『ありがとう、トニ・エルドマン』

『ありがとう、トニ・エルドマン』は、見ようか止めようか迷った作品。割と早くからチラシは目にしていたが、タイトルがビミョーだわ、毛むくじゃらの妖怪イラストの意味がわかんないわ、キャッチもつかみどころがないわで、判断に困っていた。

監督でも役者でも観客を呼び込めない…それもドイツ映画(汗)。配給会社も悩んだのか、世界各国の映画賞を総なめにした戦歴を、チラシ面積の半分に書き並べ、ありがたみデコレーションで間をもたせている。違う、違う!この華やかな戦歴が、むしろドン引きさせる要因なんだから~。一体この映画は何モノなんだ?と敷居が高くなる一方だろう~。

そのうえ予告がいただけない(汗)。噛み合わない父と娘の“やさしさごっこ”が前面に押し出され、いかにもハートフルな人情喜劇にパッケージ。「…で?それがどうした?」と、思わず突っ込んでやりたくなったのは、私だけではないはずよ。ただ1点、2時間半以上(162分)もある、クソ(失礼!)長い映画だという点がやけに引っ掛かり、【女の監督】が【長編で勝負】して、【世界中を熱狂】させたという、それまでほとんど聞いたことがない事例を目撃しようと、重い腰を上げたのである―やれやれ。

「へーっ、そうきたか!」映画は冒頭から、予告のトーンとはまるで異なり、音なし、オチなし、笑いなし(爆)。ケッタイな行動をとるオヤジの出現に、「このリズムで2時間半、最後まで耐えられるか…」と気を揉むほど奇怪だ。最初に暴露しておくと、これは噛み合わない父娘の物語というよりは、それ以前に、映画の振る舞いと我々観客の呼吸が終始噛み合わない2時間半なのだ。「まどろっこしいのダメ。わたしのリズムに合わせてくれなきゃイヤ~!」…と、性急に決着を付けたい方は、どうぞスルーしてお昼寝でもしてください。問題ないです(笑)。でも、「親子ってめんどくさいなあ…、できればまともに向き合わず、ずっと保留にしていたいなあ…」と、厄介ごとを引き伸ばしにする性分の方には、強力にお薦めしたい。笑えない、突飛すぎる…とぼんやり眺めるうち、いつしか “いずこも同じ秋の夕暮れ”心境にたどり着き、やんわり慰められるというファニーな映画なんですよ!

ヒロイン・イネスの両親は、離婚してすでに長い月日が経ち、父は音楽の先生をしながら、老いた母親と犬一匹と暮らす毎日。ところがこのオヤジ、道化の役回りをしないことには、他者とまともに会話ができない変わり者。誰に頼まれるでもなく、自ら進んで世の中をユーモアと温かみで満たすべく孤軍奮闘している様子だが、その横顔はまるでゴルゴタの丘を登るイエスのように痛ましい。一方、里帰りした娘イネスは、大手コンサル会社で働く30代後半の独身社畜。顧客の信頼を勝ち取るため、こちらもある意味父同様に、自ら進んで孤軍奮闘しているが、思うようなキャリアパスを描けず、内心焦っているのはミエミエ。

そんな親子が、久しぶりに一緒の時間を過ごすことになる。イネスの誕生日を祝おうと、父が赴任先のブカレスクへひょっこり訪ねて来たからだ。怖いよね~、父親が連絡もなしに職場のロビーでウロウロしていたら(汗)。だってサラリーマンって、職場で疑似家族めいた関係を演じているでしょ。そこに本当の家族が舞い込んだら、どっちの顔つきで舞台に上がったらいいのかドキマギしないか?多国籍企業相手に澄まし顔でバリキャリやってるイネスが、思わず素無視してしまうのも無理はない。しかもコイツは、空気「読めない」というより、「読まない」爆弾オヤジ。一ヵ月も休みとって来られたら、マジに困惑するよな…。愛犬に死なれて落ち込んでる父を邪険には扱えないが、スケジュールはパツパツ。そこでイネスは無謀にも、自分のアポに父を同行させてお茶を濁そうと画策する―。

父親同伴の接待って…マジですか?我々の心拍数はイッキに上昇、気が気でない。そもそもこの映画、面白おかしく軽妙に進めるのを定石とするスケッチで、あえて句読点をつけたりなんかして、どうでもいい箇所をイチイチ間延びさせて語り、常にムズ痒い。変化球の連投が、ギャグにもシリアスにも受け取れてしまえる仕立てなのよ。つまり、それでなくても照れ臭い親子の関係が、さらにバツの悪い絵にデフォルメされ、悲劇と喜劇が紙一重状態に映し出される。まさかブカレスクのショッピングモールを眺めながら、小津安二郎の『東京物語』(’53)を思い浮かべるなんて、予想だにしなかったわ、ふーっ。

結局、大切な商談に失敗したイネスは、ブチ切れて父を追い返してしまう。親子の遠慮と甘えが極端な形で露呈するこのくだりは、前半戦のハイライトといえるだろう。では、再会→接近→戸惑い→怒り→決別までまとめ切り、このあと映画は何をお披露目するのかというと…はい、後半戦では帰国したはずの父がトニ・エルドマンと名乗り、ご丁寧に変装までして、娘の行く先々に出没するというトンデモ話へ展開。そしてここからのしつこさが本作のキモだ!

四六時中社内評価に過敏なイネス、汚れ役も厭わずに顧客の下僕と化すイネス、SEXも飲み会もパワーゲームに見立てて処理するイネス、ビジネス以外の文脈に対応できずツイ熱唱してしまうイネス…。現代を闊歩する娘の様々な側面が、滑稽ななりをしたトニ・エルドマンの出現によって、お約束の虚無と享楽の構図で炙り出されるというダンドリ。しかし従来の映画と大きく異なり、ここには特効薬も出てこなけりゃ、内なる声も描かれない。そうイネスは、常にドタバタして疲れてはいるが、タスク管理をしているだけで考えて生きていないから、疑問は持たないし、じぶん以外の世界を想像すらしていない。父に指摘された通り「おまえは人間か?」状態なのだ。そして、ヒロインを宙ぶらりんなまましつこく走らせ続け、お手軽に覚醒させないところが、この映画の良心にもなっているのだ。

やがて、愚直なマシンの彼女が、あの手この手を使って揺さぶられながら、ようよう少しだけじぶんの中の他者性に気づき始める。メンバー・フォローのために開いたホームパーティーで、“あれ?もしかして、わたしのガンバリってスンゲーくだらない?…”と、突如タガが外れ出すのだ。それも、タイトでゴージャスなワンピースのファスナーが閉まらなくて七転八倒するその瞬間にだ!女の監督でなければ絶対に描けないリアリティの横溢。女芸人たちも嫉妬しそうなほど突き抜けたこの全裸もてなしシーンは、切なく意表をつき、我が映画史にしかと刻印されましたよ~。美人が身に染みない女優サンドラ・フラー★、御見それいたしました(ぺこり)。

