■『あさがくるまえに』

臓器移植をめぐる1日の人間ドラマ―。

仏映画『あさがくるまえに』は、新鋭の女性監督、カテル・キレベレの日本初公開作品。予備知識ゼロで遭遇したが、なかなか大胆なことを、終始なめらかな手つきで差し示してくれて、その余韻が今も後を引く。コートジボワール出身37歳。自ら切望してベストセラー小説を映画化できるなんて!…早くもその才能は、高く評価されているようだ。

映画は、立場の異なる3つの人間模様をシャッフルさせながら、早朝から翌朝までの1日のできごとを描く。1つは交通事故で脳死状態になった青年シモンにまつわる物語。喪失の痛みとドナー問題に揺れながら、ル・アーブルを舞台に進んで行く。2つめは、移植コーディネーターのトマを中心に、シモンを担当する医療スタッフたちのスケッチ。そして3つめは、移植を必要とする側に焦点を当て、パリに住み、2人の息子の母であり、重い心臓病に苦しむ音楽家クレアの周辺が綴られる。

シリアスなテーマ、かつ1日限定。…なのに群像劇で押してくるとは見上げたものである。そのうえ3つの人間模様には、時間を過去にもさかのぼり、登場人物一人一人の生の痕跡を刻むエピソードが散りばめられていて、情報量はハンパなく多い。でもこれが、けっこう重要ポイントになっている。わたしの偏見かもしれないが、ちょっとレベルの高い映像表現を志している作品は、登場人物の背景や内面描写を極力割愛し、シーンとシーンのつなぎに冒険の限りを尽くし、観客の想像力に勝負を挑むものだが、そうした作り手の跳躍がかえってアダになるケースも多い。一方ここでは、臓器移植という取り扱いに慎重さを要するテーマが横たわっているため、まずは実験精神より観客からの信頼獲得が肝心だ。そのうえで、何を起爆剤にして観客を映画の時間に止まらせるかが腕の見せ所となる。倫理観と親密さへの配慮は不可欠だが、扱い方には新味がないと、スクリーン内生命鮮度が急速に下がるのは避けられない。では、定石通り「喪失」から「再生」までをFIXしたうえで、予定調和を差っ引き、映像で語る必然性を、本作は何処に宿したか―。

まず、目を惹くのが移動撮影である。冒頭、友人たちと早朝の海へ繰り出し、サーフィンを楽しむ生前のシモンの姿が、乗り物つなぎで捉えられる。自転車→車→サーフボードという流れは、一瞬たりとも止まることのない10代の躍動感を増幅させると同時に、この後の悲劇との対比を際立たせるための残酷な仕掛けにもなっている。しかし、幕開けから数分で、横たわったまま動かなくなる17歳が、この先も映画を通してずっと“動き続ける”からさらに驚く。恋人との想い出の中では、心臓破りの坂を鮮やかに駆け抜け、泣き濡れる両親の背後には、絶えず気配となって立ち現れるのだ。もし、帰らぬ人となったシモンを括弧で閉じたり、奇跡に転じていたら、映画自体が死んでしまっただろう。そうならないギリギリのところで、生命を浮遊させ続け、我々の想像力をつなぎとめているのである。

反対に、臓器を受ける側からは、忍び寄る死の影を通して、ゆっくりと生命の輪郭が浮かび上がる。脳死状態の青年の心臓はイキイキと動き続け、生きているはずの彼女の心臓は停止寸前という皮肉な構図…。そしてクレアが、他人の生命を引き換えにしてまで生きる意味があるのかと自問自答するとき、我々も共に思いをめぐらす―延命がすべてなのか、何をもってじぶんの生死を定義づけるのかと―。生命至上主義に対する一歩引いた視線と、合理性だけでは処理できない人間の複雑さが、映画のリアリティを高めていた。

さらにここに、日々仕事として生命を扱う医療現場のスタッフたちの振る舞いが加算されて行く。しかも、彼らを社会的役割の範疇に留め置かず、多様な日常の一コマを頻繁に差し挟み、映画のトーンをちょっと乱すほどだったりする。大袈裟に言えば、「そのシーン、要るか?」の連続なのだ。でも、この広がりが生命の意味を異なる角度から照射し、我々を映画の時間に滞在させる要因にもなっている。コーディネーターの通勤風景や、看護士の喫煙タイムは、テーマを際立たせるための余話ではない。生死を分けるアクションだけに時間が流れ、情緒の起伏があるわけではなく、私の目には、誰もが期間限定で借り受けた肉体を使用し、与えられた生を全うしようとしている光景に映ったのだ。

臓器移植の猶予は24時間。2つの家族によって決断が下され、最後はル・アーブルとパリを、「臓器」だけが移動する。その一部始終は、まったく別の記録映画が始まったのでは?と見間違えるくらいのリアル映像に転じ、予想を見事に裏切る。もちろん、「喪失」から「再生」へは定石通りに着地するのだが、桃色の心臓が放つ強烈なオーラを目撃した瞬間、わたしは鳥肌が立った。まるで今にもオギャーと声を上げそうな、生まれたての赤ん坊のように見えるではないか!人々がめぐらす思いや祈りは吹っ飛び、臓器そのものが湛えるエネルギーに圧倒され、頭の芯がいつまでもクラクラした。監督は危険を顧みず、映像に潜む暴力性を最大限に利用してみせているのだ。

本作では、臓器移植をめぐって様々な言動や情感が行き交うが、どのエピソードも根底に流れているのは他者への想像力。これによって、生死がじぶんの身に起こる一回性のできごとに集約し切れない感触を残したのも印象深い。
カテル・キレベレ、次作が楽しみな映像作家の一人となった。

『あさがくるまえに』

2016年/仏・ベルギー/カラー/104分

監督/脚本 カテル・キレベレ
撮影   トム・アラリ
音楽   アレクサンドル・デプラ
編集   トマ・マルシャン

キャスト タハール・ラヒム アンヌ・ドルバル
     エマニュエル・セニエ ドミニック・ブラン

■『ロスト・イン・パリ』

わーい、わーい、心底うれしい!夫婦道化師、ドミニク・アベルとフィオナ・ゴードンの新作を紹介できる日がついにやって来た!何かと一言多いこのわたしが、もろ手を挙げて「ブラボー!」と喝采を贈る数少ない作り手、それがアベル&ゴードンだ。

