◆NU•E、その辺りのこと 2

17回の展示は、決まったフォーマットがあったというわけではなく、その時々の考えや思いつきなどを反映し、よく言えば自由であり、実験的なものであったと言ってもいいかもしれない。
 バライタという1時間ほど水洗をしなければならない印画紙を使うこともあったが、撮影しては展示の繰り返しで毎回時間に追われていたし、前日はおろか当日朝まで暗室をすることもあったから、水洗の簡単なRC印画紙を使うことの方が多かった。その場合、額装はせず、紙の上下にピンナップ用の余白を残し左右は裁ち落としにして虫ピンで止めた。
 四切の印画紙を壁に張り巡らせたときは、ヨコ位置を基本としセレクト、タテ位置のイメージはよりトリミングは必要となるが、印画紙2枚に露光し、ヨコ位置中心の展示のなかに混ぜたりした。また、ロール印画紙だけで構成した際は、10点も展示できなかった。展示した総数を正確に数えることは、今となっては不可能だが、カラーコピーなども駆使して一度に2、3百点を飾ったこともあるから、1000枚前後になるのだろうか。
 1年に4回、撮り下し、などということはいまではもう体力、気力がついていかないし、モチベーションも必要性も感じない。当時は当たり前に思っていたことが、いつのまにか当たり前ではなくなるということか。逆ももちろんあって、いまでは当たり前のことが、昔は当たり前ではなかったのだ。
 1995年の川崎市市民ミュージアムでの「another reality 現代写真の動向」展という企画展は、あたかもNU•Eの中間報告のようなものとなった。当時、サブカメラとして結構頻繁に使用していた6×6サイズは、ロール印画紙に焼き付け、35ミリは全紙にプリントした。展示下総数は77、8枚だったと思うが、100点くらい焼いた。すべて自家プリントだった。それを業者にカット、裏打ちしてもらって、裁ち落としのイメージで展示した。6×6はガラスのネガキャリアで周辺を入れて、フィルムの黒縁までプリントした。余白の全くない裁ち落とし(黒縁も絵柄なので裁ち落とし感覚)なので、虫ピンは裏打ちのボードの厚みにサイドから斜めに打ち付けた。
 額を使うこともなかったわけではないが、なぜだかプリントが剥き出しの方が好きだった。保護という意味でもガラスなりアクリルなりが間に入った方がいいのだということは理解できるものの、ピンナップの気軽さは捨てがたい。あくまで好みなので、絶対に、どうしてもという程ではないし、写真によってというよりむしろ場所によって、額の方がいいと思えることも多くなった。03はあくまで自分の場所で、自分が見るために作ったようなところもあって、そんなところなのだから、ふだん自分の写真を見るように飾りたいということだったのだろうと今は思う。

03FOTOSにて・1996年3月

川崎市市民ミュージアムでの展示・1995年−96年

◆NU•E、その辺りのこと 1

 NU•Eというタイトルで撮り下しの写真展を続けていたのは、1992年の終わりから1997年にかけてのことだった。03FOTOSという当時自ら開いていた場所で17回にわたった。03FOTOSはギャラリーとしての活動は、90年の10月から2001年の11月までだから、メインの展示だったといまになって思う。
 NU•Eに限らず、撮り下しは写真を発表していく常態だった。とりわけその頃は何を撮る、などと決めて撮影していたわけでもなかったので、来場者からテーマは何かと問われても答えるのが面倒くさかったし、特に撮りたいテーマが言葉にしてあるわけではなかったし、そういうことを最初に訊ねる風潮もつまらなかったので、心の趣くまま、視線の戯れるまま、いろんな物事を撮って詰められる箱的な言葉が必要だった。
 これは何度かインタビューなどで記事になっていることなのだが、フォトセッション(86-87)というグループの集まりの際に、写真を見てもらっていた森山大道さんに「君の写真はヌエみたいだね」と言われたのを、どうしたものか忘れがたく覚えていて、これはいいタイトルをもらったとばかりに使うことにした。英字にしたのは、ひらがなだとお腹に力が入らない感じで心許なく(95年の『日本カメラ』での連載では「ぬ•え」とした)漢字だと鵺、鵼となり、重たすぎるし読めない人もいるだろうから、初めから間口を狭めてしまう気がして避けた。アルファベットというのは意味と距離を置ける気がしたし、言葉であって言葉を断裁するような多重さを伝えやすかったように思ったのだろう、また多少のカッコ付けや案内状のデザインのしやすさやなども手伝って、とにかくNU•Eという表記でスタートしたのだった。
 17回の内訳は、92年の12月が最初で、93年、94年、95年は年に4回、96年は3回、そして97年に約一年振りに17回目を「ラストラン」と称して行っている(95、96年あたりから写真集を考え始め、ラストランは写真集の発売と同時であったので、新作ばかりではなく、写真集からのダイジェストという要素もあった)。
 最初のうちは写真集にあまり興味が持てなくて、撮り下しで展示をすることがとにかく面白かったのだが、95年に川崎市市民ミュージアムの「現代写真の動向/another reality」に参加したり、96年に石内都さんと「main」という雑誌を作り始めたりして視野が広がったり、印刷物の面白さや有難みがようやく分かったせいもあったかと思うのだが、おそまきながら写真集を作ることになった。編集作業はなにせ枚数が多いので難儀を極めたと記憶している。展示した写真は、カラーコピーやロール印画紙などというイレギュラーなものを含めなくても優に数百点はあった。当時はネガ現像をし、ベタを取ってそのままセレクト、半切や全紙や大全紙にプリントしたので、バイテンの試しプリントがなく、それに写真集がバイテンよりもイメージサイズが大きかったこともあり、大四つに焼き直したりした。現在であれば、あのような労力は不要なのかもしれないが、20年も前のことである。部数は1300、当時の自費出版物としては多かったかと思う。2冊目を作るなど考えもしなかったので、唯一の写真集なら一生かけて売っていけばいいという気持ちだったのだろう。

■『ヒッチコック/トリュフォー』

年の瀬に、まさかこ~んなにとっておきの贈り物が届くとは!

映画に魅せられた人々が通過儀礼のように読みふけり、愛してやまない本がある―『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』だ。1962年、新進気鋭のフランス人映画監督フランソワ・トリュフォーが、30歳以上も年の離れたサスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックに熱烈なラブコールを送り、50時間に及ぶインタビューを実現させ、4年後、映画史に残る伝説の一冊を世に送り出した。そして、“あなたが世界中で最も偉大な監督であると、誰もが認めることになるでしょう―”と、トリュフォーが宣言した通り、完成したインタビュー本は各国で翻訳され、ヒッチコックを唯一無二の映画作家であり、真の芸術家だと世界中に知らしめすこととなったのだ。  

はい、もちろんわたしの本棚にもデーンと鎮座している。1988年頃かな…上前津の古本屋で購入して以来、何度紐といたかわからない。デカくて場所をとるのに(汗)、未だに手放す気にはなれませんね。シネフィル(映画狂)でなくても、ヒッチコック作品を未見の人でも、誰が読んでも文句なく楽しめる1冊である。そんな至宝が、出版されて50年経た今、なんとドキュメンタリー作品に衣替えし、再び我々の元に届けられることに―。実際の動画記録は残っていないものの、貴重なインタビュー音源や対話時の写真が公開される一方で、名だたる現役映画監督10人が登場し、本から受けた影響や、作り手側からのヒッチコック礼賛が事細かに語られるという贅沢な構成である。監督はケント・ジョーンズ。まったく君はエライよ!

