■バンコクナイツ

ほーっ、山梨の次はタイですか―。

富田克也監督は、雲の上から、タイの首都バンコクへ舞い降りた。新作『バンコクナイツ』で、自らドラマの鍵を握る元自衛隊員オザワ役を演じ、実に気持ちよさそうだ。―ってことは、おそらく本人の体内スイッチをONにさせる何か強い磁性みたいなものを、この地に発見したに違いない。監督、もはや日本のしがらみにお腹いっぱいですか?日本の女ももう要らない?(笑)いや、土地に妄想する方が何倍もテンションが上がってしまう作り手だから、河岸を変え、漂泊者になるのは自然の成り行きね。本作では、バンコクからイサーン(タイの東北地方)、そしてラオスへと、地霊の気配に全身をそばだてながらの移動撮影を敢行。3時間3分。作り手側からすると、これでも足りなかったかもしれない。だって監督が手繰り寄せたいのは、いつだって目に見えない不確かなものだから―。

とはいえ、「目に見えない不確かなもの」を吟味してもらうには、「目に見える生臭いもの」で客を呼び込む必要がある。そこで映画が最初の舞台に選んだのは、バンコクにある日本人専門歓楽街“タニヤ”だ。へーっ、こんなにわかりやすいメイド・イン・ジャパンの楽園が存在し、毎夜盛況とは!知らなかった。これ以上呼び込みにふさわしい絵はないのでは?ひな壇、電飾、美少女アイドル風ビジュアルのタニヤ嬢たちと、たどたどしい日本語の接待が、ある意味アナログな様式美として映し出される。行ったこともないのに「日本男子諸君の大好物だよな~」とリアルに感じるのは、そこに目新しいアイテムが一つもないからだ(苦笑)。慣れ親しんだ空気に漂いながら、思考を停止して楽しめる一晩だけのアバンチュール。お気軽かつお安く、ストレスなしに“ごっこ”ができる場所を、今も昔も日本男子は楽園と呼ぶのだろう。もちろん背後には、楽園そのものを金のなる木に見立て、一儲けを企む有象無象たちがどっさり集結。つまりは、旦那と太鼓持ちの役割分担で、楽園という名の市場も成立しているわけだ。

そんな夜の街の人気NO.1タニヤ嬢がヒロインのラックである。イサーンの貧しい田舎町から、身体ひとつを資本に出稼ぎに出て5年経つラックは、絶えずブーたれている。サービス外の要求をねだる男たちを、「メンドくさい」「キモチわるい」「クサい」と、一昔前の女子高生のようなノリでののしる。彼女を苛立たせるのは客だけじゃない。薬物中毒の母から携帯に入る金の無心にも気が滅入り、日本人のヒモ男・ビンに当たり散らす毎日。どいつもこいつも、私にねだり放題、もういい加減にしてよ!…これがラックの本音だろう。限界寸前のラックは、ある夜、まだウブだった頃に愛しあったオザワと偶然再会する。今のオザワは、日本を捨ててネットゲームと使い走りで日々をしのぐ沈没組。いわば名うての“花魁”に昇格しているラックとは、身分違いの間柄になっているのだが、この再会を機に、彼女は人生の潮目を変えようと動き出す。NO.1タニヤ嬢を封印し、ラオスへ向かうオザワに同行。出たとこ勝負の2人旅が始まる―。

電飾から自然光へ―。バンコクを出た2人は、ラックの故郷・国境の町ノンカーイへ到着する。かつての恋人同士が元カノの故郷を訪れ、純朴な大家族から、心づくしの歓待を受け、田舎の緩やかな時間に心身ともに寛ぐ…絵柄としてはそんな風に見えなくもない。アダージョ風アレンジで原点回帰パートですかね? いやいや、そう簡単に片目をつぶれないのが、空族と富田監督の流儀だろう。2人を通じて田舎暮らし礼賛をするつもりもなければ、社会学者気取りで、都市との比較を論じるために遠出させたわけでもない。男は金になる不動産商売のネタ探し、女は大切な家族をどう守るか、それぞれの現実問題ありきで移動させたに過ぎない。いうなれば、田舎は借景。場所を変えようが、言葉使いを改めようが、どこまでもじぶん本位な2人を、平行線のまま放り出す。青臭いほど、ロマンチック要素ゼロ(笑)。でもむしろ、そこにこの長旅の新味はある。

地霊の気配に導かれるようにひとり国境を越え、ラオスに足を延ばすオザワ。家族へ注ぐ愛情がことごとく皮肉を招いてしまうラック。やがて男は蛮行の歴史を我が事として顧み、女は凌辱された歴史を我が事として偲ぶ。目に見えないものに導かれるまま、宙吊りで世界を見渡すこの滔々と流れる時間が、とてもいいのだ。特に魅かれたのは光の捉え方。都会の闇にねっとり輝く人工の光と、赤と青の粒子が激しくせめぎ合う田舎の太陽光の2つを、これまた追い駆けあう男女のように妖艶に差し挟み、我々を映画の時間に溶け入らせるのだ。

『バンコクナイツ』は、オザワとラックを隠喩として、歴史の因果を想像する刺激に満ちている。その仮説のすべてが上手くハマったとは言えないが、作り手側の身体で過去と今につながる世界を分光し、可視できないものまでも拾い上げようとの姿勢は、さらに剛毅なものになってきた。ラストで、色彩を絞り込み、月光の下で綴られる青一色の救出劇はその最もなものだろう。合意形成に至る道のりは長く険しいが、空族なら自ら透明になって、世界のどこへでも舞い降りられる…もはや彼らは撮り続けるしかない。

バンコクナイツ

2016年/ 日本・フランス・タイ・ラオス合作/カラー/182分
監督/脚本  富田克也
撮影     向山正洋 古麿卓麿
脚本     相澤虎之助
キャスト  スベンジャ・ポンコン 伊藤仁