本当は余計なことなど、グダグダ書きたくないんだよなあ…。何せ2人はパントマイムを芸道の神髄にしているから、言葉で説明するほどに野暮になってしまう。見事な身体フル稼働おしゃべりを、黙って眺めているだけで、じわじわと彼らの波動に感染し、「これ以上、なにか要りましたっけ?」なーんていう境地に至るわけだ。でも、監督・脚本・主演もこなす名コンビとはいえ、もともと舞台出身の道化師だから、強力な前フリがないと、多くの人にとっては「誰それ?」「何それ?」で終わってしまいかねない。幸運なことに、わたしは2010年に公開された『アイスバーグ』(‘05)と『ルンバ!』(‘08)を、立て続けに目撃してノックダウンしちゃった口なんで(どちらも傑作!)、ここはあえてデバって、鑑賞の動機づけにしてもらおうと筆を取った次第です、はい。

新作『ロスト・イン・パリ』のあらすじはこうだ―。雪深いカナダの田舎町で暮らす図書館司書のフィオナ(フィオナ・ゴードン)の元に、パリで自由な独居老人生活を謳歌しているはずのマーサおばさんから、助けを求める手紙が届く。心配になったフィオナは、“はじめてのおつかい”さながらに、憧れの地パリへ旅立つが、アパートを訪ねてもマーサの姿はないわ、セーヌ川に落ちて所持品を丸ごと失くすわ、怪しげなホームレスの男ドム(ドミニク・アベル)にまとわりつかれるわで、踏んだり蹴ったり。果たして、フィオナとマーサとドムの3人の関係をグルグル巡る人生すごろくが、“あがり”に着地する日はくるのか―。どう?なんとなくお気楽な喜劇を想像したのでは?そうそう、のんきに構えて頂いて大いにけっこう。ひとたび幕が上がれば、そんなに単純な映画じゃないってことが一瞬でわかるから。むしろギャップを味わえて、ちょうどいい塩梅よ。さてここから先は注目ポイントをご紹介。

まずは身体性。セリフを抑え、パントマイムを語りにして物語を紡ぐ彼らの作法は、これぞまさに身体を張った純度100%のアクション映画である。例えば、フツーに歩く、フツーに走る、そしてフツーに立つ姿までも、けしてフツーじゃない。いや、この説明じゃわかんないか(汗)。つまり、無意識で行う動作のすべてに、想像力をかきたてる芽がぎっしり生えているので、一つの動作を機転にして何が巻き起こるか、予測不可能な愉しみがあるのだ。物語に奉仕するアクションではなく、アクションによって物語が自然発生し続ける…そんなニュアンス。しかも、フツーの動きから逸脱しているのに、意図的に映らないから驚く。2人の足は、シャガールの絵のようにファンタジーの絨毯に乗って浮世を離れることはなく、軽やかではあるが、絶えず我々の足元と同じ大地をステップしている。彼らの作品に流れる親密さの源泉は、こんなところにある気がした。

次に色彩設計。赤、黄、青の3原色を惜し気もなく使い切る彼らの作法は、パントマイム同様、色を語りに用い、物語の展開に花を咲かせる。雪の「白」から始まり、カナダ国旗の「赤」が小物となって飛び跳ね、ウブな心を持つフィオナには「緑」、ヒロインを照らすドムには光の「黄」をまとわせて、2人を引き合わせたマーサが「青」いマフラーで聖母の象徴となる―。色彩とアクションの掛け合わせで、映画のマジックがさらに際立つ設計。そのうえ、これだけ色彩を前面に押し出しながらも大袈裟な印象は皆無で、ノンシャランな香りが損なわれないのも、特筆すべき点だろう。

最後は世界の捉え方である。映画は、おばさんを救出しに行ったヒロインが脱線を繰返し、「ミイラ取りがミイラになる」スケッチをしつこく盛り込む。ステップは軽妙、絵はカラフル、情感は控えめ…なのに、行く先々で遭遇するハプニングは、かなり酷くてギョッとする。緩急交えながらのノンストップ波乱中継。そう、ギャグと匂わせる一方で、リアルな世界の不条理さもつかまえて逃さないから、やけに骨身に染みるのだ。火葬場に閉じ込められるコント、コインランドリー野宿にゴミ箱あさり、そして自由すぎるおばさんの下半身事情までぶちまけて、我々を煙に巻いてくれちゃう♫えぐいエピソードの数々が、ここでもアクションの浄化作用で、愛らしく様変わりするからタマらない。

やがて3者3様に世界を彷徨い、多様なメロディーに乗って身体一つでたどり着いた先には、エッフェル塔と自由の女神がしっとりと浮び上がる。原題は裸足のパリ。自由を我がものにした“あがり”の絵に、もっともふさわしい地、パリのきらめきの中で、無常観まで漂わせて映画は幕。散骨に降る雨までも自由で心憎いアベル&ゴードンの世界…無論、締め括りの一言は「ブラボー!」でキマリだ。

『ロスト・イン・パリ』
2016年/ 仏・ベルギー/カラー/83分
監督・脚本・製作・主演  ドミニク・アベル フィオナ・ゴードン
撮影      クレール・シルデリク ジャン=クリストフ・ルフォレスティエ
美術      ニコラ・ジロー
キャスト   エマニュエル・リバ ピエール・リシャール フィリップ・マルツ

■『ありがとう、トニ・エルドマン』

『ありがとう、トニ・エルドマン』は、見ようか止めようか迷った作品。割と早くからチラシは目にしていたが、タイトルがビミョーだわ、毛むくじゃらの妖怪イラストの意味がわかんないわ、キャッチもつかみどころがないわで、判断に困っていた。

監督でも役者でも観客を呼び込めない…それもドイツ映画(汗)。配給会社も悩んだのか、世界各国の映画賞を総なめにした戦歴を、チラシ面積の半分に書き並べ、ありがたみデコレーションで間をもたせている。違う、違う!この華やかな戦歴が、むしろドン引きさせる要因なんだから~。一体この映画は何モノなんだ?と敷居が高くなる一方だろう~。