 父と娘は似たもの同士、親子揃って含羞の人だった。めんどくさい作業を経ないことには、「ありがとう」の一言さえ、まともに伝えられない距離感なんだよね。よって、裸と毛むくじゃらだからこそできたハグ。なーんだ、ドイツ人も親子を語ることがこっぱずかしかったりするんだあ…、そして世界中の人たちも照れくささに共鳴したんだあ…ちょっと意外だったわ(笑)。それでも、父を亡くしてすでに9年経つわたしが、もうじぶんには「守ってくれる父」はいないんだという事実を、今さらながら思い起こした映画でもあった。自転車の乗り方も、跳び箱も、逆上がりも、何度も父にダメ出しされ(汗)、しつこく伴走してもらい、できるようになったっけ…。そんな記憶がフト蘇ったのも、162分という長丁場だったからだ―。宝物を紐解くには時間がかかる…贅沢な体感だったと思わずにいられない。

この映画こそ、仕事サボって行くべき1本(爆)、ぜひ★
 

『ありがとう、トニ・エルドマン』
2016年/ ドイツ=オーストリア/カラー/162分
監督・脚本   マーレン・アデ
撮影      パトリック・オルト
編集      ハイケ・パープリース
キャスト    ペーター・ジモニシェック サンドラ・フラー

■バンコクナイツ

ほーっ、山梨の次はタイですか―。

富田克也監督は、雲の上から、タイの首都バンコクへ舞い降りた。新作『バンコクナイツ』で、自らドラマの鍵を握る元自衛隊員オザワ役を演じ、実に気持ちよさそうだ。―ってことは、おそらく本人の体内スイッチをONにさせる何か強い磁性みたいなものを、この地に発見したに違いない。監督、もはや日本のしがらみにお腹いっぱいですか?日本の女ももう要らない?(笑)いや、土地に妄想する方が何倍もテンションが上がってしまう作り手だから、河岸を変え、漂泊者になるのは自然の成り行きね。本作では、バンコクからイサーン(タイの東北地方)、そしてラオスへと、地霊の気配に全身をそばだてながらの移動撮影を敢行。3時間3分。作り手側からすると、これでも足りなかったかもしれない。だって監督が手繰り寄せたいのは、いつだって目に見えない不確かなものだから―。

とはいえ、「目に見えない不確かなもの」を吟味してもらうには、「目に見える生臭いもの」で客を呼び込む必要がある。そこで映画が最初の舞台に選んだのは、バンコクにある日本人専門歓楽街“タニヤ”だ。へーっ、こんなにわかりやすいメイド・イン・ジャパンの楽園が存在し、毎夜盛況とは!知らなかった。これ以上呼び込みにふさわしい絵はないのでは?ひな壇、電飾、美少女アイドル風ビジュアルのタニヤ嬢たちと、たどたどしい日本語の接待が、ある意味アナログな様式美として映し出される。行ったこともないのに「日本男子諸君の大好物だよな~」とリアルに感じるのは、そこに目新しいアイテムが一つもないからだ(苦笑)。慣れ親しんだ空気に漂いながら、思考を停止して楽しめる一晩だけのアバンチュール。お気軽かつお安く、ストレスなしに“ごっこ”ができる場所を、今も昔も日本男子は楽園と呼ぶのだろう。もちろん背後には、楽園そのものを金のなる木に見立て、一儲けを企む有象無象たちがどっさり集結。つまりは、旦那と太鼓持ちの役割分担で、楽園という名の市場も成立しているわけだ。

そんな夜の街の人気NO.1タニヤ嬢がヒロインのラックである。イサーンの貧しい田舎町から、身体ひとつを資本に出稼ぎに出て5年経つラックは、絶えずブーたれている。サービス外の要求をねだる男たちを、「メンドくさい」「キモチわるい」「クサい」と、一昔前の女子高生のようなノリでののしる。彼女を苛立たせるのは客だけじゃない。薬物中毒の母から携帯に入る金の無心にも気が滅入り、日本人のヒモ男・ビンに当たり散らす毎日。どいつもこいつも、私にねだり放題、もういい加減にしてよ!…これがラックの本音だろう。限界寸前のラックは、ある夜、まだウブだった頃に愛しあったオザワと偶然再会する。今のオザワは、日本を捨ててネットゲームと使い走りで日々をしのぐ沈没組。いわば名うての“花魁”に昇格しているラックとは、身分違いの間柄になっているのだが、この再会を機に、彼女は人生の潮目を変えようと動き出す。NO.1タニヤ嬢を封印し、ラオスへ向かうオザワに同行。出たとこ勝負の2人旅が始まる―。

電飾から自然光へ―。バンコクを出た2人は、ラックの故郷・国境の町ノンカーイへ到着する。かつての恋人同士が元カノの故郷を訪れ、純朴な大家族から、心づくしの歓待を受け、田舎の緩やかな時間に心身ともに寛ぐ…絵柄としてはそんな風に見えなくもない。アダージョ風アレンジで原点回帰パートですかね? いやいや、そう簡単に片目をつぶれないのが、空族と富田監督の流儀だろう。2人を通じて田舎暮らし礼賛をするつもりもなければ、社会学者気取りで、都市との比較を論じるために遠出させたわけでもない。男は金になる不動産商売のネタ探し、女は大切な家族をどう守るか、それぞれの現実問題ありきで移動させたに過ぎない。いうなれば、田舎は借景。場所を変えようが、言葉使いを改めようが、どこまでもじぶん本位な2人を、平行線のまま放り出す。青臭いほど、ロマンチック要素ゼロ(笑)。でもむしろ、そこにこの長旅の新味はある。

地霊の気配に導かれるようにひとり国境を越え、ラオスに足を延ばすオザワ。家族へ注ぐ愛情がことごとく皮肉を招いてしまうラック。やがて男は蛮行の歴史を我が事として顧み、女は凌辱された歴史を我が事として偲ぶ。目に見えないものに導かれるまま、宙吊りで世界を見渡すこの滔々と流れる時間が、とてもいいのだ。特に魅かれたのは光の捉え方。都会の闇にねっとり輝く人工の光と、赤と青の粒子が激しくせめぎ合う田舎の太陽光の2つを、これまた追い駆けあう男女のように妖艶に差し挟み、我々を映画の時間に溶け入らせるのだ。

『バンコクナイツ』は、オザワとラックを隠喩として、歴史の因果を想像する刺激に満ちている。その仮説のすべてが上手くハマったとは言えないが、作り手側の身体で過去と今につながる世界を分光し、可視できないものまでも拾い上げようとの姿勢は、さらに剛毅なものになってきた。ラストで、色彩を絞り込み、月光の下で綴られる青一色の救出劇はその最もなものだろう。合意形成に至る道のりは長く険しいが、空族なら自ら透明になって、世界のどこへでも舞い降りられる…もはや彼らは撮り続けるしかない。

