◆03FOTOSとサイトリニューアルについて

 1990年にギャラリーとして始めた03FOTOS(ゼロサンフォトス)を、2001年にphotographers’ gallery への加入を機に閉じた。その後pgをやめたあとはサイトだけ続けてきたのだが、このたび久しぶりにリニューアルすることにした。
 1990年頃は今ほど写真のギャラリーもなく、とりわけ自主ギャラリーのあり方は過渡期だったように思う。70年代の自主ギャラリーブームは去り、森山大道さんが1987年に始めたROOM 801(のちのFoto Daido)に端を発したプレイスMとギャラリー街道があるくらいだった。他にもあったのかもしれないけれど(正確には覚えていないのだけど、渋谷のさくら組や目黒の方にもあった気がするが、90年になる前には閉じたのではなかったか)、なにせ世間が狭く見渡していなかった。
 自主ギャラリーだから自分が出ていくことが最優先、つまりは自分が写真展をするための場所だった。年に多いときで4、5回、さらに二人展などを入れた時期もあったが、展示期間はせいぜい1週間弱(連続して開けられる日が6日間だった)なので、他の時間は暗室をしたり、希望者に展示してもらったりしていた。いまなら6日間の展示なんて絶対にやりたくないけれど、当時は戦略も計画も予定さえもあまりなく、撮っては出し撮っては出しというサイクルが必要だったのだろう。いま当時のプリントを見ても、いつの展示に掛けたものか定かではない。会場写真と付けあわせる時間と気力は当分ないだろうし、その必要性もないのだろう。
 pgへの加入を機に03を閉じることは自然なことだった。この経緯については『photographers’ galley press no.1』に「ゼロサンフォトスからフォトグラファーズギャラリーへ」という短文を書いているので省略するが、3年在籍したpgをやめたあと、すぐにではないにせよ03FOTOSを再開ということにはならなかった。すでに倉庫と化していて物理的に不可能に近いということもあったが(当然場所を移してという選択肢だってあったはずだ)声がかかったらやれるところでやればいいという境地に傾いていたこともある。生来人と接するのが不得手ということも大きく、年を重ねるごとにその気分が増長していき、場所をリアルからサイトへ移せばいいのではないか、人と会わなくても発信はできると安直に考えたのだと想像する。
 いつサイトを立ち上げたのか定かではないが(たぶん2003年前後だと思われる)いつでも発信できる状態は、現実の多忙さにいとも簡単に追いやられるのを日々体感し、今に至るまで細々と、たまにアップするのはニュースだったりと不活発このうえない状態だったのを、このたび一新しようと試みているわけである。向き不向きでいえば向いていないのは承知していて、では向いてないなりにやってみようじゃないかという発想が芽生え、さらに他人を巻き込んでやらざるを得なくしようという、取りあえず万全の態勢をしいた。
 リニューアルに際して読み物を入れたいと思い声をかけたのは、映画評を書き続け、「かよこ新聞」を発行している服部かよこさん。2013年の展示の際にご来場いただき、その後文通のような形で交流をしていたのだけど、彼女の映画評を読むと、映画が見たくなるという副作用が、このところ私を映画館に連れて行く。私にしてみれば、映画館でこんなに映画を見た年は学生時代以来ではないかと思う。もう一人、高橋義隆さんは長年03サイトの管理者であり、写真関係誌、カメラ雑誌などでよく執筆もしている方である。いろんな文章が書ける人なので、何が出てくるのか楽しみにしている。