そのうえ予告がいただけない(汗)。噛み合わない父と娘の“やさしさごっこ”が前面に押し出され、いかにもハートフルな人情喜劇にパッケージ。「…で?それがどうした?」と、思わず突っ込んでやりたくなったのは、私だけではないはずよ。ただ1点、2時間半以上(162分)もある、クソ(失礼!)長い映画だという点がやけに引っ掛かり、【女の監督】が【長編で勝負】して、【世界中を熱狂】させたという、それまでほとんど聞いたことがない事例を目撃しようと、重い腰を上げたのである―やれやれ。

「へーっ、そうきたか!」映画は冒頭から、予告のトーンとはまるで異なり、音なし、オチなし、笑いなし(爆)。ケッタイな行動をとるオヤジの出現に、「このリズムで2時間半、最後まで耐えられるか…」と気を揉むほど奇怪だ。最初に暴露しておくと、これは噛み合わない父娘の物語というよりは、それ以前に、映画の振る舞いと我々観客の呼吸が終始噛み合わない2時間半なのだ。「まどろっこしいのダメ。わたしのリズムに合わせてくれなきゃイヤ~!」…と、性急に決着を付けたい方は、どうぞスルーしてお昼寝でもしてください。問題ないです(笑)。でも、「親子ってめんどくさいなあ…、できればまともに向き合わず、ずっと保留にしていたいなあ…」と、厄介ごとを引き伸ばしにする性分の方には、強力にお薦めしたい。笑えない、突飛すぎる…とぼんやり眺めるうち、いつしか “いずこも同じ秋の夕暮れ”心境にたどり着き、やんわり慰められるというファニーな映画なんですよ!

ヒロイン・イネスの両親は、離婚してすでに長い月日が経ち、父は音楽の先生をしながら、老いた母親と犬一匹と暮らす毎日。ところがこのオヤジ、道化の役回りをしないことには、他者とまともに会話ができない変わり者。誰に頼まれるでもなく、自ら進んで世の中をユーモアと温かみで満たすべく孤軍奮闘している様子だが、その横顔はまるでゴルゴタの丘を登るイエスのように痛ましい。一方、里帰りした娘イネスは、大手コンサル会社で働く30代後半の独身社畜。顧客の信頼を勝ち取るため、こちらもある意味父同様に、自ら進んで孤軍奮闘しているが、思うようなキャリアパスを描けず、内心焦っているのはミエミエ。

そんな親子が、久しぶりに一緒の時間を過ごすことになる。イネスの誕生日を祝おうと、父が赴任先のブカレスクへひょっこり訪ねて来たからだ。怖いよね~、父親が連絡もなしに職場のロビーでウロウロしていたら(汗)。だってサラリーマンって、職場で疑似家族めいた関係を演じているでしょ。そこに本当の家族が舞い込んだら、どっちの顔つきで舞台に上がったらいいのかドキマギしないか?多国籍企業相手に澄まし顔でバリキャリやってるイネスが、思わず素無視してしまうのも無理はない。しかもコイツは、空気「読めない」というより、「読まない」爆弾オヤジ。一ヵ月も休みとって来られたら、マジに困惑するよな…。愛犬に死なれて落ち込んでる父を邪険には扱えないが、スケジュールはパツパツ。そこでイネスは無謀にも、自分のアポに父を同行させてお茶を濁そうと画策する―。

父親同伴の接待って…マジですか?我々の心拍数はイッキに上昇、気が気でない。そもそもこの映画、面白おかしく軽妙に進めるのを定石とするスケッチで、あえて句読点をつけたりなんかして、どうでもいい箇所をイチイチ間延びさせて語り、常にムズ痒い。変化球の連投が、ギャグにもシリアスにも受け取れてしまえる仕立てなのよ。つまり、それでなくても照れ臭い親子の関係が、さらにバツの悪い絵にデフォルメされ、悲劇と喜劇が紙一重状態に映し出される。まさかブカレスクのショッピングモールを眺めながら、小津安二郎の『東京物語』(’53)を思い浮かべるなんて、予想だにしなかったわ、ふーっ。

結局、大切な商談に失敗したイネスは、ブチ切れて父を追い返してしまう。親子の遠慮と甘えが極端な形で露呈するこのくだりは、前半戦のハイライトといえるだろう。では、再会→接近→戸惑い→怒り→決別までまとめ切り、このあと映画は何をお披露目するのかというと…はい、後半戦では帰国したはずの父がトニ・エルドマンと名乗り、ご丁寧に変装までして、娘の行く先々に出没するというトンデモ話へ展開。そしてここからのしつこさが本作のキモだ!

四六時中社内評価に過敏なイネス、汚れ役も厭わずに顧客の下僕と化すイネス、SEXも飲み会もパワーゲームに見立てて処理するイネス、ビジネス以外の文脈に対応できずツイ熱唱してしまうイネス…。現代を闊歩する娘の様々な側面が、滑稽ななりをしたトニ・エルドマンの出現によって、お約束の虚無と享楽の構図で炙り出されるというダンドリ。しかし従来の映画と大きく異なり、ここには特効薬も出てこなけりゃ、内なる声も描かれない。そうイネスは、常にドタバタして疲れてはいるが、タスク管理をしているだけで考えて生きていないから、疑問は持たないし、じぶん以外の世界を想像すらしていない。父に指摘された通り「おまえは人間か?」状態なのだ。そして、ヒロインを宙ぶらりんなまましつこく走らせ続け、お手軽に覚醒させないところが、この映画の良心にもなっているのだ。

やがて、愚直なマシンの彼女が、あの手この手を使って揺さぶられながら、ようよう少しだけじぶんの中の他者性に気づき始める。メンバー・フォローのために開いたホームパーティーで、“あれ?もしかして、わたしのガンバリってスンゲーくだらない?…”と、突如タガが外れ出すのだ。それも、タイトでゴージャスなワンピースのファスナーが閉まらなくて七転八倒するその瞬間にだ!女の監督でなければ絶対に描けないリアリティの横溢。女芸人たちも嫉妬しそうなほど突き抜けたこの全裸もてなしシーンは、切なく意表をつき、我が映画史にしかと刻印されましたよ~。美人が身に染みない女優サンドラ・フラー★、御見それいたしました(ぺこり)。

