら、如何せん「圧」が一個もなくて、荒野が銭湯の書割りに見えてしまうほどだ。

挙句の果てには流れ着いた田舎町で、小さな食堂を営む未亡人と懇ろになり、オレサマ軍団一同、しれーっと居ついてしまうではないか!へっ?ミッションはどうした?こだわりのやせ我慢道はどこへ行った?ファイティングポーズを忘れたのか?…いやいや、何せ今回ばかりは90歳越えでの主役である(汗)。そのうえ役どころは、実年齢のひと回り以上年下の設定と推察できるので、確かに絵的に決めたくても限界がある(汗)。そこで、不自然な若作りを避けつつもそれなりの現役感を匂わせるには、男稼業で培ったテクのお披露目が最適解となるのだろう。

少年にはカウボーイキャリアを伝授し、女こどもには小マメなフォローを欠かさず、村人たちの困りごとのために親切なドクトル先生にも扮してみせるマイク。…おいおい、すっかり善人の代表か?何より目尻が下がり、昼間っから窓辺で無防備にうたた寝をしたりして、世界で一番しあわせな好々爺に鞍替えですわ。

それでもいちおう、じぶんたちが居つくと村人たちがキケンだからと竜宮城を後にし、本来のミッションへ軌道修正。取って付けたように、ゆっる~いカーチェイスをファンに用意するものの、今回のクリント=ヒーローがお披露目するのは、イキがっていたかつてのオレサマ至上主義を、前面撤回する反省の弁だ。そう、オレの二の舞にはなるなと少年ラフォを諭すくだりが見せ場となるのだ。

ラスト。国境で「困ったら来い」と愛弟子を送り出し、じぶんは踵を返し、マッチョと共にベンツでメキシコへUターン。最後までバイオレンスは封印し、一点の翳りも迷いもなく、朗らかに奏でられた91歳のクリント映画。もはや仮想敵は不要らしい。オレサマ指標は減らず口とモテと運転に集約させ、目指せ100歳!という魂胆なのね。よろしいんじゃないでしょうか。

映画という虚構の世界で実学実践者として振る舞ってきたクリントにとって、生身のじぶんを括弧で括り、ヴァーチャルな英雄像に差し替えることはできないのだろう。その代り、ニワトリに決着をつかせて大団円とは!…意表を突かれたな。唯一、筋肉の落ちた好々爺に肩パットの入った衣装だけは、見てて切なくなったが―

『クライ・マッチョ』

2021年/104分/アメリカ

監督/製作/出演 クリント・イーストウッド

脚本/ ニック・シェンク

撮影/ ベン・デイヴィス

音楽/ マーク・マンシーナ

出演 ドワイト・ヨーカム エドゥアルド・ミネット