バンコクナイツ

2016年/ 日本・フランス・タイ・ラオス合作/カラー/182分
監督/脚本  富田克也
撮影     向山正洋 古麿卓麿
脚本     相澤虎之助
キャスト  スベンジャ・ポンコン 伊藤仁 

●本を出版しました

久々の更新です。

そして、宣伝です。

初めての著作を出版しました。
『言葉の果ての写真家たち 1960ー90年代の写真表現』
というタイトルです。

発行は青弓社になります。

http://www.seikyusha.co.jp/wp/books/isbn978-4-7872-7399-4

サイトも用意しました。
http://wordandimages.com/wp/

お手に取っていただけると幸いです。

■『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』

『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』は、第66回ベルリン国際映画祭の金熊賞受賞作。ドキュメンタリー映画で初の最高賞に輝いた注目の作品である。

“世界一位の絶景”と謳われる美しい海に囲まれたイタリア最南端の島、ランペドゥーサ。監督のジャンフランコ・ロージはこの小さな漁師町に1年半移り住み、住民たちと暮らしを共にしながら本作を撮ったという。ところが幕開け早々不思議な心持になる―「あれ?ドキュメンタリーじゃなかったっけ?…」と―。島の少年サムエレくんが、何やら木の枝ぶりを熱心に眺めまわし、ついにはナイフで切り落とすシーンから始まるが、その様子に劇映画(フィクション)の萌芽を感じさせるからだ。サムエレくんが、カメラの存在をまったく意識していないせいもあるが、かといって演技にも見えないので、「何これ?」と思う。子供の無邪気な遊び時間にしては、切り取り方に陰影が漂い、何だろうこの固いしこりみたいなものの正体は…、いったい何が内包されているのだろう…と、複雑な手触りにひとり気を揉んだ。

続いて映し出されるのが夜の海と無線の交信。救助を懇願する叫び声の主が、避難民たちを乗せたボートからだとすぐに察せられる。しかし、危険を顧みず母国から避難する話は、ニュースとしては伝わっていても、リアルな救助要請の交信をまともに耳にしたのは初めてだ。声だけなのに、いや声だけだからこそ、命がけの世界が突如目の前に出現するようで、じぶんでも意外なほど動揺した。ランペドゥーサは、北アフリカから最も近い欧州に位置するため、アフリカや中東からの難民や移民が、最初にたどり着く“希望”の玄関口にあたるらしい。それゆえ、20年間で40万人の難民がすし詰め状態で海を渡り、1万5000人もの溺死者が出ている海難事故現場の最前線でもある。もちろん、そんな詳細情報は鑑賞後に目にした資料から得たもの。わたしは丸腰で、緊迫した状況をひたすら追いかけるだけだった―。

こんなふうに映画は、同じ島の2つの動向―「漁師町の平穏な日常」と、「難民たちが背負う過酷な運命」―を交互に映し出し、終始落ち着いたトーンで進行する。例えば、どちらか1つの設定なら、ある意味、定型化された方法だ。陽光まばゆい南仏の漁師町に暮らす少年の成長ドラマで1本、避難民たちの現状告発ルポで1本というように。同一舞台を対照的なフォーマットで描いても、どちらも飲み込みやすい。いや、2つの内容を抱き合わせ、ちょっと見せ場の多い社会派ドラマにだって、容易くイメージできる。島育ちの少年と異なる世界との交流には、柔軟性も持たせられるしね。ところが映画は、そんな推測を軽々と越えたところでさざ波を立たせる。

まず2つの動向には接点が一切ない。それが現実だからだ。サムエレくんは、自然豊かな漁師町ですくすく育つヤンチャ盛りの12歳。おじいちゃんやお父さん同様、海の男として生きることを素直に夢見ている。そんな穏やかな家庭のラジオからは、毎日のように難民救助に関する報道が流れるが、対岸の火事扱いでおしまい。命辛々たどり着いた難民たちも、島は一時避難と手続きのための窓口にすぎなくて、その後は個々の希望地へ向かう仕組み。ではなぜ映画は、接点のない2つの顔を、あえて平行線のまま提示し続けるのか―。

ある日、いつも元気なサムエレくんの左目が、弱視だと医者から診断される。本人も気づかぬうちに、世界の半分を見えないものとして過ごしていたらしい。そこで、サボっていた左目もしっかり使うよう矯正が始まる。サムエルくん、手作りのパチンコでいつも遊んでいるからなあ、片目を閉じて的を狙うクセが日常化していたのかな…などと、ボンヤリ見守る。

一方、避難民側のスケッチは、次第に惨劇の内側へ足を踏み入れ始める。生存できることが奇跡にしか思えない劣悪な船内、脱水症状で身動きが取れず死の淵に漂う人々、志半ばで袋に入れられた遺体の数々、そして黙々と処理に徹する施設関係者たちの横顔…。言葉を失う光景の連続。この世界で一体何が起きているのか、映画は対象との距離を絶えず一定に保ち、事実を事実として見せ続ける。しかし、カメラを回す監督が平穏なはずはなく、深いところで受けとめるために、ひとり堪えているのは察するに余りある。…とその時、あの見ようとしていなかったサムエレくんの左目が、時折り頭をもたげていた複雑な手触りが、フイにつながり始める…、我々も無関心の果てに世界を閉ざし、見えないものはないものと編集して生きているのではないかと―。そう、自己欺瞞の常態化に、はたと気がついてしまうのだ。

実は、接点のない同じ島の2つの動向に唯一立ち会う人間がいる。初老の医師である。彼だけが、サムエレくんの治療に当たる一方で、極限状態の避難民たちを保護し、夥しい数の亡骸を見届けてもいる存在だ。いわば映画は、作品の背骨となるキーマンを平行線の真ん中に配置し、正攻法で構える。ただし、医師の横顔をとてもさり気なく慎ましやかに捉えているため、リアルな現場の報告というより、悲喜こもごもな物語を口承する語り部のような印象を湛え、私はすっかり魅せられた。この映画、予測できないもの同士を結びつける知性もさることながら、観客の想像力を呼び覚ますための余白の取り方が素晴らしいのだ。すぐには見えないことも、どうつながり始め、何が紐解かれるかわからない魅力が本作では際立つ。だから、この世界の過酷な現実に対して、たじろぐだけでなく、わずかながらでも自らの思考を回して近づけた気がするのだ。

 最後にもう一つ忘れられない光景を書いておこう。それは料理上手で家庭的なサムエレくんのお祖母ちゃんが、ひとり寝室の片づけに勤しむシーンだ。大袈裟でなく、私は未だかってこんなに行き届いたベッドメイク術を見たことがない。家族のために何度も優しくシーツをなで、布のたるみを取り除き、新しい空気をまとわせるその手作業の美しいこと!ゆったりした時間に心が洗われて、全身がトロトロになった。ロージ監督は、こんな小さな営みこそ見逃さない。カメラを回し続ける。平凡な母性の振る舞いを通し、平和な漁師町の尊い日常を見事に表現している。そしてこの時、私の頭の中に、性も根も尽き果て茫然自失な表情でうずくまる、たくさんの難民女性たちの横顔が浮かび始めた…。地獄を見てきた彼女たちが、せめて1晩あの清らかなベッドで横たわれたら…。心ひとつだけ持って裸足で逃げてきた彼女たちが、肌触りのいいシーツに包まれて深い眠りに落ちる姿を、夢想せずにはいられなかった―。