 父と娘は似たもの同士、親子揃って含羞の人だった。めんどくさい作業を経ないことには、「ありがとう」の一言さえ、まともに伝えられない距離感なんだよね。よって、裸と毛むくじゃらだからこそできたハグ。なーんだ、ドイツ人も親子を語ることがこっぱずかしかったりするんだあ…、そして世界中の人たちも照れくささに共鳴したんだあ…ちょっと意外だったわ(笑)。それでも、父を亡くしてすでに9年経つわたしが、もうじぶんには「守ってくれる父」はいないんだという事実を、今さらながら思い起こした映画でもあった。自転車の乗り方も、跳び箱も、逆上がりも、何度も父にダメ出しされ(汗)、しつこく伴走してもらい、できるようになったっけ…。そんな記憶がフト蘇ったのも、162分という長丁場だったからだ―。宝物を紐解くには時間がかかる…贅沢な体感だったと思わずにいられない。

この映画こそ、仕事サボって行くべき1本(爆)、ぜひ★
 

『ありがとう、トニ・エルドマン』
2016年/ ドイツ=オーストリア/カラー/162分
監督・脚本   マーレン・アデ
撮影      パトリック・オルト
編集      ハイケ・パープリース
キャスト    ペーター・ジモニシェック サンドラ・フラー

■バンコクナイツ

ほーっ、山梨の次はタイですか―。

富田克也監督は、雲の上から、タイの首都バンコクへ舞い降りた。新作『バンコクナイツ』で、自らドラマの鍵を握る元自衛隊員オザワ役を演じ、実に気持ちよさそうだ。―ってことは、おそらく本人の体内スイッチをONにさせる何か強い磁性みたいなものを、この地に発見したに違いない。監督、もはや日本のしがらみにお腹いっぱいですか?日本の女ももう要らない?(笑)いや、土地に妄想する方が何倍もテンションが上がってしまう作り手だから、河岸を変え、漂泊者になるのは自然の成り行きね。本作では、バンコクからイサーン(タイの東北地方)、そしてラオスへと、地霊の気配に全身をそばだてながらの移動撮影を敢行。3時間3分。作り手側からすると、これでも足りなかったかもしれない。だって監督が手繰り寄せたいのは、いつだって目に見えない不確かなものだから―。

とはいえ、「目に見えない不確かなもの」を吟味してもらうには、「目に見える生臭いもの」で客を呼び込む必要がある。そこで映画が最初の舞台に選んだのは、バンコクにある日本人専門歓楽街“タニヤ”だ。へーっ、こんなにわかりやすいメイド・イン・ジャパンの楽園が存在し、毎夜盛況とは!知らなかった。これ以上呼び込みにふさわしい絵はないのでは?ひな壇、電飾、美少女アイドル風ビジュアルのタニヤ嬢たちと、たどたどしい日本語の接待が、ある意味アナログな様式美として映し出される。行ったこともないのに「日本男子諸君の大好物だよな~」とリアルに感じるのは、そこに目新しいアイテムが一つもないからだ(苦笑)。慣れ親しんだ空気に漂いながら、思考を停止して楽しめる一晩だけのアバンチュール。お気軽かつお安く、ストレスなしに“ごっこ”ができる場所を、今も昔も日本男子は楽園と呼ぶのだろう。もちろん背後には、楽園そのものを金のなる木に見立て、一儲けを企む有象無象たちがどっさり集結。つまりは、旦那と太鼓持ちの役割分担で、楽園という名の市場も成立しているわけだ。

そんな夜の街の人気NO.1タニヤ嬢がヒロインのラックである。イサーンの貧しい田舎町から、身体ひとつを資本に出稼ぎに出て5年経つラックは、絶えずブーたれている。サービス外の要求をねだる男たちを、「メンドくさい」「キモチわるい」「クサい」と、一昔前の女子高生のようなノリでののしる。彼女を苛立たせるのは客だけじゃない。薬物中毒の母から携帯に入る金の無心にも気が滅入り、日本人のヒモ男・ビンに当たり散らす毎日。どいつもこいつも、私にねだり放題、もういい加減にしてよ!…これがラックの本音だろう。限界寸前のラックは、ある夜、まだウブだった頃に愛しあったオザワと偶然再会する。今のオザワは、日本を捨ててネットゲームと使い走りで日々をしのぐ沈没組。いわば名うての“花魁”に昇格しているラックとは、身分違いの間柄になっているのだが、この再会を機に、彼女は人生の潮目を変えようと動き出す。NO.1タニヤ嬢を封印し、ラオスへ向かうオザワに同行。出たとこ勝負の2人旅が始まる―。

電飾から自然光へ―。バンコクを出た2人は、ラックの故郷・国境の町ノンカーイへ到着する。かつての恋人同士が元カノの故郷を訪れ、純朴な大家族から、心づくしの歓待を受け、田舎の緩やかな時間に心身ともに寛ぐ…絵柄としてはそんな風に見えなくもない。アダージョ風アレンジで原点回帰パートですかね? いやいや、そう簡単に片目をつぶれないのが、空族と富田監督の流儀だろう。2人を通じて田舎暮らし礼賛をするつもりもなければ、社会学者気取りで、都市との比較を論じるために遠出させたわけでもない。男は金になる不動産商売のネタ探し、女は大切な家族をどう守るか、それぞれの現実問題ありきで移動させたに過ぎない。いうなれば、田舎は借景。場所を変えようが、言葉使いを改めようが、どこまでもじぶん本位な2人を、平行線のまま放り出す。青臭いほど、ロマンチック要素ゼロ(笑)。でもむしろ、そこにこの長旅の新味はある。

地霊の気配に導かれるようにひとり国境を越え、ラオスに足を延ばすオザワ。家族へ注ぐ愛情がことごとく皮肉を招いてしまうラック。やがて男は蛮行の歴史を我が事として顧み、女は凌辱された歴史を我が事として偲ぶ。目に見えないものに導かれるまま、宙吊りで世界を見渡すこの滔々と流れる時間が、とてもいいのだ。特に魅かれたのは光の捉え方。都会の闇にねっとり輝く人工の光と、赤と青の粒子が激しくせめぎ合う田舎の太陽光の2つを、これまた追い駆けあう男女のように妖艶に差し挟み、我々を映画の時間に溶け入らせるのだ。

『バンコクナイツ』は、オザワとラックを隠喩として、歴史の因果を想像する刺激に満ちている。その仮説のすべてが上手くハマったとは言えないが、作り手側の身体で過去と今につながる世界を分光し、可視できないものまでも拾い上げようとの姿勢は、さらに剛毅なものになってきた。ラストで、色彩を絞り込み、月光の下で綴られる青一色の救出劇はその最もなものだろう。合意形成に至る道のりは長く険しいが、空族なら自ら透明になって、世界のどこへでも舞い降りられる…もはや彼らは撮り続けるしかない。