さてここからは映画の具体的な感想を記しておこう―。まず本では、対談と写真で構成された一作品ごとの解説(制作秘話)が、映画では実際の映像を見ながら目と耳で確認できるわけで、インパクトはやはりデカかった。当時の本としては写真資料が画期的に多く、それゆえ映画の教科書として重宝されただろうが、そりゃあホンモノの動くシーンを例題で用いた方が手っ取り早いにきまってる。ただし、本の忠実な映像化だけでは、すぐに見飽きてしまっただろう。受け手の想像力が喚起されないまま流されてゆくだけの、単なる映画鑑賞ガイドでお役目終了だから。つまり本は、動くメディアを静止させ、映画作品を原初の姿(連続撮影)で並べたからこそ、ヒッチコックの大胆な手法が明らかになった―と、映画化によって逆に教えられる結果となったのだ。
また一方で、本の構成を新たに組み替えて、映画向きのUPテンポのリズムに編曲してお披露目している演出が、実に楽しかった。本には出てこない2人の個人史を組み入れたり、本の一節にマーカーを引っぱったり、撮影現場の様子や販促写真の活用など、めくるめく多彩なコラージュで敷居を下げ、専門性より好奇心に薪をくべて進行する。観客心理に絶えず目配せしたヒッチコックを紹介するにふさわしい仕立てだ。意外な作品がバッサリ割愛されていたりもするが(汗)、それもまた一興。むしろどんなにランダムにつなぎ直しても、一つずつのパーツの磁力が強くて求心力はまったく揺るがない。何を見てもちょっと怖いくらい、ヒッチコック・タッチが漂い出てくるのには心底驚いた。それでも監督冥利に尽きただろうなあ…。師の本で学んだテクを、師の胸を借りて駆使できたのだから―。それに、インタビューに応じた現役監督の豪華な顔ぶれから察するに、これほどの人選が可能で、映画史に踏み込める仕事が許されるのだから、きっと映画からも愛されている人に違いない。トリュフォーは映画を1本撮る構えで準備し、インタビューに臨んだというが、そんな50年前のパッションが今こうしてK・ジョーンズ監督に継承され、再燃している事実に胸を打つのである。でもって、現役監督たちが、夢中になってイイ話をするの!映画の中に、本の形式を入れ子細工的に挿入させているのだが、誰もみな映画少年魂を全開にするとともに、 “映画とは何だ?”という命題と向き合う同業者ならでは思考が垣間見られて、目が離せなかった。私が一番ハッとしたのは、黒沢清のコメント―作家性でいうと極端にはじっこにいる人―だ。“映画は観客のもの”が大前提で、観客にいかにウケるかを目的に映画技術をフル活用した作家が、誰よりも異端なクリエイターだという一見矛盾するような話…、でも確かにそれこそが、ヒッチコックなのだと共感したのだ。

ここで私個人のエピソードも書き加えておこう。私がティーンエイジャーだった70年代後半は、映画はテレビで見るものだった。映画と言っても、オリジナル作品からは程遠い、ザクザクに短縮された吹替版だ。ヒッチコック作品も、かつてヒットした映画がお茶の間に流れる形で頻繁に目にしていた。その後、本格的に映画に興味を持ち始め、80年にイギリス時代の秀作2本立て―『バルカン超特急』(38)と『逃走迷路』(42)を、ようやく劇場で目撃したときは興奮したなあ…。娯楽映画だし…などと悠長に構えていられるスキ間は一ミリもなく、映画そのものが迷路と化し、身体ごと映画内に引っ張りこまれる感覚を味わったものだ。しかも亡き父とふたりで見た最初で最後の映画なのよね―。やがて『映画術』との出会いである。タイミングよく、レンタルビデオ店の大盛況時代だったから、入手できるソフトを片っ端から借り、読んでは見て&見ては読んでを繰り返したっけ(笑)。特に『めまい』(58)に関しては、いつもの素早い展開が姿を潜め、なぜこれがミステリアスなのか、いまいちピンとこなくて、本を読んでようやく男性心理とファム・ファタールを結びつける映像マジックが理解できた記憶がある。本作でも厚みを持たせて追跡しているが、ジェームズ・スチュアート演じる主人公の落胆と歓喜が交差する表情を、スクリーンいっぱいで再見するのはかなりの特典!男性客は文句なく感情移入してしまうだろう(笑)。

そして最後に、本も映画も触れていない注目ポイントを追記しておこう。ヒッチコック映画が今も艶っぽく輝いている理由は、ヒロインのビジュアル設計にある。特に忘れちゃならないのが衣装だ。先の『めまい』をはじめ、『汚名』『裏窓』『泥棒成金』『北北西に進路を取れ』『鳥』etc…ヒッチコックがハリウッドへ渡ってから手掛けた多くの傑作で、あの“ドレス・ドクター”イディス・ヘッドが衣装を担当しているのだ。彼女は、ヒッチコックが理想とする女性のイメージ“昼間は上流階級の洗練された淑女でありながら、寝室に入ったとたんに娼婦に変貌する女”を、カンペキに具現化!衣装によって、セリフ以上に雄弁にヒロインの状況を物語り、映画のマジックを補強する役割を見事にこなしていたのだ。そんなイディス女史の仕事ぶりに感嘆したわたしは、かつてイラストと文章で備忘録にまとめた経験がある(汗)。20数年前に作ったそのファイルは、いま見返すとかなりこっ恥ずかしい代物だが、目の付け所だけは今もさして変わらず(進化していない証拠でもあるが)…。そう、ヒッチコックの映画作りの極意は、わたしのような一映画愛好家の視座にも多大な影響を与えた。さらに言えば、本作を眺めながら、脈々とつながる映画史の末端に、じぶんも机を置いて在籍しているような、そんな幸福感に包まれたのだった。あー、しんぼうたまらん(汗)。レンタル屋に足を向けなくなってずいぶん経つが、DVDでいいから、あのとんでもなく優美なハッタリ世界の数々を、今すぐ見直したい!