『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島』
2016年/伊・仏/カラー/114分
監督/撮影   ジャンフランコ・ロージ
編集 ヤコポ・クワドリ

◆NU•E、その辺りのこと 2

17回の展示は、決まったフォーマットがあったというわけではなく、その時々の考えや思いつきなどを反映し、よく言えば自由であり、実験的なものであったと言ってもいいかもしれない。
 バライタという1時間ほど水洗をしなければならない印画紙を使うこともあったが、撮影しては展示の繰り返しで毎回時間に追われていたし、前日はおろか当日朝まで暗室をすることもあったから、水洗の簡単なRC印画紙を使うことの方が多かった。その場合、額装はせず、紙の上下にピンナップ用の余白を残し左右は裁ち落としにして虫ピンで止めた。
 四切の印画紙を壁に張り巡らせたときは、ヨコ位置を基本としセレクト、タテ位置のイメージはよりトリミングは必要となるが、印画紙2枚に露光し、ヨコ位置中心の展示のなかに混ぜたりした。また、ロール印画紙だけで構成した際は、10点も展示できなかった。展示した総数を正確に数えることは、今となっては不可能だが、カラーコピーなども駆使して一度に2、3百点を飾ったこともあるから、1000枚前後になるのだろうか。
 1年に4回、撮り下し、などということはいまではもう体力、気力がついていかないし、モチベーションも必要性も感じない。当時は当たり前に思っていたことが、いつのまにか当たり前ではなくなるということか。逆ももちろんあって、いまでは当たり前のことが、昔は当たり前ではなかったのだ。
 1995年の川崎市市民ミュージアムでの「another reality 現代写真の動向」展という企画展は、あたかもNU•Eの中間報告のようなものとなった。当時、サブカメラとして結構頻繁に使用していた6×6サイズは、ロール印画紙に焼き付け、35ミリは全紙にプリントした。展示下総数は77、8枚だったと思うが、100点くらい焼いた。すべて自家プリントだった。それを業者にカット、裏打ちしてもらって、裁ち落としのイメージで展示した。6×6はガラスのネガキャリアで周辺を入れて、フィルムの黒縁までプリントした。余白の全くない裁ち落とし(黒縁も絵柄なので裁ち落とし感覚)なので、虫ピンは裏打ちのボードの厚みにサイドから斜めに打ち付けた。
 額を使うこともなかったわけではないが、なぜだかプリントが剥き出しの方が好きだった。保護という意味でもガラスなりアクリルなりが間に入った方がいいのだということは理解できるものの、ピンナップの気軽さは捨てがたい。あくまで好みなので、絶対に、どうしてもという程ではないし、写真によってというよりむしろ場所によって、額の方がいいと思えることも多くなった。03はあくまで自分の場所で、自分が見るために作ったようなところもあって、そんなところなのだから、ふだん自分の写真を見るように飾りたいということだったのだろうと今は思う。

03FOTOSにて・1996年3月

川崎市市民ミュージアムでの展示・1995年−96年

◆NU•E、その辺りのこと 1

 NU•Eというタイトルで撮り下しの写真展を続けていたのは、1992年の終わりから1997年にかけてのことだった。03FOTOSという当時自ら開いていた場所で17回にわたった。03FOTOSはギャラリーとしての活動は、90年の10月から2001年の11月までだから、メインの展示だったといまになって思う。
 NU•Eに限らず、撮り下しは写真を発表していく常態だった。とりわけその頃は何を撮る、などと決めて撮影していたわけでもなかったので、来場者からテーマは何かと問われても答えるのが面倒くさかったし、特に撮りたいテーマが言葉にしてあるわけではなかったし、そういうことを最初に訊ねる風潮もつまらなかったので、心の趣くまま、視線の戯れるまま、いろんな物事を撮って詰められる箱的な言葉が必要だった。
 これは何度かインタビューなどで記事になっていることなのだが、フォトセッション(86-87)というグループの集まりの際に、写真を見てもらっていた森山大道さんに「君の写真はヌエみたいだね」と言われたのを、どうしたものか忘れがたく覚えていて、これはいいタイトルをもらったとばかりに使うことにした。英字にしたのは、ひらがなだとお腹に力が入らない感じで心許なく(95年の『日本カメラ』での連載では「ぬ•え」とした)漢字だと鵺、鵼となり、重たすぎるし読めない人もいるだろうから、初めから間口を狭めてしまう気がして避けた。アルファベットというのは意味と距離を置ける気がしたし、言葉であって言葉を断裁するような多重さを伝えやすかったように思ったのだろう、また多少のカッコ付けや案内状のデザインのしやすさやなども手伝って、とにかくNU•Eという表記でスタートしたのだった。
 17回の内訳は、92年の12月が最初で、93年、94年、95年は年に4回、96年は3回、そして97年に約一年振りに17回目を「ラストラン」と称して行っている(95、96年あたりから写真集を考え始め、ラストランは写真集の発売と同時であったので、新作ばかりではなく、写真集からのダイジェストという要素もあった)。
 最初のうちは写真集にあまり興味が持てなくて、撮り下しで展示をすることがとにかく面白かったのだが、95年に川崎市市民ミュージアムの「現代写真の動向/another reality」に参加したり、96年に石内都さんと「main」という雑誌を作り始めたりして視野が広がったり、印刷物の面白さや有難みがようやく分かったせいもあったかと思うのだが、おそまきながら写真集を作ることになった。編集作業はなにせ枚数が多いので難儀を極めたと記憶している。展示した写真は、カラーコピーやロール印画紙などというイレギュラーなものを含めなくても優に数百点はあった。当時はネガ現像をし、ベタを取ってそのままセレクト、半切や全紙や大全紙にプリントしたので、バイテンの試しプリントがなく、それに写真集がバイテンよりもイメージサイズが大きかったこともあり、大四つに焼き直したりした。現在であれば、あのような労力は不要なのかもしれないが、20年も前のことである。部数は1300、当時の自費出版物としては多かったかと思う。2冊目を作るなど考えもしなかったので、唯一の写真集なら一生かけて売っていけばいいという気持ちだったのだろう。

■『ヒッチコック/トリュフォー』

年の瀬に、まさかこ~んなにとっておきの贈り物が届くとは!