バンコクナイツ

2016年/ 日本・フランス・タイ・ラオス合作/カラー/182分
監督/脚本  富田克也
撮影     向山正洋 古麿卓麿
脚本     相澤虎之助
キャスト  スベンジャ・ポンコン 伊藤仁 

●本を出版しました

久々の更新です。

そして、宣伝です。

初めての著作を出版しました。
『言葉の果ての写真家たち 1960ー90年代の写真表現』
というタイトルです。

発行は青弓社になります。

http://www.seikyusha.co.jp/wp/books/isbn978-4-7872-7399-4

サイトも用意しました。
http://wordandimages.com/wp/

お手に取っていただけると幸いです。

■『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』

『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』は、第66回ベルリン国際映画祭の金熊賞受賞作。ドキュメンタリー映画で初の最高賞に輝いた注目の作品である。

“世界一位の絶景”と謳われる美しい海に囲まれたイタリア最南端の島、ランペドゥーサ。監督のジャンフランコ・ロージはこの小さな漁師町に1年半移り住み、住民たちと暮らしを共にしながら本作を撮ったという。ところが幕開け早々不思議な心持になる―「あれ?ドキュメンタリーじゃなかったっけ?…」と―。島の少年サムエレくんが、何やら木の枝ぶりを熱心に眺めまわし、ついにはナイフで切り落とすシーンから始まるが、その様子に劇映画(フィクション)の萌芽を感じさせるからだ。サムエレくんが、カメラの存在をまったく意識していないせいもあるが、かといって演技にも見えないので、「何これ?」と思う。子供の無邪気な遊び時間にしては、切り取り方に陰影が漂い、何だろうこの固いしこりみたいなものの正体は…、いったい何が内包されているのだろう…と、複雑な手触りにひとり気を揉んだ。

続いて映し出されるのが夜の海と無線の交信。救助を懇願する叫び声の主が、避難民たちを乗せたボートからだとすぐに察せられる。しかし、危険を顧みず母国から避難する話は、ニュースとしては伝わっていても、リアルな救助要請の交信をまともに耳にしたのは初めてだ。声だけなのに、いや声だけだからこそ、命がけの世界が突如目の前に出現するようで、じぶんでも意外なほど動揺した。ランペドゥーサは、北アフリカから最も近い欧州に位置するため、アフリカや中東からの難民や移民が、最初にたどり着く“希望”の玄関口にあたるらしい。それゆえ、20年間で40万人の難民がすし詰め状態で海を渡り、1万5000人もの溺死者が出ている海難事故現場の最前線でもある。もちろん、そんな詳細情報は鑑賞後に目にした資料から得たもの。わたしは丸腰で、緊迫した状況をひたすら追いかけるだけだった―。

こんなふうに映画は、同じ島の2つの動向―「漁師町の平穏な日常」と、「難民たちが背負う過酷な運命」―を交互に映し出し、終始落ち着いたトーンで進行する。例えば、どちらか1つの設定なら、ある意味、定型化された方法だ。陽光まばゆい南仏の漁師町に暮らす少年の成長ドラマで1本、避難民たちの現状告発ルポで1本というように。同一舞台を対照的なフォーマットで描いても、どちらも飲み込みやすい。いや、2つの内容を抱き合わせ、ちょっと見せ場の多い社会派ドラマにだって、容易くイメージできる。島育ちの少年と異なる世界との交流には、柔軟性も持たせられるしね。ところが映画は、そんな推測を軽々と越えたところでさざ波を立たせる。

まず2つの動向には接点が一切ない。それが現実だからだ。サムエレくんは、自然豊かな漁師町ですくすく育つヤンチャ盛りの12歳。おじいちゃんやお父さん同様、海の男として生きることを素直に夢見ている。そんな穏やかな家庭のラジオからは、毎日のように難民救助に関する報道が流れるが、対岸の火事扱いでおしまい。命辛々たどり着いた難民たちも、島は一時避難と手続きのための窓口にすぎなくて、その後は個々の希望地へ向かう仕組み。ではなぜ映画は、接点のない2つの顔を、あえて平行線のまま提示し続けるのか―。

ある日、いつも元気なサムエレくんの左目が、弱視だと医者から診断される。本人も気づかぬうちに、世界の半分を見えないものとして過ごしていたらしい。そこで、サボっていた左目もしっかり使うよう矯正が始まる。サムエルくん、手作りのパチンコでいつも遊んでいるからなあ、片目を閉じて的を狙うクセが日常化していたのかな…などと、ボンヤリ見守る。

一方、避難民側のスケッチは、次第に惨劇の内側へ足を踏み入れ始める。生存できることが奇跡にしか思えない劣悪な船内、脱水症状で身動きが取れず死の淵に漂う人々、志半ばで袋に入れられた遺体の数々、そして黙々と処理に徹する施設関係者たちの横顔…。言葉を失う光景の連続。この世界で一体何が起きているのか、映画は対象との距離を絶えず一定に保ち、事実を事実として見せ続ける。しかし、カメラを回す監督が平穏なはずはなく、深いところで受けとめるために、ひとり堪えているのは察するに余りある。…とその時、あの見ようとしていなかったサムエレくんの左目が、時折り頭をもたげていた複雑な手触りが、フイにつながり始める…、我々も無関心の果てに世界を閉ざし、見えないものはないものと編集して生きているのではないかと―。そう、自己欺瞞の常態化に、はたと気がついてしまうのだ。

実は、接点のない同じ島の2つの動向に唯一立ち会う人間がいる。初老の医師である。彼だけが、サムエレくんの治療に当たる一方で、極限状態の避難民たちを保護し、夥しい数の亡骸を見届けてもいる存在だ。いわば映画は、作品の背骨となるキーマンを平行線の真ん中に配置し、正攻法で構える。ただし、医師の横顔をとてもさり気なく慎ましやかに捉えているため、リアルな現場の報告というより、悲喜こもごもな物語を口承する語り部のような印象を湛え、私はすっかり魅せられた。この映画、予測できないもの同士を結びつける知性もさることながら、観客の想像力を呼び覚ますための余白の取り方が素晴らしいのだ。すぐには見えないことも、どうつながり始め、何が紐解かれるかわからない魅力が本作では際立つ。だから、この世界の過酷な現実に対して、たじろぐだけでなく、わずかながらでも自らの思考を回して近づけた気がするのだ。