「めまい」

『ヒッチコック/トリュフォー』

2015年/仏・米/カラー/80分

監督/脚本    ケント・ジョーンズ
ナレーション マチュー・アマルリック
音楽     ジェレマイア・ボーンフィールド

キャスト  マーティン・スコセッシ
       デビッド・フィンチャー
       黒沢 清

◆石原さんのこと

 ちょうど1年ほどまえ(2015年12月上旬)、ベトナムから帰国して帰宅した瞬間に電話が鳴ったので、しかもそれがツァイトフォトサロンの石原さんだったので、よく覚えているのだが、ふだんから携帯もろくに着信に気づかないのに、そのタイミングの絶妙さに南国帰りのムードは弾けとび、師走の東京モードに戻されて背筋がピンと伸びた。用件は、預かっている猫の写真、これぼくの部屋に飾りたいから譲ってくれないか、ということだった。2年ほど前に、初期のモノクロをまとめて見せて欲しいと言われ、そのまま預けていたのだった。ネコ、と言われても、瞬時には思いつかなかったのだけど、というより複数のネコ写真があるのではないかと思ったのだ。その後、プリントを撮影した画像が送られてきて頭の中でいちばんに思い浮かべた一枚と一致したものの、当時は毎回ネコを展示するくらいによく撮っていた。
 「春は曙」というタイトルで3回連続の個展をやったときのプリントだった。1989年当時のいわゆるヴィンテージというもので、仕舞いっ放しになっていたものをセレクトするのに開けたときには、その不器用さというかヘタさというか、我ながら呆れてしまったものである。とはいえ、紙が現在入手可能なものと全然違うし、ネガの濃さも相当で、どうあがいても今となっては焼きようがない出来の代物だった。ヴィンテージという言葉くらいは知っていたものの、価格の設定などまともに自分でしたこともなかったし、なんとなくバラバラにしたくなかったこともあって、即座には返事することはできなくて、結局そのまま気にしていたものの値付けはおろか、諾否すらはっきりさせることもしなかったのでウヤムヤになってしまったと思っていた。暮れに石原さんが入院したことを知ったのは、年が明けてからだった。思えばその電話のときの声も、かすれ気味で力のないものではあったけれど、口調がいつも通りだし前向きさがにじみ出ていたので、あまり気には止めなかった。
 イルテンポも含めると片手では足りないくらいの個展をさせていただいた。写真で食べていくなどということが想像だにできなかった時代に、プリントをいとも簡単にお金に換えていくように見えた石原さんはマジシャンのようでもあった。自主ギャラリー時代にも、写真を購入してくれる奇特な方がゼロではなかったものの、値段の付け方が違っていた。写真ってこんなふうに売っていいんだと認識を新たにもした。それまでの写真とのスタンスが変わるわけではなかったが、別のスタンスがあり、いろんな立場を駆使してみなやっていっていることを知れたのも大きかった。どうせ1回か2回でお終いだろうと思っていたら、けっこう続いて、イルテンポとツァイトフォトの同時展示の予定が決まりかけていたとき、イルテンポの和子さんが倒れられたので、それは叶わなかったが、その時の閉廊の素早さは印象に残っている。
 書き出せばキリがないのだけれど、こんな拙い文章のきれぎれの断章よりも遥かに石原さんの声が甦ってくるような本が出版されたので、その紹介を少し。ツァイトのスタッフを一時期やっておられた粟生田弓さんが著した『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト•フォト•サロン』(小学館、2016)。事実よりも真実が迫ってくる。と書くと語弊があるが(内容が事実でないというのではない)、石原さんの語りを元にしているため、どうしても記憶違いとか思い出せないこととかもあったろうことは容易く想像できる。それでも相当に準備をしてインタビューした(された)と推察するが、また石原さん特有のブラウ(というか洒落、ダンディさか)までが再現されていて、そのあたりへの注意深さも怠りなく、とくに前半のパリを中心としたあたり、深く聞き、丹念に甦らせ、さらに裏付けて、西洋写真の入口ともいえた時代の雰囲気を伝えている。

■エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に

本作は、ビルボード5週連続1位を記録し、1979年を駆け抜けたあの大ヒット曲、ザ・ナックの『マイ・シャローナ』で幕を開けるが、お笑い番組「アメトーーク!」とは何の関係もない。しかしこの映画を「アメトーーク!」以上に笑えるとしたら、あなたは間違いなく50歳以上の男子だろう(笑)。いや、もしかしたら、笑いながら鼻の奥をツーンとさせてしまうかもしれない…。いずれにせよ、“定年からの逆算”なーんていうチマチマしたことを考えているヒマがあったら、今すぐ劇場へ。さあ、愛すべきバカ野郎どもがとぐろを巻く世界へLet’s GO!だ。

『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』(なっが!)は、1960年生まれの監督、リチャード・リンクレイターの自伝めいたドラマになっているという。いちおうそういう触れ込みだが、そんな背景などどうだっていい。極めて単純なお話だ(苦笑)。冒頭、カー・ステレオから流れるマイ・シャローナをBGMに、錦織 圭似(!)の主人公ジェイクが愛車に乗って登場する。もちろん彼の視線は車窓越しに花開く女子たちのBODYに一直線だ。我らがジェイクは天国へ降り立った!地元を離れ、今から大人のとば口=大学生活が始まろうとしているのだ。ここで監督は、さらに映画を一筆で単純に記そうと、テロップを出して時間軸を見える化する―1980年8月28日 新学期まで3日と15時間―とカウントダウン表示。これは、時間の流れの中に「生の感触」を散りばめて差し出す、リンクレイターの十八番と呼びたいダンドリだ。さて、この勢いで期間限定のショータイムが始まるのか、それともその先の新学期に焦点を当てるのか…。判然としないまま、我々も太陽がやけに眩しく輝く南東テキサス州立大学に釘付けとなる―。

野球推薦で入学したジェイク。まずはお気に入りのレコードを抱えて野球部の寮に意気揚々と到着だ。ところが名門野球部の先輩たちはクセ者揃い。シャレにならないようなイジワル歓待を浴びせるが(汗)、受けるジェイクもキョトンとするだけの鈍感ぶりで、ノープロブレム。そうだった、舞台は1980年のアメリカだった。何せ、映画俳優が第40代大統領になってしまう鷹揚(?)な時代のお話なのだ。よく見れば、新人を茶化す絵には身に覚えがある親和性を湛え、逆に「なぜあの頃はあんなじゃれ合いが成立してたのかなあ…」と、ツイ釣られて我が身を振り返ってしまった。茶化す方も茶化される方も役割をわきまえ、「ごっこ」で場を温め合うコミュニケーションがまだ通じていたのだ。でもって、野郎どもは早々に新人を引き連れ、女子寮を冷やかしに車を走らせる。シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」を大合唱しながら、車窓から女子のケツ…いや、お尻等を品定めするシーンの感動的なバカっぷりに、私は早くも涙が出そうになった。いやー、映画でさえ、もはやこんな見事なナンパ絵、拝見できるものじゃございません。一体あの手の男たちはどこへ行ったのか?対する女の子側も手慣れたもので、ヒマなら相手してあげてもいいわよ風にあしらいスイッチのON&OFFが明快。やるなあ~。男女ともに、後腐れないナンパの極意(?)が初期設定されていた時代だったということか。そして、ここからどんな展開が待ち受けるのかというと…実はこれだけなのである(汗)。昼間は野郎同士でグダグダに戯れ、夜はナンパに全力投球するだけ。見事に何もない。ではいったい勝因はどこにあるのか―。

