■未来をなぞる ~写真家 畠山直哉~

この秋、セバスチャン・サルガド、石内都、そして畠山直哉と、世界的に活躍する写真家を被写体にしたドキュメンタリー映画が3本続けて公開された。こんな偶然もあるのか…。そのうえ三者三様の異なるアプローチが面白く、この機会に抜け目なく、しかと見比べ、楽しませていただいた(笑)。最後に足を向けた『未来をなぞる 写真家 畠山直哉』は、最も密着度の高い印象の残る作品。こんなに無防備な畠山が見られるとは!…かなり驚きだった。

 畠山の写真は以前から興味を持って追いかけていたが、2011年10月に訪れた東京都写真美術館の『Natural Stories ナチュラル・ストーリーズ』展をきっかけに、より強く惹かれるようになった。初期から現在に至る仕事のうち、自然と人間との関わりを俯瞰する作品を中心に構成された企画展。何が凄かったって、トンデモないものが破綻なく繰り広げられ、かつ、異様に静謐なところだった。作品の前に立つと、足元がクラクラするほどの崇高な磁力を感じるのだが、被写体を力でねじ伏せるというより、被写体と気を合せ、ここぞ!というワンポイントに着地させている風に見えたのだ。荒ぶるものを受け止め、不純物ゼロの澄み切った領域に統合させている感触。カッコいい!と唸った。
そしてまたラッキーなことに、昨年、愛知県美術館で開催された『これからの写真』展で、畠山の話が聞けるチャンスにも巡りあえた。鷹野隆大、田代一倫も加わり、「表現と距離」をテーマにしたトークイベントは、異様に面白くて思わずメモを取るほど。畠山は、極めて丁寧に、言葉を選び取りながらゆっくり話す。与えられたテーマ・タイトルの定義付けから始める念の入れ方だが、難解な言い回しは一切しないし、卑近な例えを用いて場にすり寄ることもない。対峙する側一人一人の思考を、グルグルと稼働させるような話し方をする。往々にして暴走する論理は煙たいものだが、畠山から立ち上る整然とした気配は、受け手の思考を動かす呼び水になると思った。…と、そんな勝手な私仕様のイメージを抱きつつ、今度はドキュメンタリー映画の被写体側に身を置く畠山とご対面。何とも願ったりな機会だった。

 写真家のドキュメンタリーは、本人の作品でも顔でもなく、手書きの線から始まる。
東日本大震災で流された畠山の故郷、岩手県・陸前高田市の実家の間取り図を説明付きで描くシーンである。気負いなくゆったり稼働し始める贅沢なオープニング。早くも人となりがにじみ出る。本作は、震災1年後の2012年3月から2年間、畠山直哉の創作の現場に密着した記録である。震災後、足繁く故郷へ戻り、急速に変貌する風景を独り黙々と撮影し続けるアクションが映画の背骨になっている。そこで耳にするのは、イベントで聞き惚れたあの呼び水となる語り口。生まれ故郷に家がないのは不自然、故郷を撮っても全然楽しくない…と、個人的な感慨を漏らすときでさえ、ちょっと立ち止まって彼の発言の中身を考えてみたくなるのである。何だろう、この圧倒的な求心力は…。畠山は震災で母を亡くした。ただ、家と母の2つの故郷を失った悲劇が背景にあるから、発言に求心力があるというわけではない。むしろそんな時でさえ、生臭いものをツイ括弧でくくってしまう自意識のクセに、彼自身がテコずっているため、考えさせられたのだと思う。

かつての“ものさし”は横に置いたものの、脱力し切れない宙ぶらりんな状態が、ひどくリアルで―。暮らしも生き方も一変するような悪夢を前にしても、生きている限り途切れない自分という意識。畠山が立ち向かっているものの在処は、私自身の根源を問うものでもあり、目が離せなかった。

 アーティストの長期取材記録を見る度、彼らの逃げ場がない生き方に恐れおののく。生きることが作品となり、作品は生きた結晶として残るのだ。本作でも、畠山の制作現場の横顔と被災した家の後処理問題で役所へ出向く顔は、平行線の状態ではない。写真とは何かを語る時間と、故郷での邂逅の時間も同様だし、「美しい」の実体は何なのか?と問い続ける姿と亡き母の面影をしのぶ姿もしかり。そう、すべてが入り混じりながら畠山を形作っているのだ。さらに付け加えるなら、大きな喪失を体感して、彼は故郷に改めて自ら近づき、今初めて「長男」になったのではないかと私は想像した。以前から大人な人だなあ…と感じていたが、何と私と3歳しか年の差がない畠山(汗)。でも故郷で見せる横顔には、再び誰かの息子を生きている瞬間があり、その柔軟さに心が弾んだ。とっても瑞々しいのである…通りすがりの老婦から、ご両親の面影を指摘されるシーンとか―。あと、一家の写真は流されても、青年時代の畠山がしかと刻印されたスナップ写真を、地元の友人が届けてくれるシーンも忘れ難い。畠山は長らく活動拠点を東京に移し、実体としては故郷を留守にしてきた。なのに、今も自らの存在を証明する時間が故郷に流れ続けていることに、歩く度に気づかされたのではないか。過去をなぞりながら、未来をなぞる―。ここには50歳を過ぎた人間の作業として、極めて興味深い記録が映っていた。(それにしても畠山、オシャレおやじすぎないか!今は亡き安西水丸レベル?笑)

 映画は水に飛び込むイモリのエピソードで幕を閉じる。素晴らしくチャーミング!冒頭とラストに監督から見た畠山の印象をささやかに差し入れ、その控えめな身振りも、本作を上等にした一因だと思う。

未来をなぞる
~写真家 畠山直哉~

2015年/日本/87分
監督    畠山容平
撮影    畠山容平
編集    尾尻弘一
音楽    湊大尋
キャスト  畠山直哉