 最後にもう一つ忘れられない光景を書いておこう。それは料理上手で家庭的なサムエレくんのお祖母ちゃんが、ひとり寝室の片づけに勤しむシーンだ。大袈裟でなく、私は未だかってこんなに行き届いたベッドメイク術を見たことがない。家族のために何度も優しくシーツをなで、布のたるみを取り除き、新しい空気をまとわせるその手作業の美しいこと!ゆったりした時間に心が洗われて、全身がトロトロになった。ロージ監督は、こんな小さな営みこそ見逃さない。カメラを回し続ける。平凡な母性の振る舞いを通し、平和な漁師町の尊い日常を見事に表現している。そしてこの時、私の頭の中に、性も根も尽き果て茫然自失な表情でうずくまる、たくさんの難民女性たちの横顔が浮かび始めた…。地獄を見てきた彼女たちが、せめて1晩あの清らかなベッドで横たわれたら…。心ひとつだけ持って裸足で逃げてきた彼女たちが、肌触りのいいシーツに包まれて深い眠りに落ちる姿を、夢想せずにはいられなかった―。

『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島』
2016年/伊・仏/カラー/114分
監督/撮影   ジャンフランコ・ロージ
編集 ヤコポ・クワドリ

◆NU•E、その辺りのこと 2

17回の展示は、決まったフォーマットがあったというわけではなく、その時々の考えや思いつきなどを反映し、よく言えば自由であり、実験的なものであったと言ってもいいかもしれない。
 バライタという1時間ほど水洗をしなければならない印画紙を使うこともあったが、撮影しては展示の繰り返しで毎回時間に追われていたし、前日はおろか当日朝まで暗室をすることもあったから、水洗の簡単なRC印画紙を使うことの方が多かった。その場合、額装はせず、紙の上下にピンナップ用の余白を残し左右は裁ち落としにして虫ピンで止めた。
 四切の印画紙を壁に張り巡らせたときは、ヨコ位置を基本としセレクト、タテ位置のイメージはよりトリミングは必要となるが、印画紙2枚に露光し、ヨコ位置中心の展示のなかに混ぜたりした。また、ロール印画紙だけで構成した際は、10点も展示できなかった。展示した総数を正確に数えることは、今となっては不可能だが、カラーコピーなども駆使して一度に2、3百点を飾ったこともあるから、1000枚前後になるのだろうか。
 1年に4回、撮り下し、などということはいまではもう体力、気力がついていかないし、モチベーションも必要性も感じない。当時は当たり前に思っていたことが、いつのまにか当たり前ではなくなるということか。逆ももちろんあって、いまでは当たり前のことが、昔は当たり前ではなかったのだ。
 1995年の川崎市市民ミュージアムでの「another reality 現代写真の動向」展という企画展は、あたかもNU•Eの中間報告のようなものとなった。当時、サブカメラとして結構頻繁に使用していた6×6サイズは、ロール印画紙に焼き付け、35ミリは全紙にプリントした。展示下総数は77、8枚だったと思うが、100点くらい焼いた。すべて自家プリントだった。それを業者にカット、裏打ちしてもらって、裁ち落としのイメージで展示した。6×6はガラスのネガキャリアで周辺を入れて、フィルムの黒縁までプリントした。余白の全くない裁ち落とし(黒縁も絵柄なので裁ち落とし感覚)なので、虫ピンは裏打ちのボードの厚みにサイドから斜めに打ち付けた。
 額を使うこともなかったわけではないが、なぜだかプリントが剥き出しの方が好きだった。保護という意味でもガラスなりアクリルなりが間に入った方がいいのだということは理解できるものの、ピンナップの気軽さは捨てがたい。あくまで好みなので、絶対に、どうしてもという程ではないし、写真によってというよりむしろ場所によって、額の方がいいと思えることも多くなった。03はあくまで自分の場所で、自分が見るために作ったようなところもあって、そんなところなのだから、ふだん自分の写真を見るように飾りたいということだったのだろうと今は思う。

03FOTOSにて・1996年3月

川崎市市民ミュージアムでの展示・1995年−96年

◆NU•E、その辺りのこと 1

 NU•Eというタイトルで撮り下しの写真展を続けていたのは、1992年の終わりから1997年にかけてのことだった。03FOTOSという当時自ら開いていた場所で17回にわたった。03FOTOSはギャラリーとしての活動は、90年の10月から2001年の11月までだから、メインの展示だったといまになって思う。
 NU•Eに限らず、撮り下しは写真を発表していく常態だった。とりわけその頃は何を撮る、などと決めて撮影していたわけでもなかったので、来場者からテーマは何かと問われても答えるのが面倒くさかったし、特に撮りたいテーマが言葉にしてあるわけではなかったし、そういうことを最初に訊ねる風潮もつまらなかったので、心の趣くまま、視線の戯れるまま、いろんな物事を撮って詰められる箱的な言葉が必要だった。
 これは何度かインタビューなどで記事になっていることなのだが、フォトセッション(86-87)というグループの集まりの際に、写真を見てもらっていた森山大道さんに「君の写真はヌエみたいだね」と言われたのを、どうしたものか忘れがたく覚えていて、これはいいタイトルをもらったとばかりに使うことにした。英字にしたのは、ひらがなだとお腹に力が入らない感じで心許なく(95年の『日本カメラ』での連載では「ぬ•え」とした)漢字だと鵺、鵼となり、重たすぎるし読めない人もいるだろうから、初めから間口を狭めてしまう気がして避けた。アルファベットというのは意味と距離を置ける気がしたし、言葉であって言葉を断裁するような多重さを伝えやすかったように思ったのだろう、また多少のカッコ付けや案内状のデザインのしやすさやなども手伝って、とにかくNU•Eという表記でスタートしたのだった。
 17回の内訳は、92年の12月が最初で、93年、94年、95年は年に4回、96年は3回、そして97年に約一年振りに17回目を「ラストラン」と称して行っている(95、96年あたりから写真集を考え始め、ラストランは写真集の発売と同時であったので、新作ばかりではなく、写真集からのダイジェストという要素もあった)。
 最初のうちは写真集にあまり興味が持てなくて、撮り下しで展示をすることがとにかく面白かったのだが、95年に川崎市市民ミュージアムの「現代写真の動向/another reality」に参加したり、96年に石内都さんと「main」という雑誌を作り始めたりして視野が広がったり、印刷物の面白さや有難みがようやく分かったせいもあったかと思うのだが、おそまきながら写真集を作ることになった。編集作業はなにせ枚数が多いので難儀を極めたと記憶している。展示した写真は、カラーコピーやロール印画紙などというイレギュラーなものを含めなくても優に数百点はあった。当時はネガ現像をし、ベタを取ってそのままセレクト、半切や全紙や大全紙にプリントしたので、バイテンの試しプリントがなく、それに写真集がバイテンよりもイメージサイズが大きかったこともあり、大四つに焼き直したりした。現在であれば、あのような労力は不要なのかもしれないが、20年も前のことである。部数は1300、当時の自費出版物としては多かったかと思う。2冊目を作るなど考えもしなかったので、唯一の写真集なら一生かけて売っていけばいいという気持ちだったのだろう。