一言でいうと、これといった目的が何もないままの状態で、映画をずっと動かし続けたということ―これに尽きると私は思う。例えば野球部の主なバカ野郎メンツは12人。ギャンブル狂、口説き屋、精神世界好き、田舎者、妄想癖、ピッチャー嫌いetc…と、どいつもこいつも与太話とそれに付随するアクションによって濃厚な痕跡を残すキャラなのだが、それだけで収まってもいない。顔と名前を覚えようにも全然追いつかないほど、奴らを画面に出たり入ったりさせるところがミソなのだ。とにかくジェイクの入寮日から、たかだか3日半のスケッチなのに、一体どんだけ盛ったら気が済むんだあ~と、半ば呆れるくらい取り留めのないエピソードを小刻みにつなぎ、ある種のグルーブ感をもたらしている。しかも悪乗りには節度があり、むしろカラっとした無常観をもったいぶることなくスクリーンに立ち上らせ、ちょっと意外なほど奥行きがあるではないか!そう映画は、体育会系の瞬発力と文学的な趣きの両刀使いによって、すべての生の瞬間を、観客と分かちがたく結びつけるのである。一見ラフに映るが、なかなか緻密な演出なのだ。

そして新学期を明日に控えた3日目。待ちに待った本作の“結びの一番”が顔を出す―野球部の自主トレである。すっかり忘れかけていたが、奴らは選ばれし野球エリートだった(笑)。オシャレしてディスコへ繰り出し、カントリー・バーではラインダンスに興じてみせ、場違いのパンクLIVEへももぐりこんだりしていたが、最後にようようじぶん十分になれる場所=グランドへたどり着いたというわけだ。まあ、このくだりのカッコいいこと!自主トレとはいえ、互いの手の内を初めてオープンにするお手並み拝見の場で、先輩どもが風格の違いをまざまざと見せつけて、新人たちをノックダウン。実力がモノを言う世界の洗礼を浴びせつつ、また同時に、チームのことを考えないプレイヤーはさらに最低との烙印も押す。散々奴らを分け隔てなく笑ってきたからこそ、プライドのぶつかり合いを目撃したときの感慨はひとしおだったなあ~。改めて、野球の輝きが何によってもたらされるのかを垣間見るようで、私には忘れられないシーンとなった。

しかして最後はまたまたドンチャン騒ぎ♫ スポーツ雑誌『Number』みたいな美談余韻でシミジミさせるのではなく(笑)、野球部みんなで水遊びに呆けて夏休みが終わる。ただし、先に与太話とナンパ以外は何もないと書いたが、大切なものがありましたよ!バカ野郎どもの頭の上には、いつも極上の“青空”があったのだ。どこまでも広がる青空の下での記憶…。なるほど、これが過ぎ去った後でしかわからない、青春っていうやつの正体かもしれない―。

『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』
2016年/米国/カラー/117分

監督/脚本 リチャード・リンクレイター
撮影   シェーン・F・ケリー
音楽監修 ランドール・ポスター
     メーガン・カリアー
キャスト ブレイク・ジェナー
     ゾーイ・ドゥイッチ 

●イーグルス『ホテル・カリフォルニア』

ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した。2016年後半のニュースにおける大きなトピックスと言える。今年に入りデヴィッド・ボウイやプリンスが逝去し、音楽の分野においては悲しい話題ばかりだった中で、ディランのニュースは明るい話題と言えるかもしれないが、なんとも微妙な感じがしないでもない。現行の下手な小説家や詩人よりディランの方がよっぽど文学的だし、そういう観点に立てば、アリなのかもしれないが、いまだディランもノーベル賞の運営側に連絡していない現状を思うと、本人も腑に落ちていないのかもしれない。

ディランの心中をこっちが勝手のあれこれ想像していても大きなお世話なので、ディランの文学性についてつれづれに書いてみようかなと思ったりしたのですが、ディランの詞にさほど反応してきていない自分にはたと気付いたのです。おや、これじゃタイムリーな話題について書けないじゃないかと久しぶりの話題かと張り切って書こうと思ったところで出鼻を挫かれた感がありますが、その前に気付けよと自分に突っ込む所存です。

で、話題を変えてイーグルスです。唐突にイーグルスの名前が出しましたが、何を話題にしようかというと、名曲「ホテル・カリフォルニア」の歌詞について書こうと思ったのです。なぜかというと、アメリカン・ロックにおいて「ホテル・カリフォルニア」の歌詞はもっとも優れた文学性を備えた曲だと思っています。たぶん、この曲を知る人は誰もが納得するはずです。

まずは歌詞を全文掲載します。

On a dark desert highway, cool wind in my hair
Warm smell of colitas, rising up through the air
Up ahead in the distance, I saw a shimmering light
My head grew heavy and my sight grew dim
I had to stop for the night

There she stood in the doorway
I heard the mission bell
And I was thinking to myself
‘This could be heaven or this could be Hell
Then she lit up a candle and she showed me the way
There were voices down the corridor
I thought I heard them say

Welcome to the Hotel California
Such a lovely place (such a lovely place)
Such a lovely face
Plenty of room at the Hotel California
Any time of year (any time of year) you can find it here

Her mind is Tiffany-twisted, she got the Mercedes bends
She got a lot of pretty, pretty boys, that she calls friends
How they dance in the courtyard, sweet summer sweat
Some dance to remember, some dance to forget

So I called up the Captain
‘Please bring me my wine
He said, “we haven’t had that spirit here since nineteen sixty-nine
And still those voices are calling from far away
Wake you up in the middle of the night
Just to hear them say”

Welcome to the Hotel California
Such a lovely place (such a lovely place)
Such a lovely face
They livin’ it up at the Hotel California
What a nice surprise (what a nice surprise), bring your alibis

Mirrors on the ceiling
The pink champagne on ice
And she said, ‘we are all just prisoners here, of our own device
And in the master’s chambers
They gathered for the feast
They stab it with their steely knives
But they just can’t kill the beast

Last thing I remember, I was
Running for the door
I had to find the passage back to the place I was before
‘Relax’ said the night man
‘We are programmed to receive
You can check out any time you like
But you can never leave!

夜の砂漠のハイウェイ 涼しげな風に髪が揺れて
コリタス草の甘い香りがあたりに漂う
はるか遠くに かすかな光が見える
俺の頭は重く 目の前がかすむ
どうやら 今夜は休息が必要だ

ミッションの鐘が鳴ると
戸口に女が現れた
「ここは天国か それとも地獄か」
俺は心の中でつぶやいた
すると 彼女はローソクに灯をともし
俺を部屋まで案内した
廊下の向こうで こう囁きかける声が聞こえた

ホテル・カリフォルニアへようこそ
ここは素敵なところ(そして素敵な人たちばかり)
ホテル・カリフォルニアは
いつでも あなたの訪れを待っています

彼女の心は紗のように微笑み メルセデスのように入りくんでいる
彼女が友達と呼ぶ美しい少年達はみな恋の虜だ
中庭では人々が香しい汗を流してダンスを踊っていた
想い出のために踊る人々 忘れるために踊る人々

「ワインを飲みたいんだが」と
キャプテンに告げると
「1969年からというものワインは一切置いてありません」
と彼は答えた
深い眠りにおちたはずの真夜中さえ
どこからともなく
俺に囁きかける声が聞こえる

ホテル・カリフォルニアへようこそ
ここは素敵なところ(そして素敵な人たちばかり)
ホテル・カリフォルニアは楽しいことばかり
アリバイを作って せいぜいお楽しみください