映画に魅せられた人々が通過儀礼のように読みふけり、愛してやまない本がある―『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』だ。1962年、新進気鋭のフランス人映画監督フランソワ・トリュフォーが、30歳以上も年の離れたサスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックに熱烈なラブコールを送り、50時間に及ぶインタビューを実現させ、4年後、映画史に残る伝説の一冊を世に送り出した。そして、“あなたが世界中で最も偉大な監督であると、誰もが認めることになるでしょう―”と、トリュフォーが宣言した通り、完成したインタビュー本は各国で翻訳され、ヒッチコックを唯一無二の映画作家であり、真の芸術家だと世界中に知らしめすこととなったのだ。  

はい、もちろんわたしの本棚にもデーンと鎮座している。1988年頃かな…上前津の古本屋で購入して以来、何度紐といたかわからない。デカくて場所をとるのに(汗)、未だに手放す気にはなれませんね。シネフィル(映画狂)でなくても、ヒッチコック作品を未見の人でも、誰が読んでも文句なく楽しめる1冊である。そんな至宝が、出版されて50年経た今、なんとドキュメンタリー作品に衣替えし、再び我々の元に届けられることに―。実際の動画記録は残っていないものの、貴重なインタビュー音源や対話時の写真が公開される一方で、名だたる現役映画監督10人が登場し、本から受けた影響や、作り手側からのヒッチコック礼賛が事細かに語られるという贅沢な構成である。監督はケント・ジョーンズ。まったく君はエライよ!

さてここからは映画の具体的な感想を記しておこう―。まず本では、対談と写真で構成された一作品ごとの解説(制作秘話)が、映画では実際の映像を見ながら目と耳で確認できるわけで、インパクトはやはりデカかった。当時の本としては写真資料が画期的に多く、それゆえ映画の教科書として重宝されただろうが、そりゃあホンモノの動くシーンを例題で用いた方が手っ取り早いにきまってる。ただし、本の忠実な映像化だけでは、すぐに見飽きてしまっただろう。受け手の想像力が喚起されないまま流されてゆくだけの、単なる映画鑑賞ガイドでお役目終了だから。つまり本は、動くメディアを静止させ、映画作品を原初の姿(連続撮影)で並べたからこそ、ヒッチコックの大胆な手法が明らかになった―と、映画化によって逆に教えられる結果となったのだ。
また一方で、本の構成を新たに組み替えて、映画向きのUPテンポのリズムに編曲してお披露目している演出が、実に楽しかった。本には出てこない2人の個人史を組み入れたり、本の一節にマーカーを引っぱったり、撮影現場の様子や販促写真の活用など、めくるめく多彩なコラージュで敷居を下げ、専門性より好奇心に薪をくべて進行する。観客心理に絶えず目配せしたヒッチコックを紹介するにふさわしい仕立てだ。意外な作品がバッサリ割愛されていたりもするが(汗)、それもまた一興。むしろどんなにランダムにつなぎ直しても、一つずつのパーツの磁力が強くて求心力はまったく揺るがない。何を見てもちょっと怖いくらい、ヒッチコック・タッチが漂い出てくるのには心底驚いた。それでも監督冥利に尽きただろうなあ…。師の本で学んだテクを、師の胸を借りて駆使できたのだから―。それに、インタビューに応じた現役監督の豪華な顔ぶれから察するに、これほどの人選が可能で、映画史に踏み込める仕事が許されるのだから、きっと映画からも愛されている人に違いない。トリュフォーは映画を1本撮る構えで準備し、インタビューに臨んだというが、そんな50年前のパッションが今こうしてK・ジョーンズ監督に継承され、再燃している事実に胸を打つのである。でもって、現役監督たちが、夢中になってイイ話をするの!映画の中に、本の形式を入れ子細工的に挿入させているのだが、誰もみな映画少年魂を全開にするとともに、 “映画とは何だ?”という命題と向き合う同業者ならでは思考が垣間見られて、目が離せなかった。私が一番ハッとしたのは、黒沢清のコメント―作家性でいうと極端にはじっこにいる人―だ。“映画は観客のもの”が大前提で、観客にいかにウケるかを目的に映画技術をフル活用した作家が、誰よりも異端なクリエイターだという一見矛盾するような話…、でも確かにそれこそが、ヒッチコックなのだと共感したのだ。

ここで私個人のエピソードも書き加えておこう。私がティーンエイジャーだった70年代後半は、映画はテレビで見るものだった。映画と言っても、オリジナル作品からは程遠い、ザクザクに短縮された吹替版だ。ヒッチコック作品も、かつてヒットした映画がお茶の間に流れる形で頻繁に目にしていた。その後、本格的に映画に興味を持ち始め、80年にイギリス時代の秀作2本立て―『バルカン超特急』(38)と『逃走迷路』(42)を、ようやく劇場で目撃したときは興奮したなあ…。娯楽映画だし…などと悠長に構えていられるスキ間は一ミリもなく、映画そのものが迷路と化し、身体ごと映画内に引っ張りこまれる感覚を味わったものだ。しかも亡き父とふたりで見た最初で最後の映画なのよね―。やがて『映画術』との出会いである。タイミングよく、レンタルビデオ店の大盛況時代だったから、入手できるソフトを片っ端から借り、読んでは見て&見ては読んでを繰り返したっけ(笑)。特に『めまい』(58)に関しては、いつもの素早い展開が姿を潜め、なぜこれがミステリアスなのか、いまいちピンとこなくて、本を読んでようやく男性心理とファム・ファタールを結びつける映像マジックが理解できた記憶がある。本作でも厚みを持たせて追跡しているが、ジェームズ・スチュアート演じる主人公の落胆と歓喜が交差する表情を、スクリーンいっぱいで再見するのはかなりの特典!男性客は文句なく感情移入してしまうだろう(笑)。

そして最後に、本も映画も触れていない注目ポイントを追記しておこう。ヒッチコック映画が今も艶っぽく輝いている理由は、ヒロインのビジュアル設計にある。特に忘れちゃならないのが衣装だ。先の『めまい』をはじめ、『汚名』『裏窓』『泥棒成金』『北北西に進路を取れ』『鳥』etc…ヒッチコックがハリウッドへ渡ってから手掛けた多くの傑作で、あの“ドレス・ドクター”イディス・ヘッドが衣装を担当しているのだ。彼女は、ヒッチコックが理想とする女性のイメージ“昼間は上流階級の洗練された淑女でありながら、寝室に入ったとたんに娼婦に変貌する女”を、カンペキに具現化!衣装によって、セリフ以上に雄弁にヒロインの状況を物語り、映画のマジックを補強する役割を見事にこなしていたのだ。そんなイディス女史の仕事ぶりに感嘆したわたしは、かつてイラストと文章で備忘録にまとめた経験がある(汗)。20数年前に作ったそのファイルは、いま見返すとかなりこっ恥ずかしい代物だが、目の付け所だけは今もさして変わらず(進化していない証拠でもあるが)…。そう、ヒッチコックの映画作りの極意は、わたしのような一映画愛好家の視座にも多大な影響を与えた。さらに言えば、本作を眺めながら、脈々とつながる映画史の末端に、じぶんも机を置いて在籍しているような、そんな幸福感に包まれたのだった。あー、しんぼうたまらん(汗)。レンタル屋に足を向けなくなってずいぶん経つが、DVDでいいから、あのとんでもなく優美なハッタリ世界の数々を、今すぐ見直したい!