■『ヒッチコック/トリュフォー』

年の瀬に、まさかこ~んなにとっておきの贈り物が届くとは!

映画に魅せられた人々が通過儀礼のように読みふけり、愛してやまない本がある―『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』だ。1962年、新進気鋭のフランス人映画監督フランソワ・トリュフォーが、30歳以上も年の離れたサスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックに熱烈なラブコールを送り、50時間に及ぶインタビューを実現させ、4年後、映画史に残る伝説の一冊を世に送り出した。そして、“あなたが世界中で最も偉大な監督であると、誰もが認めることになるでしょう―”と、トリュフォーが宣言した通り、完成したインタビュー本は各国で翻訳され、ヒッチコックを唯一無二の映画作家であり、真の芸術家だと世界中に知らしめすこととなったのだ。  

はい、もちろんわたしの本棚にもデーンと鎮座している。1988年頃かな…上前津の古本屋で購入して以来、何度紐といたかわからない。デカくて場所をとるのに(汗)、未だに手放す気にはなれませんね。シネフィル(映画狂)でなくても、ヒッチコック作品を未見の人でも、誰が読んでも文句なく楽しめる1冊である。そんな至宝が、出版されて50年経た今、なんとドキュメンタリー作品に衣替えし、再び我々の元に届けられることに―。実際の動画記録は残っていないものの、貴重なインタビュー音源や対話時の写真が公開される一方で、名だたる現役映画監督10人が登場し、本から受けた影響や、作り手側からのヒッチコック礼賛が事細かに語られるという贅沢な構成である。監督はケント・ジョーンズ。まったく君はエライよ!

さてここからは映画の具体的な感想を記しておこう―。まず本では、対談と写真で構成された一作品ごとの解説(制作秘話)が、映画では実際の映像を見ながら目と耳で確認できるわけで、インパクトはやはりデカかった。当時の本としては写真資料が画期的に多く、それゆえ映画の教科書として重宝されただろうが、そりゃあホンモノの動くシーンを例題で用いた方が手っ取り早いにきまってる。ただし、本の忠実な映像化だけでは、すぐに見飽きてしまっただろう。受け手の想像力が喚起されないまま流されてゆくだけの、単なる映画鑑賞ガイドでお役目終了だから。つまり本は、動くメディアを静止させ、映画作品を原初の姿(連続撮影)で並べたからこそ、ヒッチコックの大胆な手法が明らかになった―と、映画化によって逆に教えられる結果となったのだ。
また一方で、本の構成を新たに組み替えて、映画向きのUPテンポのリズムに編曲してお披露目している演出が、実に楽しかった。本には出てこない2人の個人史を組み入れたり、本の一節にマーカーを引っぱったり、撮影現場の様子や販促写真の活用など、めくるめく多彩なコラージュで敷居を下げ、専門性より好奇心に薪をくべて進行する。観客心理に絶えず目配せしたヒッチコックを紹介するにふさわしい仕立てだ。意外な作品がバッサリ割愛されていたりもするが(汗)、それもまた一興。むしろどんなにランダムにつなぎ直しても、一つずつのパーツの磁力が強くて求心力はまったく揺るがない。何を見てもちょっと怖いくらい、ヒッチコック・タッチが漂い出てくるのには心底驚いた。それでも監督冥利に尽きただろうなあ…。師の本で学んだテクを、師の胸を借りて駆使できたのだから―。それに、インタビューに応じた現役監督の豪華な顔ぶれから察するに、これほどの人選が可能で、映画史に踏み込める仕事が許されるのだから、きっと映画からも愛されている人に違いない。トリュフォーは映画を1本撮る構えで準備し、インタビューに臨んだというが、そんな50年前のパッションが今こうしてK・ジョーンズ監督に継承され、再燃している事実に胸を打つのである。でもって、現役監督たちが、夢中になってイイ話をするの!映画の中に、本の形式を入れ子細工的に挿入させているのだが、誰もみな映画少年魂を全開にするとともに、 “映画とは何だ?”という命題と向き合う同業者ならでは思考が垣間見られて、目が離せなかった。私が一番ハッとしたのは、黒沢清のコメント―作家性でいうと極端にはじっこにいる人―だ。“映画は観客のもの”が大前提で、観客にいかにウケるかを目的に映画技術をフル活用した作家が、誰よりも異端なクリエイターだという一見矛盾するような話…、でも確かにそれこそが、ヒッチコックなのだと共感したのだ。

ここで私個人のエピソードも書き加えておこう。私がティーンエイジャーだった70年代後半は、映画はテレビで見るものだった。映画と言っても、オリジナル作品からは程遠い、ザクザクに短縮された吹替版だ。ヒッチコック作品も、かつてヒットした映画がお茶の間に流れる形で頻繁に目にしていた。その後、本格的に映画に興味を持ち始め、80年にイギリス時代の秀作2本立て―『バルカン超特急』(38)と『逃走迷路』(42)を、ようやく劇場で目撃したときは興奮したなあ…。娯楽映画だし…などと悠長に構えていられるスキ間は一ミリもなく、映画そのものが迷路と化し、身体ごと映画内に引っ張りこまれる感覚を味わったものだ。しかも亡き父とふたりで見た最初で最後の映画なのよね―。やがて『映画術』との出会いである。タイミングよく、レンタルビデオ店の大盛況時代だったから、入手できるソフトを片っ端から借り、読んでは見て&見ては読んでを繰り返したっけ(笑)。特に『めまい』(58)に関しては、いつもの素早い展開が姿を潜め、なぜこれがミステリアスなのか、いまいちピンとこなくて、本を読んでようやく男性心理とファム・ファタールを結びつける映像マジックが理解できた記憶がある。本作でも厚みを持たせて追跡しているが、ジェームズ・スチュアート演じる主人公の落胆と歓喜が交差する表情を、スクリーンいっぱいで再見するのはかなりの特典!男性客は文句なく感情移入してしまうだろう(笑)。