天井には鏡を張りつめ
氷の上にはピンクのシャンペン
「ここにいるのは 自分の企みのために囚われの身となってしまった人達ばかり」
と彼女は語る
やがて大広間では祝宴の準備が整った
集まった人々は
鋭いナイフで獣を突くが
誰も殺すことはできなかった

最後に覚えていることは
俺が出口を求めて走りまわっていることだった
前の場所に戻る通路が
どこかにきっとあるはずだ
すると夜警が言った
「落ち着きなさい われわれはここに住み着く運命なのだ
いつでもチェックアウトはできるが
ここを立ち去ることはできはしない」
(山本安見訳)
 

改めて読んでみると、霞がかった幻惑の光景のようにも見えてきます。そもそも「ホテルカリフォルニア」なるホテルが存在しているのだろうか? このホテル自体が一人称で語る「俺」が見た夢かあるいは妄想のような気すらしてきます。

歌詞はOn a dark desert highwayという言葉から始まりますが、そこから異界へと誘われていく印象を与えます。デヴィッド・リンチの映画『ロスト・ハイウェイ』の冒頭のような闇夜を疾走するイメージとも重なります。あるいは、ハイウェイを彷徨うところは『イージー・ライダー』の無頼なバイカーたち(ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー)の姿を想起させます。広大なアメリカのハイウェイを走りながら、果てることのない地平線を視界に収めていくうちに、延々と同じ道を走っているのではないかという錯覚にも陥っていそうな気分が伝わってきます。

広大なアメリカの荒野、というイメージはアメリカという地で生きる人々にとって根の深い原風景として存在しているように思えてきます。例えばジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』はタイトル通り「道」が舞台であり、そのケルアックが文章を寄せているロバート・フランクの写真集『アメリカンズ』にも同様の感性が反映されているように見えます。アメリカで生きることは、長い道の上で歩み、その先にある見果てぬ風景を延々と見つめることで、一種幻視にも近い感覚を持つのではないでしょうか。

「コリタス草の甘い香りがあたりに漂う」という件を読むと、コリタス草とあるが、他の葉っぱの隠喩では……と邪推してしまいます。その香りに導かれるように霞んだ目の先に浮かび上がるように見えてきた建物が「ホテル・カリフォルニア」だった…という展開はやや安易のような気もしますが、そこはまあ置いておきます。

「ここは天国か それとも地獄か」と内心つぶやく件がありますが、自分が立っている場所が不透明であり、そんな目の前の光景を疑っていることを想像させます。

なぜ彼は、眼前に広がる光景を素直に受け入れることができなかったのであろうか…。この歌詞にある状況を鑑みたとき、この語り手である男は酩酊していたか、疲労が頂点に達していたのか、あるいはドラッグの副作用なのか、いずれにしても神経は昂ぶり、精神的な圧力を受けていたのかもしれないと察します。

「ホテル・カリフォルニアへようこそ」という女性の囁き声に促され、ホテルの中で繰り広げられる饗宴を眺めるが、その姿にはどことなく倦怠感が漂っています。想い出を作るために踊り、あるいは過去を忘れるために踊る人。音楽が人の記憶に刻まれ、かつての光景を呼び覚ます。刹那的な快楽に身を委ね、その時間だけ俗世間を忘れ、没我の境地に至る。ここにかつて音楽が導いたはずの自由と楽園への理想が憧憬をもって描写されているように思えます。

そして、ワインを注文するも「1969年からというものワインは一切置いてありません」と言われる一節は、この曲の歌詞の中でも、とりわけ象徴的な一文になっています。英文では「spirit」という単語で「酒」を意味していますが、これは「精神」とのダブルミーニングで掛けていることは有名なので言及しません。1969年、ニューヨークで大規模なロック・フェスティバルが開催されました。いわゆるウッドストック・フェスティバルです。愛と平和をテーマにして、掲げた理想を実践したフェスと言えます。この背景には当時最中にあったベトナム戦争が影響していますが、同時に音楽が持ちうる愛と理想の力はこの時が頂点であり、その後、ロックミュージックは資本経済における商品として消費されるようになっていきました。つまり、音楽が持つ純粋なその力は、1969年を境にして失われていったこと指しています。

そして「自分の企みのために囚われの身となってしまった人達ばかり」が集うホテルであることを女性に言われ、男は逃げだそうとします。しかし、夜警に「われわれはここに住み着く運命なのだ。いつでもチェックアウトはできるが、ここを立ち去ることはできはしない」と決定的な言葉をかけられてしまいます。

自分の企みのために囚われ、チェックアウトはできるが立ち去ることはできないとは、どういうことであろうか? このホテルは一体誰がなんの目的で経営しているのか? 勝手な想像(妄想)をさせてもらうと、ホテル・カリフォルニアなる建物は存在しない。アメリカの路上を自動車で走る男が幻視した光景であり、あるいは死んだことに気付かずに足を踏み入れた黄泉の国ではないだろうか。

最後に覚えている光景は自分が出口を求めてホテルの中を彷徨う姿である。つまり、彼は今もこのホテルに滞在していることを意味している。それは彼にとって幸福なのか不幸なのか、それはわからない。しかし、男が何か企みを抱いていたからこそ、逃れられずに出口を探し続けているのであろう。

男の企みとは一体なんだったのか? それはこの歌詞を書いたドン・ヘンリーにしかわからないのかもしれません。

あ、そういえばメンバーのグレン・フライが今年の1月に亡くなっていたんだ…。
合掌。

■彷徨える河

アマゾンの密林が舞台のモノクロ映画『彷徨える河』。とりあえずアマゾンと聞いて、私のお粗末な想像力ですぐに浮かぶ設定は、<先住民族VS侵略者の攻防史パターン>と、<科学で解明できない自然神への崇拝パターン>の2つだけ。だから「結局はそのどちらかに収まるだけで、さして目新しくもないんじゃねーの?」と期待は薄かった。ところがフタを開けたら、想定内に関わらずベラ棒に面白い!2つのパターンを両方盛り込んでなおかつ、娯楽映画の胸騒ぎをキープ。ずーっとワクワクし通しだった。

ではその勝因は何か―。まずは肉体の説得力だ。先住民族唯一の生き残りとして、開口一番に登場する青年カラマカテ。カメラは彼を足元から舐め、ふてぶてしくて剛毅な面構えを捉え、ほぼ全裸に近しい後ろ姿までイッキに撮り切る。たかだか数分のファーストショット、だが速攻、我々の意識はアマゾンへ持っていかれる!ツイさっき食べたランチのことも、急ぎで返信しなきゃならないメールのことも、すべて抹消。呆けたようにスクリーンに注視するだけの状態になるのだ。カラマカテ、お前は一体何者だ?大ぶりな首飾りと腕に巻き付けた羽、股間のみ覆う紐パンに、手には長~い棒を持つ男。自前の筋肉そのものが衣服のように映え、それも“隆とした身なり”ってヤツにまで昇華しているではないか。素人目ながら、ゴールドジム+プロテインの筋肉とは違うのよ…もっと粋筋なのよ!と思わず口走りそうになった。そう、すっかり映画のマジックにノせられ、梯子を外されたわけだ。