「めまい」

『ヒッチコック/トリュフォー』

2015年/仏・米/カラー/80分

監督/脚本    ケント・ジョーンズ
ナレーション マチュー・アマルリック
音楽     ジェレマイア・ボーンフィールド

キャスト  マーティン・スコセッシ
       デビッド・フィンチャー
       黒沢 清

◆石原さんのこと

 ちょうど1年ほどまえ(2015年12月上旬)、ベトナムから帰国して帰宅した瞬間に電話が鳴ったので、しかもそれがツァイトフォトサロンの石原さんだったので、よく覚えているのだが、ふだんから携帯もろくに着信に気づかないのに、そのタイミングの絶妙さに南国帰りのムードは弾けとび、師走の東京モードに戻されて背筋がピンと伸びた。用件は、預かっている猫の写真、これぼくの部屋に飾りたいから譲ってくれないか、ということだった。2年ほど前に、初期のモノクロをまとめて見せて欲しいと言われ、そのまま預けていたのだった。ネコ、と言われても、瞬時には思いつかなかったのだけど、というより複数のネコ写真があるのではないかと思ったのだ。その後、プリントを撮影した画像が送られてきて頭の中でいちばんに思い浮かべた一枚と一致したものの、当時は毎回ネコを展示するくらいによく撮っていた。
 「春は曙」というタイトルで3回連続の個展をやったときのプリントだった。1989年当時のいわゆるヴィンテージというもので、仕舞いっ放しになっていたものをセレクトするのに開けたときには、その不器用さというかヘタさというか、我ながら呆れてしまったものである。とはいえ、紙が現在入手可能なものと全然違うし、ネガの濃さも相当で、どうあがいても今となっては焼きようがない出来の代物だった。ヴィンテージという言葉くらいは知っていたものの、価格の設定などまともに自分でしたこともなかったし、なんとなくバラバラにしたくなかったこともあって、即座には返事することはできなくて、結局そのまま気にしていたものの値付けはおろか、諾否すらはっきりさせることもしなかったのでウヤムヤになってしまったと思っていた。暮れに石原さんが入院したことを知ったのは、年が明けてからだった。思えばその電話のときの声も、かすれ気味で力のないものではあったけれど、口調がいつも通りだし前向きさがにじみ出ていたので、あまり気には止めなかった。
 イルテンポも含めると片手では足りないくらいの個展をさせていただいた。写真で食べていくなどということが想像だにできなかった時代に、プリントをいとも簡単にお金に換えていくように見えた石原さんはマジシャンのようでもあった。自主ギャラリー時代にも、写真を購入してくれる奇特な方がゼロではなかったものの、値段の付け方が違っていた。写真ってこんなふうに売っていいんだと認識を新たにもした。それまでの写真とのスタンスが変わるわけではなかったが、別のスタンスがあり、いろんな立場を駆使してみなやっていっていることを知れたのも大きかった。どうせ1回か2回でお終いだろうと思っていたら、けっこう続いて、イルテンポとツァイトフォトの同時展示の予定が決まりかけていたとき、イルテンポの和子さんが倒れられたので、それは叶わなかったが、その時の閉廊の素早さは印象に残っている。
 書き出せばキリがないのだけれど、こんな拙い文章のきれぎれの断章よりも遥かに石原さんの声が甦ってくるような本が出版されたので、その紹介を少し。ツァイトのスタッフを一時期やっておられた粟生田弓さんが著した『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト•フォト•サロン』(小学館、2016)。事実よりも真実が迫ってくる。と書くと語弊があるが(内容が事実でないというのではない)、石原さんの語りを元にしているため、どうしても記憶違いとか思い出せないこととかもあったろうことは容易く想像できる。それでも相当に準備をしてインタビューした(された)と推察するが、また石原さん特有のブラウ(というか洒落、ダンディさか)までが再現されていて、そのあたりへの注意深さも怠りなく、とくに前半のパリを中心としたあたり、深く聞き、丹念に甦らせ、さらに裏付けて、西洋写真の入口ともいえた時代の雰囲気を伝えている。

■エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に

本作は、ビルボード5週連続1位を記録し、1979年を駆け抜けたあの大ヒット曲、ザ・ナックの『マイ・シャローナ』で幕を開けるが、お笑い番組「アメトーーク!」とは何の関係もない。しかしこの映画を「アメトーーク!」以上に笑えるとしたら、あなたは間違いなく50歳以上の男子だろう(笑)。いや、もしかしたら、笑いながら鼻の奥をツーンとさせてしまうかもしれない…。いずれにせよ、“定年からの逆算”なーんていうチマチマしたことを考えているヒマがあったら、今すぐ劇場へ。さあ、愛すべきバカ野郎どもがとぐろを巻く世界へLet’s GO!だ。

『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』(なっが!)は、1960年生まれの監督、リチャード・リンクレイターの自伝めいたドラマになっているという。いちおうそういう触れ込みだが、そんな背景などどうだっていい。極めて単純なお話だ(苦笑)。冒頭、カー・ステレオから流れるマイ・シャローナをBGMに、錦織 圭似(!)の主人公ジェイクが愛車に乗って登場する。もちろん彼の視線は車窓越しに花開く女子たちのBODYに一直線だ。我らがジェイクは天国へ降り立った!地元を離れ、今から大人のとば口=大学生活が始まろうとしているのだ。ここで監督は、さらに映画を一筆で単純に記そうと、テロップを出して時間軸を見える化する―1980年8月28日 新学期まで3日と15時間―とカウントダウン表示。これは、時間の流れの中に「生の感触」を散りばめて差し出す、リンクレイターの十八番と呼びたいダンドリだ。さて、この勢いで期間限定のショータイムが始まるのか、それともその先の新学期に焦点を当てるのか…。判然としないまま、我々も太陽がやけに眩しく輝く南東テキサス州立大学に釘付けとなる―。

