■ビッグ・シティ

高校を卒業して映画にハマり始めた頃、巨匠と称せられる人の作品上映には、可能な限り足を運んだ。映画が、何となく自分にとって魅力的な世界だと映るようになるにつれ、「早くこの世界の全貌を知りたい」、「そのためには監督を主軸に置き、体系立てて把握しよう!」と、クソ生意気にも考えたわけだ( 苦笑)。金も情報もないから、図書館で映画関連書籍を手当たり次第に写して自作の資料とし、自主トレと鑑賞の繰り返し…。いやはや、若さとは凄まじいものですね( 爆) 。インド映画の巨匠サタジット・レイも、見るべき作家に掲げていた一人。監督がまだ健在だった1981年に、初めて遭遇した作品が『チェスをする人』( 77 )で、その後計6本ほど追いかけてはみたが、代表作のオプー3部作すら記憶は曖昧。正直に言おう、端正過ぎて20代の私にはカッタるかったのである… 小津映画と同じように―。そして、年齢を重ねるごとに小津映画の奥行の深さに震撼したように、遅ればせながら今ようやくサタジット・レイの偉大さに真に目覚めた。最終電車に間に合った気分…本企画に感謝したい。

 『ビッグ・シティ』は、終始、生活者の生のリズムをエンジンにして駆動する。1953年大都市カルカッタで慎ましく暮らす6人家族。一家の主は稼ぎの乏しい銀行の係長、専業主婦の妻と幼い息子、さらに老いた両親と実家庭外労働によってどう変化するかを、絶えず現実的な視座に即して描き進める。面白いのは、「金」に加えて「体面」という問題を絡めることで、かえって普遍性を高めている点である。嫁が働きに出ることを恥だと嘆く義父、専業主婦を見下しているのに家長ヅラしたくて家に縛り付ける夫、そして僕専用の母性を失う恐怖に泣きじゃくる息子…。家庭の中でも外でも共通な女性のあるべき像が固定化されていて、そのイメージを逸脱したら家( 男)の体面が傷つくと思い込まれていた当時の価値観が、会話や生活のしぐさやフトした表情のパッチワークによって、具体的に立ち現れる。ただし妻は、そんな女性の社会的立ち位置に反旗を翻して働きに出るわけでも、自己実現を目指すためでもない。静かに闘志を燃やし、夫の枕もとで囁く決意表明は、このチームの未来のために私が打席に立ってみるわ!なのだ。さらに、意思決定さえ済めばより現実的になるのが女性ゆえ、仕事内容より新しい舞台に着て行くお洒落のシンパイを始めるあたりも可笑しい。やがて妻は、富裕層を対象にした「編み機」の訪問販売で営業の才能を開花させる。仕事に対する自信、社会的信用の獲得、同僚との連帯、そして何より報酬を手にする喜びに輝く妻。ところが妻の躍進に反し、皮肉にも夫は銀行の閉鎖で失業の身となり、体面にこだわっていられない立場へ追い込まれてしまう。そう、労働をめぐって引き起こる金と自尊心の切っても切れない因果関係を、家族という最小チーム内で描いたことで、国も時代も突き抜けた我が事ドラマとして対峙できるのだ。併せてこの映画の時代背景が、制作時の10年前に設定されている点も見逃せない。その後世の中は何が変わり、何が変わらないかを、観客自身が主役一家以上に分析できる前提で作られている。それゆえ観客一人一人の現実生活のものさしが絶えず刺激され、想像力は膨らみ続けるのだ。本作の半世紀後、スクリーンには成熟した母性を持つ夫が登場し、働く妻を伴走し続ける映画『サンドラの週末』(かよこ新聞参)が公開される時代となった。女性の自立などという狭い視座で括り切れないこの両作品を、並べて見直すこともお勧めしたい。

 そして『チャルラータ』である。マジに酔いしれましたね!『ビッグ・シティ』の設定とは対照的で、ドラマの鍵を握るのは新聞社を経営する裕福な夫と大邸宅に暮らす美貌の妻・チャルラータ。満たされているはずの彼女の、孤独な一面を覗き見させる冒頭のシークエンスから即、涙腺が緩むほど興奮した。流麗な移動撮影と相まって高まる“陋屋の美姫”のもの悲しい横顔は、まるで子供の頃に耽溺した藤城清治の影絵のようだった。キラキラ輝いて見えたり、脆く消え入りそうに見えたりと、背反する側面が繊細に入り混じる幻影の美しいこと!さらに窓の外から聞こえる市井の音の数々が、風となって邸に流れ込み、籠の鳥のチャルラータを惑わせる…。『ビッグ・シティ』の妻は自ら外へ出て自由な空気を吸い込んだが、籠の中で詩歌の世界と戯れ、想像の自由を唯一の慰みとするのがチャルなのだ。また、固定化された女性イメージで四方八方を塞がれ、自分の可能性と向き合うことに、本人があえて眼を背けている風にも映る。そこで映画は、外から夫の従妹や実の兄夫婦を邸内へ呼び入れ、部外者との関わりを通じてチャルの複雑な胸の内を立体的に演出してみせるのだが、その表現力は映画でドラマを描く際の決定版と呼びたい代物。こちらも、やはり現実的な視座にこだわりつつ、大きな構えで描き進めて行くのだ。しかも、観客の想像力を信じ、時に激しく、時にささやかに火をくべ続け、最後は重厚な文芸作品の域にまで到達するではないか… 心底感服した。

 二人の妻は、共に敷かれた運命から一歩横に身を引き離し、あるべき像を自ら再構築してみせる。その反面、踏みとどまるべきラインは見極め、自身の中に保持してもいる。憧れだけに暴走しないこの重心の低い美意識が、映画の品格を上げ、今見ても素晴らしく艶やかに感じられた。いやー、恐れ入りました(ぺこり) ビッグ・シティ 。

ビッグ・シティ 。
1963年/インド/131分
監督/脚色/音楽サタジット・レイ
撮影シュプラト・ミットロ
キャストマドビ・ムカージー
チャルラータ
1964年/インド/119分
監督/脚色/音楽サタジット・レイ
撮影シュプラト・ミットロ
キャストマドビ・ムカージー