イタリア、トスカーナ出身のアリーチェ・ロルヴァケル監督の作品は、素朴なフリしていつも大胆。鼻歌とハラハラを共存させながら、時空を超えた物語と田舎町の日常を何喰わぬ顔で交信させる。間口はゆったりと広いが、イメージの跳躍に心拍数があがることもしばしば。この手ごたえは何かに似てる…。そう、現実とは異なるもうひとつの世界を、最小限の「ビジュアル」と「ことば」の共鳴で編む〝絵本〟をながめるときの感じ方に近い。
例えば、イケてる絵本とめぐり会うと、何が飛び出すかヨメないままひたすらページをめくり続けてしまわないか?「はい、おしまい。」と唐突に幕が降ろされても、「へっ?今のは何?もう一度はじめから!」と、速攻でリスタートしてしまう。絵本のツボがどこにあるのかを探り当て、もう一度じぶんの身体で体感するために、すぐさま反復したくなるのだ。きっと絵本から受けた好奇心が、自己発電力を高めているのだろう。彼女の映画からも同じようなスイッチが入る。
時代性が希薄なところも、絵本とロルヴァケルの映画に共通する点だ。正直言って、彼女の作品で起る事柄がいつもスンナリ呑み込めない。ただ、よく呑み込めないけど好奇心のフラグは立ち続け、信じられる。おそらく彼女が映画の中で描く社会の根底にはまだ筋力が残されていて、様々な人々が包摂されているからだ。新作『墓泥棒と失われた女神』では、なんと墓泥棒のコミュニティが登場する。
主人公は考古学の沼にハマる英国人男性アーサー。彼がトスカーナの田舎町へ向かう列車の中で、うたた寝しながら見る夢のシーンから映画は始まる。穴の向こうに現れ出るのは、失くした女神(恋人?)の顔らしい。そして、冒頭に掲げられた3つのアイテム―「穴」と「光」と「白いスーツ」が本作の鍵を握る。
甘美な夢から起こされたアーサー。なぜだか車中で地元民たちから散々嘲笑されて踏んだり蹴ったり。画面では、白い麻のスーツに白いシャツ姿でフォーマル風に映るのだが、みすぼらしいだのクサいだのと罵られ、よそ者排斥がけっこうエグい。どこまでをくすぐりと受け取るかのサジ加減がイマイチ判断しづらいところは、ロルヴァケルらしい演出ともいえる。開始早々、甘辛なのだ。
さて、白いスーツ姿の男が独り片田舎の駅に降りたら、映画の定石では殺し屋か世捨て人かのどちらかだが、アーサーは出迎えの仲間の誘いを拒み、まっすぐ自宅へ帰宅。どうやら旅人ではなくムショ帰りの身で、元々この町の住人らしい。しかも、城壁に張り付くように立てられた、いかにも不法占拠然としたボロ小屋の佇まいが素敵すぎて、目が釘付けに!トタンの錆び具合といい、犬の遠吠えが聴こえるロケーションといい、カンペキな侘び住まいじゃないか。
我が家で一服し、野花をつんだアーサーが次に向かった先は、大きくて古いお屋敷。ここで、冒頭の夢の中の女神についての謎が徐々に明される。女神は、姿を消したアーサーの婚約者ベニアミーナで、その行方を案じる母親と会うため、実家へやって来たってわけだ。ふたりは必ず戻って来るような口ぶりだが、そもそも蜜月期に姿をくらます恋人って問題ありありだろ?他にも、屋敷にはやたらと女たちが出入りし、ピント外れの母性が渦巻いて収拾がつかないし、事件にしてはシリアスさに欠け、ラブコメにしてはヒネリが多すぎて、まるで先がヨメない。
で、ようよう、一本気で無口なアーサーの本業のスケッチが始まる。地中のことなら何でもお任せのこの考古学オタクは、ダウジングを利用して古代の墓を掘り当てる能力があり、墓泥棒一味とタッグを組んで小銭稼ぎをしている。この辺りはエトルリア文明ゆかりの地。すでに大部分の墓は盗掘されてはいるものの、掘り残しの副葬品を秘密裏に買い取る業者もいて、探して➡掘って➡奪って➡逃げて➡まとめて売って…の小商いが成立しているのだ。
先にも書いたが、アーサーと墓泥棒たちの関係性や行動は、いつの時代の出来事なのか見えづらく、終始頭がクラクラ。おいおい、これはおとぎ話なのか?それとも冒険譚か?…と。その反対に、奴らがせしめた希少品が、資本主義市場で取引される現場も露骨に登場するため、むしろ墓をめぐることで、時間の流れが大昔から今につながり続けている事実に気づかされる。死者と生者を隔てるものなど何もないかのように―だ。
ある夜アーサーは、工場の廃液が流れ出る海べりの空き地の地下に、キメラの匂いを嗅ぎつける。恐る恐る近づき仲間と堀り起こせば、長年探し求めていた手つかずのままの遺跡が暗闇の中から現れ出るではないか。その時カメラが一瞬切り替わり、地上で掘り進めている墓泥棒たちの様子を、一筋の光と共に墓側からの目線で捉え返すショットの素晴らしいこと!まるで「ここでずっと再生されるのを待っていたわ」と言わんばかりに、葬られた魂の存在が生々しく立ち上り、思わず震えた。
想像以上のお宝と遭遇した墓泥棒一味は大興奮。中でも、丸っと完品の女神像を発見し、その顔にベニアミーナの面影を重ねてしまったアーサーは、胸の鼓動が抑えられない。さらには、やっと再会できたと妄想の極限に達した瞬間、仲間たちがいとも簡単に像の頭部をぶった切っちゃったりして、オーマイガー!泥棒たちにとって盗みやすい切断が、アーサーには妄想からの強制撤退となり、息も絶え絶えだ。
意表をつくアップダウンの連続。なるほど、アーサーは大切な人がこの世にいなくなってしまった現実を認められず、ぽっかり空いてしまった心の穴を埋めるように、古代に通じようとしていたのか…。一方でそんな男に映画は、イタリアという名の伸びやかな子連れ女をチラつかせ、浮き世で新たなお宝とめぐり会うプランも用意するが、向かう先はさらに陽気な混迷へ―。
幕切れに唸った。現実の街の足元深くに、死者たちの街が並行して存在し、穴を通して物語を行き交わせたロルヴァケルは、最後まで我々の幸福の定義を揺さぶってくる。穴からスルスルと降りてくる赤い糸は死者の手招きなのか、それとも現世からの逃避の象徴なのか…どちらに軸足があるのか判断がつかなくなる。だが、のぞく&のぞかれるが反転し、ふたりが同じ地平にたどり着いたラストシーンで、アーサーから放浪の痕跡は消え去り、彼のスーツは白く蘇っていた。やるなー、ロルヴァケル。光に満ちた祝祭的な幕切れに拍手喝采。
『墓泥棒と失われた女神』
2023年/131分/伊・仏・スイス
監督・脚本 アリーチェ・ロルバケル
撮影 エレーヌ・ルバール
美術 エミータ・フリガート
出演 ジョシュ・オコナー アルバ・ロルバケル イザベラ・ロッセリーニ