で、ビジュアルの次に吸い寄せられたのが対話である。これまた勝手な思い込みなのだが、未開の地への探検ドラマとなれば、コミュニケーションが図れないのが前提となるはずだが、ここでは冒頭から対話が花盛り。意表を突かれた!ある日、不治の病に侵されたドイツ人の民族学者テオドールと、先住民族出身の案内人マンドゥカが、カラマカテの呪術を頼りに来訪。白人侵略者たちへの恨みが根深いカラマカテは、一度は拒絶するが、唯一の治療薬となる植物“ヤクルナ”探しの旅へ同行することになる―。はい、そうです、奇妙な組合わせの3人がカヌーに同乗し、大アマゾンを移動するロード・ムービーの体裁となるのだ。民俗学者だから言葉の壁がないのだろうけど…話が早いね(笑)。しかも先住民族の言語(一体何語?)が、コロコロと鳴り響く魅力的なイントネーションで、イチイチ耳に心地よい。音声素材を表現に取り込めるのも映画のマジックを強める一手だと痛感した。もちろん旅の途中の会話の中身がこれまた上等!モノに執着するテオドールを「正気じゃない」と諫めたり、「雨の前に魚を食べてはダメだ」など禁忌を連発してハッとさせたリ、妻への愛を手紙に綴るテオドールを可笑しがったりと、映画はカラマカテを通じてカルチャーギャップを提示し、科学的進歩に疑問を投じるくだりとするわけだが、カラマカテの知恵者ぶりが心技体を熟成した果ての簡素な美しさで迫ってくるため、くすぐりにもったいぶった匂いが感じられない。やがて警戒心をほどき合い、会話を重ね、互いの意見と人格を整理しながら静かに信頼関係を育んで行くプロセスに、私はメロメロになった。

そして映画には、もう一つ大きな仕掛けが用意されている。20世紀初頭の3人の旅と並行して、それから数十年後の老いたカラマカテの現在が挿入される。そのお姿は、枯れてなお鳶の頭のような風貌で、藍染の半纏でも羽織らせたらとびっきり似合いそうだが、時を経て記憶を失くし、孤独の淵にいるらしい。そこへ欲深く不眠症のアメリカ人植物学者が現れ、全てを忘れて無(チュジャチャキ)になったカラマカテを誘い出し、再びヤクルナ探しの旅に出掛けるシークエンスが描かれるのだ。

ネタバレになるのでここには記さないが、過去の3人旅がこの先どういう末路を辿るのか?…河べりに舟を乗り着ける度に遭遇する悪夢の連続に終わりは来るのか?…ヤクルナは見つかるのか?…テオドールたちとの交流は?…等々、その後の2人旅からも同時に過去の出来事の行方を推察することになり、我々は聖なる植物を巡って突き進む2つの時間に絡めとられる。そこには、河の流れと呼応した出口が見えない欲望深き横の展開と、ジャングルから天空に向かって縦へ縦へと伸びるシャーマンの精神世界が出現し、やがて驚くべき結末へとジャンプする。ケレン味たっぷりに描かれる、聖と俗がせめぎ合うスケッチの数々…そのどれもが夢見るようであり、繰り返される弱者の悲劇を予感させるようにも映る。

交錯する2つの旅は、共に病に苦しむ知識人が一方的にカラマカテに接近して始まるものだった。なんやかんやと理屈を並べても、行き詰まった合理主義の果てに尚、使えるものは出涸らしになるまで使い切ろうとの魂胆が透けて見える残酷な設定である。しかし、映画はラストで安直な二項対立劇をうっちゃり、命さえない世界を覗かせた。カラマカテから何と刃を向けた相手へバトンをつなぎ、スクリーンをカラーに一変させ、我々をコイワノ族の末裔に化けさせる幕切れの鮮やかなこと!お~っ、こんな大風呂敷ならどこまでも広げていただきましょう。私は未だに梯子を外されたまま、宙吊りの中にいる―。

彷徨える河 (2015) コロンビア・ベネズエラ・アルゼンチン合作 モノクロ124分
監督:シーラ・ゲーロ
撮影監督:ダビ・ガジェゴ
脚本:シーロ・ゲーラ
ジャック・トゥールモンド
キャスト:ヤン・ベイブート 
ブリオン・デイビス

■ラサへの歩き方 ~祈りの2400Km

 チベットの小さな村、カム地方マルカム県プラ村に暮らす村人たちのお話である。現地に赴き、監督が意図した物語に近しい村人を探し、本人役で演じてもらおうという設定だ。脚本はないがこれもフィクション。しかもこの地で、この人たちでしか成立しない豪快なフィクションに仕立て上げ、大いにウケた!

 チベットのことだってよく知らないのに、プラ村って言われても…何のことやらである。名前は可愛いらしいけどね(笑)。しかし、映画に関する私の持論の一つに、知らないことが多ければ多いほど、むしろ“ラッキー!”という考えがある。未知の世界を垣間見せてくれて、しかもそれが想像をはるかに超えたトンデモない代物だったら、これ以上の喜びはない。そう私は、映画(虚構)と承知しつつ、それでもなお「世の中は宝の山だよ、ビバ人生!」と、思わず膝を打つような企みを、スクリーンの前で絶えず待ち望んでいるのである。

 そこで改めてプラ村のみなさんですが…、期待以上のチームワークを見せてくれて素敵すぎる! まず冒頭で綴られる、彼らの日々の暮らしの充実ぶりに、早くもヤラれましたね。チベットの生活スタイルは、これまでに何度も映像等で目にはしているが、手仕事の豊かさが全方位に展開されていて、じっとしていられなくなる。「一緒にやらせて!」と願い出たくなるのだ。そもそも自然の分量が圧倒的に多い地で、その恩恵を利用しながら地域性の高い営みが継続している光景を目にすると、高度に都市化した我が生活がクリーンかつ便利であってもひどく脆弱に思えるのは、今に始まったことではない。そのうえ、そうやってちょっと立ち止まって経済優先の現代社会を憂いてみせる自己浄化のそぶりすら(なんと特権的な!)、もはや賞味期限切れになって久しいわけです、はい(苦笑)。そんな中、本作にすぐさまノレたのは、プラ村のスケッチにまどろっこしさがないからだ。テクノロジーの進化を後ろめたく思うこともなければ、人類学者を気取って観察に終始する必要もない。食事、家畜の世話、ご近所づきあい、お茶と談話、冬支度、夜なべ、買い出し、そして祈りの時間…と、映画は村人たちの様々な生活の断片を普段通りに映し出す。でもって、意外にも呆れるほどサクサク掻い摘んで進み、抒情性に傾かない。賛美目線をあえて避けている節さえある。またその一方、同じ村に住む複数の家族をクローズUPし、相互の関係性を浮かび上がらせながら綴るため、私とプラ村との距離は瞬く間に縮まり、親密感が高まるという心憎いダンドリなのだ。さてそんなスケッチを見せた後、映画はいよいよメインイベントへ舵を切る。彼らはチーム・プラ村(!)として結束し、大掛かりな巡礼の旅へ向かう―。