野球推薦で入学したジェイク。まずはお気に入りのレコードを抱えて野球部の寮に意気揚々と到着だ。ところが名門野球部の先輩たちはクセ者揃い。シャレにならないようなイジワル歓待を浴びせるが(汗)、受けるジェイクもキョトンとするだけの鈍感ぶりで、ノープロブレム。そうだった、舞台は1980年のアメリカだった。何せ、映画俳優が第40代大統領になってしまう鷹揚(?)な時代のお話なのだ。よく見れば、新人を茶化す絵には身に覚えがある親和性を湛え、逆に「なぜあの頃はあんなじゃれ合いが成立してたのかなあ…」と、ツイ釣られて我が身を振り返ってしまった。茶化す方も茶化される方も役割をわきまえ、「ごっこ」で場を温め合うコミュニケーションがまだ通じていたのだ。でもって、野郎どもは早々に新人を引き連れ、女子寮を冷やかしに車を走らせる。シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」を大合唱しながら、車窓から女子のケツ…いや、お尻等を品定めするシーンの感動的なバカっぷりに、私は早くも涙が出そうになった。いやー、映画でさえ、もはやこんな見事なナンパ絵、拝見できるものじゃございません。一体あの手の男たちはどこへ行ったのか?対する女の子側も手慣れたもので、ヒマなら相手してあげてもいいわよ風にあしらいスイッチのON&OFFが明快。やるなあ~。男女ともに、後腐れないナンパの極意(?)が初期設定されていた時代だったということか。そして、ここからどんな展開が待ち受けるのかというと…実はこれだけなのである(汗)。昼間は野郎同士でグダグダに戯れ、夜はナンパに全力投球するだけ。見事に何もない。ではいったい勝因はどこにあるのか―。

一言でいうと、これといった目的が何もないままの状態で、映画をずっと動かし続けたということ―これに尽きると私は思う。例えば野球部の主なバカ野郎メンツは12人。ギャンブル狂、口説き屋、精神世界好き、田舎者、妄想癖、ピッチャー嫌いetc…と、どいつもこいつも与太話とそれに付随するアクションによって濃厚な痕跡を残すキャラなのだが、それだけで収まってもいない。顔と名前を覚えようにも全然追いつかないほど、奴らを画面に出たり入ったりさせるところがミソなのだ。とにかくジェイクの入寮日から、たかだか3日半のスケッチなのに、一体どんだけ盛ったら気が済むんだあ~と、半ば呆れるくらい取り留めのないエピソードを小刻みにつなぎ、ある種のグルーブ感をもたらしている。しかも悪乗りには節度があり、むしろカラっとした無常観をもったいぶることなくスクリーンに立ち上らせ、ちょっと意外なほど奥行きがあるではないか!そう映画は、体育会系の瞬発力と文学的な趣きの両刀使いによって、すべての生の瞬間を、観客と分かちがたく結びつけるのである。一見ラフに映るが、なかなか緻密な演出なのだ。

そして新学期を明日に控えた3日目。待ちに待った本作の“結びの一番”が顔を出す―野球部の自主トレである。すっかり忘れかけていたが、奴らは選ばれし野球エリートだった(笑)。オシャレしてディスコへ繰り出し、カントリー・バーではラインダンスに興じてみせ、場違いのパンクLIVEへももぐりこんだりしていたが、最後にようようじぶん十分になれる場所=グランドへたどり着いたというわけだ。まあ、このくだりのカッコいいこと!自主トレとはいえ、互いの手の内を初めてオープンにするお手並み拝見の場で、先輩どもが風格の違いをまざまざと見せつけて、新人たちをノックダウン。実力がモノを言う世界の洗礼を浴びせつつ、また同時に、チームのことを考えないプレイヤーはさらに最低との烙印も押す。散々奴らを分け隔てなく笑ってきたからこそ、プライドのぶつかり合いを目撃したときの感慨はひとしおだったなあ~。改めて、野球の輝きが何によってもたらされるのかを垣間見るようで、私には忘れられないシーンとなった。

しかして最後はまたまたドンチャン騒ぎ♫ スポーツ雑誌『Number』みたいな美談余韻でシミジミさせるのではなく(笑)、野球部みんなで水遊びに呆けて夏休みが終わる。ただし、先に与太話とナンパ以外は何もないと書いたが、大切なものがありましたよ!バカ野郎どもの頭の上には、いつも極上の“青空”があったのだ。どこまでも広がる青空の下での記憶…。なるほど、これが過ぎ去った後でしかわからない、青春っていうやつの正体かもしれない―。

『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』
2016年/米国/カラー/117分

監督/脚本 リチャード・リンクレイター
撮影   シェーン・F・ケリー
音楽監修 ランドール・ポスター
     メーガン・カリアー
キャスト ブレイク・ジェナー
     ゾーイ・ドゥイッチ 

●イーグルス『ホテル・カリフォルニア』

ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した。2016年後半のニュースにおける大きなトピックスと言える。今年に入りデヴィッド・ボウイやプリンスが逝去し、音楽の分野においては悲しい話題ばかりだった中で、ディランのニュースは明るい話題と言えるかもしれないが、なんとも微妙な感じがしないでもない。現行の下手な小説家や詩人よりディランの方がよっぽど文学的だし、そういう観点に立てば、アリなのかもしれないが、いまだディランもノーベル賞の運営側に連絡していない現状を思うと、本人も腑に落ちていないのかもしれない。

ディランの心中をこっちが勝手のあれこれ想像していても大きなお世話なので、ディランの文学性についてつれづれに書いてみようかなと思ったりしたのですが、ディランの詞にさほど反応してきていない自分にはたと気付いたのです。おや、これじゃタイムリーな話題について書けないじゃないかと久しぶりの話題かと張り切って書こうと思ったところで出鼻を挫かれた感がありますが、その前に気付けよと自分に突っ込む所存です。

で、話題を変えてイーグルスです。唐突にイーグルスの名前が出しましたが、何を話題にしようかというと、名曲「ホテル・カリフォルニア」の歌詞について書こうと思ったのです。なぜかというと、アメリカン・ロックにおいて「ホテル・カリフォルニア」の歌詞はもっとも優れた文学性を備えた曲だと思っています。たぶん、この曲を知る人は誰もが納得するはずです。

まずは歌詞を全文掲載します。

On a dark desert highway, cool wind in my hair
Warm smell of colitas, rising up through the air
Up ahead in the distance, I saw a shimmering light
My head grew heavy and my sight grew dim
I had to stop for the night

There she stood in the doorway
I heard the mission bell
And I was thinking to myself
‘This could be heaven or this could be Hell
Then she lit up a candle and she showed me the way
There were voices down the corridor
I thought I heard them say

Welcome to the Hotel California
Such a lovely place (such a lovely place)
Such a lovely face
Plenty of room at the Hotel California
Any time of year (any time of year) you can find it here

Her mind is Tiffany-twisted, she got the Mercedes bends
She got a lot of pretty, pretty boys, that she calls friends
How they dance in the courtyard, sweet summer sweat
Some dance to remember, some dance to forget

So I called up the Captain
‘Please bring me my wine
He said, “we haven’t had that spirit here since nineteen sixty-nine
And still those voices are calling from far away
Wake you up in the middle of the night
Just to hear them say”

Welcome to the Hotel California
Such a lovely place (such a lovely place)
Such a lovely face
They livin’ it up at the Hotel California
What a nice surprise (what a nice surprise), bring your alibis

Mirrors on the ceiling
The pink champagne on ice
And she said, ‘we are all just prisoners here, of our own device
And in the master’s chambers
They gathered for the feast
They stab it with their steely knives
But they just can’t kill the beast

Last thing I remember, I was
Running for the door
I had to find the passage back to the place I was before
‘Relax’ said the night man
‘We are programmed to receive
You can check out any time you like
But you can never leave!

