■『コンパートメントNo.6』

あっ、ヤバイ💦開口一番、ロキシー・ミュージックの「Love is The Drug」が流れてきた。でもってスクリーンいっぱいに、文字だけのポスター風なテロップが映し出され、懐かしのデザインワークが泣けるじゃないか!ユホ・クオスマネン監督作品『コンパートメントNo.6』。まだ何も目撃していないのに、すでに只ならぬ映画の予感が—。はしゃぎ過ぎか?

ところが意外なことに、1975年のヒット・ソングをエンジンにしてすべり出す物語は、1990年代後半のモスクワから始まる。なるほど、ソビエト連邦崩壊後、すべての価値観がイッキに変わり、混迷を極めた当時のムードを、西側諸国から20年遅れた「Love is The Drug」で匂わせようということか。いやもっとストレートに、ヒロインの心情をなぞるための選曲だったともいえるだろう。なにせフィンランド人留学生のラウラは、今まさに愛にどっぷりつかり溺死寸前なのだから―。

そんな彼女のお相手は大学教授のイリーナ。今なら間違いなく「アカンでしょ、先生!」とツッコミを入れられそうなアカハラ&セクハラ案件である。でも、美しく自由を体現している大国のインテリの一挙一動はどこまでも眩く、ラウラにとっては媚薬以外の何物でもない。もちろん教授にとっても、無限大の白地が広がる若者は格好の漁場。両者の結びつきはある意味必然のようにも映る。

が、双方共に勝者になれないのは愛の常。先生から一緒に行くはずだった研究旅行をドタキャンされ、「ひとりで見識を広めておいで~♫」と明るく背中を押されても、媚薬に依存しているラウラのモヤモヤは増すばかり。旅の目的は何だったのか?本当に世界最北端にあるペトログリフ(岩面彫刻)見学だったのか?それとも旅先で恋人と過ごす親密な時間だったのか?…そんな自問自答が聞こえてきそうな浮かぬ顔のラウラである。明日から旅行だというのに―ね。

さて、見知らぬ土地へ向け、想定外のひとり旅が始まる。吹っ切れぬまま強がって出発はしたものの、当然モチベーションは低い。さらに暗雲が垂れ込める。タイトル通り、寝台列車の6号室に足を踏み入れると、なんと相室になるのは粗野で飲んだくれの若い労働者風男性ではないか。リョーハと名乗り、運悪く行き先も同じ最北の駅ムルマンスク。やたら馴れ馴れしく絡んできたりして心底ウザイ。たまりかねたラウラは、部屋を変えてもらおうと車掌にワイロを差し出すが、ぴしゃりと拒否され、あえなく撃沈。

でもまあ、心細くて神経質になるのはわかるが、ラウラの態度には学生らしからぬ尊大さが漂うのも事実だ。恋人が大学教授だから?じぶんもインテリの仲間だと勘違いしてるわけ?…映画はあえて旅の開始時に、ラウラのズレっぷりと四面楚歌感をてんこ盛りにした。しかも、列車内はどこもかしこも狭っ苦しくて息抜きできるスペースなどなく、外は笑っちゃうくらいの猛吹雪だから、孤立感もひとしお。

どうにもいたたまれず、途中のサンクトペテルブルク駅でイリーナに電話し、モスクワへ戻りたいと泣きつくはずが、つれなくあしらわれてその一言も言い出せ
ず…。崖っぷちに立たされたラウラはシブシブ列車に舞い戻る。はい、ご想像通り、ここからが旅の本番だ。

彼女の唯一の居場所の食堂車へ逃げ込んでも、「いつもむっつり顔。シワだらけになるぞ!」と、リョーハの直球攻撃は止まらない。遂にラウラは観念し、旅の目的やペトログリフの魅力をポツポツ語り出す。やがて気負いがほどけたのか、嫌悪していた同乗者を前に、口元にマヨネーズをつけたまま熱く話し込むようになるから笑った。リョーハが鉱山へ出稼ぎに行くことも聞き出したし、モスクワに心を置いたままだったラウラに、ようよう世界が立ち現れ始める。