死ぬ前にどうしても聖地ラサを訪れたいと願う老人が発端となり、若者に、幼い少女に、さらには妊婦までもが名乗りを上げ、4家族総勢11名の巡礼の旅が始まる。その行程は、まず村から1200km離れたラサへ赴き、さらにそこから1200km先の聖山カイラスを目指そうというものだ。ただしここが肝心なのだが、歩くだけでも過酷な道のりを、何と 両手・両膝・額の五か所を地面に投げ伏して祈る“五体投地”で敢行しようというのである。その厳粛な礼拝方法は、話には聞いていたが…途中でチラっとやるだけじゃないのね。全行程だったのね(汗)。いやー、あの動きを連続して行うには、腕・腹・背中の筋力が相当ないとポシャるわけで、想像しただけでも気が遠くなった。一応対策グッズらしきものを手作りで用意するのだが、両手のクッション板と、革製の長いエプロンを装着するだけでおしまい。そのいでたちは、なんだか『13日の金曜日』のジェイソンみたいでイカつい(笑)。ただ、マスクを被るジェイソンと違い、彼らは額を直に地面につけて祈り、生傷を物ともしない。いやはや、ホラー映画を越えるスゴ技だ。とにかくいちいち「マジかよ?」の連続だから、見ようによっては、すべてが合理的だったり科学的であろうとする現代社会への反骨とも取れたりするのだが…これまた意外にもそんな路線へ向かわない。では何に魅せられるのかというと、彼らの心の根っこがずーっと安定したままで、何ら揺らがない部分なのだった。

移動とハプニングは、映画に最もふさわしい仕掛け。1年あまりかけて成し遂げる異色の巡礼ロード・ムービーだから、ある意味、何を盛り込んでもとびっきりの絵になる。絶景シーンの連続はもちろん、旅の途中で出産はあるわ、落石に水害に大雪に交通事故と、チーム・プラ村は大忙しだ。だけど面白いのは、ハプニングによる変化感ではなく、何が起ころうと慌てず騒がず、鷹揚に構える彼らの身の処し方だった。スペシャルな旅プランであっても、冒頭で映し出された普段の生活のリズムを、そのまま行く先々で繰り返すチーム・プラ村。極めつけは、目と鼻の先までたどり着きながらお金が足りなくなり、2カ月間みんなで和気藹々とバイトしてから、再び出発するくだりだろう。なんとも贅沢な寸止めの時間に羨望の念を禁じ得なかった。そう、私は大きな勘違いをしていた。我々にとっては破格の行為でも、彼らにとってはあくまで日常の延長なのだ。家財道具持参で移動してるしね(笑)。だからちゃんと彼らの理には適っていて、むしろ実用性と合理性の兼ね備わったアクションだと考えるべきなのだ。そして何より、彼らは遥か上空の世界と祈りを通じて堅く結びついている!日々の生活とは真摯に向き合い、かつ、人間世界から遠く離れた地平ともつながって戯れるなんて…。これ以上シンプルで力強い動機づけなど他に思いつかないではないか―。

 五色の祈祷旗タルチョが舞うカイラス山に到着した一行は、最後の最後にまたも思わぬ事件に遭遇する。しかし、それさえ穏やかに丸ごと受け止めて自然に返す村人たち。その姿は、天空の下、すべてが一つの輪につながったように映り、実に雄大だった。私は思わず「シブイ!」とつぶやいた―。

ラサへの歩き方 ~祈りの2400Km
2015年/中国/カラー/118分
監督   チャン・ヤン
撮影   グオ・ダーミン
脚本   チャン・ヤン
キャスト チベット巡礼をする11人の村人

 

■FAKE

 森達也の 15年ぶりの新作ドキュメンタリーが公開中だ。タイトルが『FAKE』だって!やるなあ~。でも、私の中の森監督に対する“満を持して”という気分は、とうに蒸発してしまっているので、今さら嘘をつきに映画に舞い戻ってもらってもなあ…ではあった。劇場関係者に訝りながら聞いたわよ、「本当に面白いの?」と(笑)。よく知らない疑惑の作曲家より、なが~いブランクを経た森監督の方が、私には疑わしかったのだ。

 聴覚障害、現代のベートーヴェン、NHKのガッツリ後押し、ゴーストライター騒動…と、派手な見出しと共に突如出現した佐村河内守氏のことは、一連の騒動時に初めて知った。ちょうど2年前、「1日1枚お習字」という一人遊びをしていて、その日の備忘録を半紙に墨汁で描き綴っていたから、モノとしてもしっかり残っている。2月6日「疑惑の交響曲」、2月17日「ゴッチ&ガッキー」などと、一応ウケで書いたが、あの手の音楽の感性を私はまったく持ち合わせていないので(汗)、「持ち上げられたり落とされたりする類のビジュアルだよなあ」で終わっていた。でも、世間の関心だってその程度だったのではないか。同じ時期の理科研の騒動と比べたら、内輪揉めも小粒で気がラク(苦笑)。マスコミは胡散臭さを暴こうと躍起になっていたようだが、メシのタネにするための仕掛けが露骨すぎて、すぐにゲンナリしたな。何より、本当のことなんていったい誰が知りたいのだろう…と眺めていた記憶がある。

―で今回、謝罪会見以来、音沙汰なしだった佐村河内氏を、森達也がドキュメンタリー映画にして再び世間にお披露目するという。本業から離れ、ご無沙汰な2人の博打とも受け取れる異色コラボ。作品の出来より、これで世間にスルーされたら相当キツイだろうと思っていたら…何と劇場は満席。しかも場内爆笑の連続で、意表を突く展開となった!
 
 線路沿いに建つとあるマンションの一室。佐村河内氏と妻のかおるさんが、世間の目から逃れるように暮らす自宅に、監督自ら出向いて取材するスタイルが、本作の基本制作姿勢だ。カーテンが引かれた居間で、監督は早々に映画の狙いを2人に説く―「怒りは後ろから撮ります。僕が撮りたいのはあなたの哀しみです」と。いやー、笑った!森さん、冒頭から飛ばしてる。おまえは涙の再会司会者・桂小金治か!と突っ込みたいくらい、いつになく演歌モードでデバってくる。そこに神妙な顔で居合わせる佐村河内氏と、手話で伴走するかおる夫人の3人の取り合わせがあまりにてんでバラバラなため、イメージが集約できず、この先一体何が紡ぎ出されるのか、いい意味で見当がつかない。まんまとノセられましたね。

ほら、そもそも私、佐村河内氏の音楽性にも履歴にも興味がないので、本作を通じて私の目に映るもの―つまり映画として面白いかどうかだけを判断基準にしてのぞんだわけ。それに対して監督の配球はサエまくっていた。何といっても、夫婦を前に緊張させるべきところと、タイミングを外して泳がせるところの緩急の使い分けが絶妙で、終始アクロバティックな揺さぶり質問をぶっこんでくれるのだ(笑)。なるほど、監督はフェアな傍観者ではなく、自らを演出家として映画にキャスティングしているわけね。長いブランクなどまったく杞憂だったかも。「僕がタバコを吸いたくなったらどうすればいいですか?」などと、他人の家に上がり込んでどこまでも強気なオレ様振る舞いをするかと思えば、佐村河内家の食事情にフォーカスし、観客の覗き見心をグリグリくすぐる。食事の前に豆乳をガブ飲みする佐村河内氏、…この絵イッパツで疑惑のイメージを脱力させ、さらに土足で踏み込む自分(監督)との対照性で、「ゴッチ、意外とカワイイ奴かも…」と親密度を高める演出設計に抜かりがない。