夜の砂漠のハイウェイ 涼しげな風に髪が揺れて
コリタス草の甘い香りがあたりに漂う
はるか遠くに かすかな光が見える
俺の頭は重く 目の前がかすむ
どうやら 今夜は休息が必要だ

ミッションの鐘が鳴ると
戸口に女が現れた
「ここは天国か それとも地獄か」
俺は心の中でつぶやいた
すると 彼女はローソクに灯をともし
俺を部屋まで案内した
廊下の向こうで こう囁きかける声が聞こえた

ホテル・カリフォルニアへようこそ
ここは素敵なところ(そして素敵な人たちばかり)
ホテル・カリフォルニアは
いつでも あなたの訪れを待っています

彼女の心は紗のように微笑み メルセデスのように入りくんでいる
彼女が友達と呼ぶ美しい少年達はみな恋の虜だ
中庭では人々が香しい汗を流してダンスを踊っていた
想い出のために踊る人々 忘れるために踊る人々

「ワインを飲みたいんだが」と
キャプテンに告げると
「1969年からというものワインは一切置いてありません」
と彼は答えた
深い眠りにおちたはずの真夜中さえ
どこからともなく
俺に囁きかける声が聞こえる

ホテル・カリフォルニアへようこそ
ここは素敵なところ(そして素敵な人たちばかり)
ホテル・カリフォルニアは楽しいことばかり
アリバイを作って せいぜいお楽しみください

天井には鏡を張りつめ
氷の上にはピンクのシャンペン
「ここにいるのは 自分の企みのために囚われの身となってしまった人達ばかり」
と彼女は語る
やがて大広間では祝宴の準備が整った
集まった人々は
鋭いナイフで獣を突くが
誰も殺すことはできなかった

最後に覚えていることは
俺が出口を求めて走りまわっていることだった
前の場所に戻る通路が
どこかにきっとあるはずだ
すると夜警が言った
「落ち着きなさい われわれはここに住み着く運命なのだ
いつでもチェックアウトはできるが
ここを立ち去ることはできはしない」
(山本安見訳)
 

改めて読んでみると、霞がかった幻惑の光景のようにも見えてきます。そもそも「ホテルカリフォルニア」なるホテルが存在しているのだろうか? このホテル自体が一人称で語る「俺」が見た夢かあるいは妄想のような気すらしてきます。

歌詞はOn a dark desert highwayという言葉から始まりますが、そこから異界へと誘われていく印象を与えます。デヴィッド・リンチの映画『ロスト・ハイウェイ』の冒頭のような闇夜を疾走するイメージとも重なります。あるいは、ハイウェイを彷徨うところは『イージー・ライダー』の無頼なバイカーたち(ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー)の姿を想起させます。広大なアメリカのハイウェイを走りながら、果てることのない地平線を視界に収めていくうちに、延々と同じ道を走っているのではないかという錯覚にも陥っていそうな気分が伝わってきます。

広大なアメリカの荒野、というイメージはアメリカという地で生きる人々にとって根の深い原風景として存在しているように思えてきます。例えばジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』はタイトル通り「道」が舞台であり、そのケルアックが文章を寄せているロバート・フランクの写真集『アメリカンズ』にも同様の感性が反映されているように見えます。アメリカで生きることは、長い道の上で歩み、その先にある見果てぬ風景を延々と見つめることで、一種幻視にも近い感覚を持つのではないでしょうか。

「コリタス草の甘い香りがあたりに漂う」という件を読むと、コリタス草とあるが、他の葉っぱの隠喩では……と邪推してしまいます。その香りに導かれるように霞んだ目の先に浮かび上がるように見えてきた建物が「ホテル・カリフォルニア」だった…という展開はやや安易のような気もしますが、そこはまあ置いておきます。

「ここは天国か それとも地獄か」と内心つぶやく件がありますが、自分が立っている場所が不透明であり、そんな目の前の光景を疑っていることを想像させます。

なぜ彼は、眼前に広がる光景を素直に受け入れることができなかったのであろうか…。この歌詞にある状況を鑑みたとき、この語り手である男は酩酊していたか、疲労が頂点に達していたのか、あるいはドラッグの副作用なのか、いずれにしても神経は昂ぶり、精神的な圧力を受けていたのかもしれないと察します。

「ホテル・カリフォルニアへようこそ」という女性の囁き声に促され、ホテルの中で繰り広げられる饗宴を眺めるが、その姿にはどことなく倦怠感が漂っています。想い出を作るために踊り、あるいは過去を忘れるために踊る人。音楽が人の記憶に刻まれ、かつての光景を呼び覚ます。刹那的な快楽に身を委ね、その時間だけ俗世間を忘れ、没我の境地に至る。ここにかつて音楽が導いたはずの自由と楽園への理想が憧憬をもって描写されているように思えます。

そして、ワインを注文するも「1969年からというものワインは一切置いてありません」と言われる一節は、この曲の歌詞の中でも、とりわけ象徴的な一文になっています。英文では「spirit」という単語で「酒」を意味していますが、これは「精神」とのダブルミーニングで掛けていることは有名なので言及しません。1969年、ニューヨークで大規模なロック・フェスティバルが開催されました。いわゆるウッドストック・フェスティバルです。愛と平和をテーマにして、掲げた理想を実践したフェスと言えます。この背景には当時最中にあったベトナム戦争が影響していますが、同時に音楽が持ちうる愛と理想の力はこの時が頂点であり、その後、ロックミュージックは資本経済における商品として消費されるようになっていきました。つまり、音楽が持つ純粋なその力は、1969年を境にして失われていったこと指しています。

そして「自分の企みのために囚われの身となってしまった人達ばかり」が集うホテルであることを女性に言われ、男は逃げだそうとします。しかし、夜警に「われわれはここに住み着く運命なのだ。いつでもチェックアウトはできるが、ここを立ち去ることはできはしない」と決定的な言葉をかけられてしまいます。

自分の企みのために囚われ、チェックアウトはできるが立ち去ることはできないとは、どういうことであろうか? このホテルは一体誰がなんの目的で経営しているのか? 勝手な想像(妄想)をさせてもらうと、ホテル・カリフォルニアなる建物は存在しない。アメリカの路上を自動車で走る男が幻視した光景であり、あるいは死んだことに気付かずに足を踏み入れた黄泉の国ではないだろうか。

最後に覚えている光景は自分が出口を求めてホテルの中を彷徨う姿である。つまり、彼は今もこのホテルに滞在していることを意味している。それは彼にとって幸福なのか不幸なのか、それはわからない。しかし、男が何か企みを抱いていたからこそ、逃れられずに出口を探し続けているのであろう。

男の企みとは一体なんだったのか? それはこの歌詞を書いたドン・ヘンリーにしかわからないのかもしれません。

あ、そういえばメンバーのグレン・フライが今年の1月に亡くなっていたんだ…。
合掌。