さらに、微妙に距離の縮まったリョーハから、次の停泊駅で知人宅を訪問するからいっしょに来ないか?と誘われる。正直言って、まだまだラウラの警戒心は解けないが、迷った挙句、恐る恐る乗ってみることに—。夜更けの田舎道、ボロ車の軋み音、心細さMAXでたどり着いた一軒家には老女が独り暮らしていて、リョーハの話どおり、手厚いもてなしをしてくれるではないか! モスクワを後にして初めて他者の存在を受け入れ、自己開示できた瞬間がここにはある。

それにしても、旅の途中に列車の外で宿泊し、再び同じ列車に乗り込んで目的地へ向かうとは…まるで船旅気分じゃない?時間の流れが何とも贅沢。途中下車後のふたりが、すっかり打ち解け、子犬のようにじゃれあう間柄になるのも納得だ。

予期せぬギフトを機に、心から長旅を楽しめるようになったラウラには、じぶんから他者へ接近する余裕さえ生まれる。席が取れずに困っていた同胞の男性に声をかけ、相乗りを誘うが、これがリョーハにはクソ面白くない。そりゃあそうだろ。球種の少ないリョーハと違い、その男はスペックの高さが一目瞭然。何より旅先での同胞の絆をみせ付けられたら、割り込めず不貞寝するしかない—。

まっ、この男がとんでもない食わせ者で、恋人との思い出が詰まったビデオカメラを盗まれてしまい、人は見かけじゃないねとのオチはつく。ただ、列車という閉ざされた空間でありながら、映画が絶えず車内を街角のように流動的に切り取るので、教訓めいた話にならないところが心地イイ。いつだってどこでだって、ヘマすることもあれば上手くいくこともある。列車は終着駅まであとわずか。

到着を前に、ふたりは少しだけおめかしして食堂車で乾杯する。ラウラは道中の非礼を詫び、リョーハの寝顔を描いたスケッチを贈る。わたしのことも描いて!とねだり、住所交換しようとはしゃぐが、どうもうまくかみ合わない。挙句の果てには、リョーハは何も告げずに列車を降りてしまったのだ。

いやー、長旅を伴走してきた我々にとっては、願ったりな寸止めである。最果ての地に降り立ち、ペトログリフを目指すラウラの最終コーナーを、正真正銘のひとり旅の形で目撃できるのだから。その上、宿のフロント係にイケズされたり、電話口の恋人のそっけなさに改めて落胆したり、そもそも冬場はペトログリフへ行く手段がないと判明して途方に暮れたりと、この場に及んでネガティブ情報満載で面白すぎる!はてさて、ラウラよどうする?残りカードはあいつだけだ。

何としてでも、旅の目的を果たしたいと踏みとどまったラウラのために、一肌脱いだのは、やっぱりあのリョーハだった。我が祖国を旅する客人をせいいっぱいもてなそうと、出航を嫌がる地元漁師たちを粘り強く説得するではないか!

そしてここからの撮影がスゴイ!まったく別種のアドベンチャードラマが始まったのでは?と錯覚するほど、映画は海沿いの町の厳しい冬の横顔を様々な角度で切り取り、圧巻だった。白雪の中を無心で歩き続けるちっぽけな2人の姿は、いつしか物語の枠組みを離れ、太古の昔の人間たちの情感をも想起させた。

個人的に一番好きだったのは、リョーハが最後までペトログリフという名称を覚えきれず、ラウラの教養に立ち入らない点だ。彼女が魅かれている世界は、リョーハが親しんできた世界とはあまりにもかけ離れている…。ただ、そうだとわかった上で尚、他者を尊重できるようにリョーハも変わった。そう、偶然の出会いでじぶんの領域を広げられるようになったのは、リョーハもいっしょなのだ。

ラスト、我々は他者を想像することで、間違いなく球種が増えたリョーハを目撃し、苦笑いしながら幕切れに立ち会う。実に爽快。カンヌ映画祭2021年グランプ
リ受賞作品。

2021年/107分/フィンランド・ロシア・エストニア・ドイツ

監督/脚本/ ユホ・クオスマネン

原案/ ロサ・リクソム

撮影/ J=P・パッシ

編集/ ユッシ・ラウタニエミ

出演 セイディ・ハーラ ユーリー・ボリソフ