また、佐村河内自身による涙声の言い訳タイムを一通りは撮り込むものの、真意はあえて問題にせず、「心中だからね」と覚悟を告げて、チームFAKEの結束を固めてみせる。実に恐ろしい!そしてここに、バラエティ番組出演依頼で来訪するフジテレビ取材陣は、まさに、“飛んで火にいる夏の虫”。マスコミ=どこまでもインチキ&低俗のパッケージが、お手本のようにスルスル出来上がっちゃって、それはそれで短絡過ぎる気はしたが、実は彼らさえ前座にすぎなかったというオチまで用意される。

真打は映画の後半に顔を出すアメリカの取材チームだ。観客ウケ用のいじられキャラを求めるわけでも、笑いが欲しいわけでもないこの外国人組は、容赦なく本質をガシガシ攻める―「どうして作り話をしたのか?」「本当に創作に関わったなら音源を見せてくれ!」と。なるほど、疑惑を晴らしたかったら証拠を出せと、ひどくまともな説得をしつこく繰り返したのだ。楽器も持っていない佐村河内氏はさすがに大ピンチ。しかし、身を強張らせ、苦渋の沈黙しか打ち手がないこの緊迫の場面で、なんとこの私が「お前ら一体何様のつもり?日本人はグレーで上等なんだよ!」と、いつしか佐村河内氏に成り代わって抵抗しているではないか!「おだてる」と「バッシング」を、交互に繰返して退屈をしのごうとする社会にはもちろん辟易するが、立証できなきゃ真実じゃないと切っ先を向ける社会も私はノー・サンキューなんだと、改めて気づかされた瞬間だった。どんなに引いて眺めていても、『FAKE』は当事者意識を炊き付けてくる。己のモノサシを試される映画なのだ。

一方、どんなに目を凝らしてもわからないこともあった。かおる夫人の心境である。なぜ彼女はこれほどの犠牲を引き受けているのか、そのモチベーションの源泉がサッパリつかめず、これまたいい意味で映画に陰影を与えていたような気がする。監督は佐村河内氏に、愛情と感謝の言葉を妻に捧げるよう誘導するが、うーん、ここは意見の分かれるところ。陰で支える妻というより、彼女には自分が生んだ子を見届ける「昭和の母」の面影がチラついたからだ。新幹線に乗って長旅に出るツーショットなんて、小学生の息子の手を引いて掛かり付けの病院へ向かう親子図そのものだったもの…。

映画は、佐村河内氏の本当のご両親や、ゴーストライター役だと名乗った新垣氏も撮影し、ある種の“ファミリー・ヒストリー”状態となってゆく。振り返れば守くんは、心優しき大人たちに守られ、それに甘え過ぎたお坊ちゃまくんだったのではないか。だから最後の最後に一発逆転!守くんは、シンセを買ってもらって、頑張ります宣言をするのだ。守くんのか弱そうなふくらはぎと、かおるさんのシンパイ顔は私に授業参観を連想させ…。そう、『FAKE』は尾木ママも腰を抜かす教育映画に着地した。おそらくこれ以上意表を突くFAKE=偽造はないだろう。

見た人全員が世間の視座を再定義する衝動に駆られ、しかも答えはみな微妙に異なるだろう映画『FAKE』。さて、あなたの見解は如何に―。今すぐ劇場へGO!

さらにもう一本! 長年にわたるドーピングにより、自転車競技から永久追放されたロードレース選手ランス・アームストロングの栄光と転落の人生を実話をもとに映画化した『疑惑のチャンピオン』(’15)と併せて見るとより面白い。役者が再現する劇映画(疑惑のチャンピオン)が本当のことのように見え、当人が出演するドキュメンタリー(FAKE)の方がむしろ虚実の境をあいまいにする―。映像とは…真相とは…人間とは…いったい何だろう?と考えずにはいられなくなる。

FAKE
2016年/日本/カラー/109分
監督   森 達也
撮影   森 達也/山崎 裕
編集   鈴尾啓太
キャスト 佐村河内守

 

 

◆pgでベトナム展

 東京は新宿のphotographers’ gallery で4年振りの個展を開く。昨年の終盤、30年振りにベトナムを訪れたので、30年前のネガやベタを見直し始めた頃にそういう話になった。ベトナムに関しては30年後というキリのいいときにやれればとは漠然と思っていて、再訪越はキリのいい年に叶った。展示となると準備もあるし、キリのいい年にというわけにはいかなかったが、ようやく準備が大きな山をいくつも越えて、こうしてお知らせできるまでになったので、取りあえずひと安心という現状です。

 30年前の写真の撮影はモノクロが中心で、これまた久々にモノクロの暗室を季節のいいときにやることができた。自分の暗室で大全紙までは焼いているとはいえ、現像のプロセスは機械がやってくれるカラーの場合はあまり当てはまらないのだけれど、モノクロの場合、季節によってこんなにも暗室がストレスになったり楽しみになったりするとは、というくらいベストシーズンというものがある。
 他にビデオをかなりの量撮っていた。VHSのコンパクトビデオカメラで、当時ソニーが出していた「ベータカム」に対抗してビクターが手がけた一体型の小型ビデオカメラである。小型とはいえ今のものとは比べ物にならないくらい重くて大きい。1本20分なので、計画的に撮らないとならない。もっと前に映画のカメラをやったことがあるのだけれど(学生時代の自主映画)、それは1本3分ちょっとであったから、さらに計画的でなければならず、コマ割りなどで事前にだいたいの構想を固める必要があった。ビクターのビデオを最初に使ったときは、そういう不自由さがなかったので、逆に緊張感がなくなるねなどと仲間と話したものだが、今のデジカメは持っていることを忘れるくらいに軽いし、撮った分は小さなカードに収まっているし、それなのにほぼキリなく撮れてしまうので、この20分は程よい緊張感と達成感、充実感をもたらしてくれるいい設定ではなかったかと思う。

 そんなコンパクトビデオカメラを担いでホーチミンからハノイまで北上した分を、プロの手を借りながらやっと繋いで書き出したところである。まずはビデオテープを編集可能なDVDに移すところからだったので、思えば長い作業ではあった。20本ほどあったし、また他の時期にも2度訪越しているのだけど、あれもこれもだと散漫になるので、それらにはひとまず目をつむることにして、北上に限定し時系列でやると決めたので、思いのほか作業はスムーズにいった。会場は2つの部屋があり、1つはこのビデオとデジカメで撮影した新しい動画(動画とビデオという使い分けが分かりにくいかもしれないけれど、昔のビデオテープで撮影したものはビデオとしか表現できないのでご容赦を)の上映、もう1つの部屋は新旧取り混ぜての展示(20点)という構成。
 30年前の写真を見直したのも初めてなら、こんなにいろんな作業(カラーとモノクロの暗室、ビデオと動画編集、16ページの冊子の編集、それに入れる文章)を一度に並行して進めたのも初めてで、いま展示に向けての最終コーナーを味わいながら過ごしているのを幸福と言わなければバチが当たる、ということなのでしょうね。