そして最後に、本も映画も触れていない注目ポイントを追記しておこう。ヒッチコック映画が今も艶っぽく輝いている理由は、ヒロインのビジュアル設計にある。特に忘れちゃならないのが衣装だ。先の『めまい』をはじめ、『汚名』『裏窓』『泥棒成金』『北北西に進路を取れ』『鳥』etc…ヒッチコックがハリウッドへ渡ってから手掛けた多くの傑作で、あの“ドレス・ドクター”イディス・ヘッドが衣装を担当しているのだ。彼女は、ヒッチコックが理想とする女性のイメージ“昼間は上流階級の洗練された淑女でありながら、寝室に入ったとたんに娼婦に変貌する女”を、カンペキに具現化!衣装によって、セリフ以上に雄弁にヒロインの状況を物語り、映画のマジックを補強する役割を見事にこなしていたのだ。そんなイディス女史の仕事ぶりに感嘆したわたしは、かつてイラストと文章で備忘録にまとめた経験がある(汗)。20数年前に作ったそのファイルは、いま見返すとかなりこっ恥ずかしい代物だが、目の付け所だけは今もさして変わらず(進化していない証拠でもあるが)…。そう、ヒッチコックの映画作りの極意は、わたしのような一映画愛好家の視座にも多大な影響を与えた。さらに言えば、本作を眺めながら、脈々とつながる映画史の末端に、じぶんも机を置いて在籍しているような、そんな幸福感に包まれたのだった。あー、しんぼうたまらん(汗)。レンタル屋に足を向けなくなってずいぶん経つが、DVDでいいから、あのとんでもなく優美なハッタリ世界の数々を、今すぐ見直したい!

「めまい」

『ヒッチコック/トリュフォー』

2015年/仏・米/カラー/80分

監督/脚本    ケント・ジョーンズ
ナレーション マチュー・アマルリック
音楽     ジェレマイア・ボーンフィールド

キャスト  マーティン・スコセッシ
       デビッド・フィンチャー
       黒沢 清

◆石原さんのこと

 ちょうど1年ほどまえ(2015年12月上旬)、ベトナムから帰国して帰宅した瞬間に電話が鳴ったので、しかもそれがツァイトフォトサロンの石原さんだったので、よく覚えているのだが、ふだんから携帯もろくに着信に気づかないのに、そのタイミングの絶妙さに南国帰りのムードは弾けとび、師走の東京モードに戻されて背筋がピンと伸びた。用件は、預かっている猫の写真、これぼくの部屋に飾りたいから譲ってくれないか、ということだった。2年ほど前に、初期のモノクロをまとめて見せて欲しいと言われ、そのまま預けていたのだった。ネコ、と言われても、瞬時には思いつかなかったのだけど、というより複数のネコ写真があるのではないかと思ったのだ。その後、プリントを撮影した画像が送られてきて頭の中でいちばんに思い浮かべた一枚と一致したものの、当時は毎回ネコを展示するくらいによく撮っていた。
 「春は曙」というタイトルで3回連続の個展をやったときのプリントだった。1989年当時のいわゆるヴィンテージというもので、仕舞いっ放しになっていたものをセレクトするのに開けたときには、その不器用さというかヘタさというか、我ながら呆れてしまったものである。とはいえ、紙が現在入手可能なものと全然違うし、ネガの濃さも相当で、どうあがいても今となっては焼きようがない出来の代物だった。ヴィンテージという言葉くらいは知っていたものの、価格の設定などまともに自分でしたこともなかったし、なんとなくバラバラにしたくなかったこともあって、即座には返事することはできなくて、結局そのまま気にしていたものの値付けはおろか、諾否すらはっきりさせることもしなかったのでウヤムヤになってしまったと思っていた。暮れに石原さんが入院したことを知ったのは、年が明けてからだった。思えばその電話のときの声も、かすれ気味で力のないものではあったけれど、口調がいつも通りだし前向きさがにじみ出ていたので、あまり気には止めなかった。
 イルテンポも含めると片手では足りないくらいの個展をさせていただいた。写真で食べていくなどということが想像だにできなかった時代に、プリントをいとも簡単にお金に換えていくように見えた石原さんはマジシャンのようでもあった。自主ギャラリー時代にも、写真を購入してくれる奇特な方がゼロではなかったものの、値段の付け方が違っていた。写真ってこんなふうに売っていいんだと認識を新たにもした。それまでの写真とのスタンスが変わるわけではなかったが、別のスタンスがあり、いろんな立場を駆使してみなやっていっていることを知れたのも大きかった。どうせ1回か2回でお終いだろうと思っていたら、けっこう続いて、イルテンポとツァイトフォトの同時展示の予定が決まりかけていたとき、イルテンポの和子さんが倒れられたので、それは叶わなかったが、その時の閉廊の素早さは印象に残っている。
 書き出せばキリがないのだけれど、こんな拙い文章のきれぎれの断章よりも遥かに石原さんの声が甦ってくるような本が出版されたので、その紹介を少し。ツァイトのスタッフを一時期やっておられた粟生田弓さんが著した『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト•フォト•サロン』(小学館、2016)。事実よりも真実が迫ってくる。と書くと語弊があるが(内容が事実でないというのではない)、石原さんの語りを元にしているため、どうしても記憶違いとか思い出せないこととかもあったろうことは容易く想像できる。それでも相当に準備をしてインタビューした(された)と推察するが、また石原さん特有のブラウ(というか洒落、ダンディさか)までが再現されていて、そのあたりへの注意深さも怠りなく、とくに前半のパリを中心としたあたり、深く聞き、丹念に甦らせ、さらに裏付けて、西洋写真の入口ともいえた時代の雰囲気を伝えている。