●本を出版しました

久々の更新です。

そして、宣伝です。

初めての著作を出版しました。
『言葉の果ての写真家たち 1960ー90年代の写真表現』
というタイトルです。

発行は青弓社になります。

http://www.seikyusha.co.jp/wp/books/isbn978-4-7872-7399-4

サイトも用意しました。
http://wordandimages.com/wp/

お手に取っていただけると幸いです。

●イーグルス『ホテル・カリフォルニア』

ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した。2016年後半のニュースにおける大きなトピックスと言える。今年に入りデヴィッド・ボウイやプリンスが逝去し、音楽の分野においては悲しい話題ばかりだった中で、ディランのニュースは明るい話題と言えるかもしれないが、なんとも微妙な感じがしないでもない。現行の下手な小説家や詩人よりディランの方がよっぽど文学的だし、そういう観点に立てば、アリなのかもしれないが、いまだディランもノーベル賞の運営側に連絡していない現状を思うと、本人も腑に落ちていないのかもしれない。

ディランの心中をこっちが勝手のあれこれ想像していても大きなお世話なので、ディランの文学性についてつれづれに書いてみようかなと思ったりしたのですが、ディランの詞にさほど反応してきていない自分にはたと気付いたのです。おや、これじゃタイムリーな話題について書けないじゃないかと久しぶりの話題かと張り切って書こうと思ったところで出鼻を挫かれた感がありますが、その前に気付けよと自分に突っ込む所存です。

で、話題を変えてイーグルスです。唐突にイーグルスの名前が出しましたが、何を話題にしようかというと、名曲「ホテル・カリフォルニア」の歌詞について書こうと思ったのです。なぜかというと、アメリカン・ロックにおいて「ホテル・カリフォルニア」の歌詞はもっとも優れた文学性を備えた曲だと思っています。たぶん、この曲を知る人は誰もが納得するはずです。

まずは歌詞を全文掲載します。

On a dark desert highway, cool wind in my hair
Warm smell of colitas, rising up through the air
Up ahead in the distance, I saw a shimmering light
My head grew heavy and my sight grew dim
I had to stop for the night

There she stood in the doorway
I heard the mission bell
And I was thinking to myself
‘This could be heaven or this could be Hell
Then she lit up a candle and she showed me the way
There were voices down the corridor
I thought I heard them say

Welcome to the Hotel California
Such a lovely place (such a lovely place)
Such a lovely face
Plenty of room at the Hotel California
Any time of year (any time of year) you can find it here

Her mind is Tiffany-twisted, she got the Mercedes bends
She got a lot of pretty, pretty boys, that she calls friends
How they dance in the courtyard, sweet summer sweat
Some dance to remember, some dance to forget

So I called up the Captain
‘Please bring me my wine
He said, “we haven’t had that spirit here since nineteen sixty-nine
And still those voices are calling from far away
Wake you up in the middle of the night
Just to hear them say”

Welcome to the Hotel California
Such a lovely place (such a lovely place)
Such a lovely face
They livin’ it up at the Hotel California
What a nice surprise (what a nice surprise), bring your alibis

Mirrors on the ceiling
The pink champagne on ice
And she said, ‘we are all just prisoners here, of our own device
And in the master’s chambers
They gathered for the feast
They stab it with their steely knives
But they just can’t kill the beast

Last thing I remember, I was
Running for the door
I had to find the passage back to the place I was before
‘Relax’ said the night man
‘We are programmed to receive
You can check out any time you like
But you can never leave!

夜の砂漠のハイウェイ 涼しげな風に髪が揺れて
コリタス草の甘い香りがあたりに漂う
はるか遠くに かすかな光が見える
俺の頭は重く 目の前がかすむ
どうやら 今夜は休息が必要だ

ミッションの鐘が鳴ると
戸口に女が現れた
「ここは天国か それとも地獄か」
俺は心の中でつぶやいた
すると 彼女はローソクに灯をともし
俺を部屋まで案内した
廊下の向こうで こう囁きかける声が聞こえた

ホテル・カリフォルニアへようこそ
ここは素敵なところ(そして素敵な人たちばかり)
ホテル・カリフォルニアは
いつでも あなたの訪れを待っています

彼女の心は紗のように微笑み メルセデスのように入りくんでいる
彼女が友達と呼ぶ美しい少年達はみな恋の虜だ
中庭では人々が香しい汗を流してダンスを踊っていた
想い出のために踊る人々 忘れるために踊る人々

「ワインを飲みたいんだが」と
キャプテンに告げると
「1969年からというものワインは一切置いてありません」
と彼は答えた
深い眠りにおちたはずの真夜中さえ
どこからともなく
俺に囁きかける声が聞こえる

ホテル・カリフォルニアへようこそ
ここは素敵なところ(そして素敵な人たちばかり)
ホテル・カリフォルニアは楽しいことばかり
アリバイを作って せいぜいお楽しみください

天井には鏡を張りつめ
氷の上にはピンクのシャンペン
「ここにいるのは 自分の企みのために囚われの身となってしまった人達ばかり」
と彼女は語る
やがて大広間では祝宴の準備が整った
集まった人々は
鋭いナイフで獣を突くが
誰も殺すことはできなかった

最後に覚えていることは
俺が出口を求めて走りまわっていることだった
前の場所に戻る通路が
どこかにきっとあるはずだ
すると夜警が言った
「落ち着きなさい われわれはここに住み着く運命なのだ
いつでもチェックアウトはできるが
ここを立ち去ることはできはしない」
(山本安見訳)
 

改めて読んでみると、霞がかった幻惑の光景のようにも見えてきます。そもそも「ホテルカリフォルニア」なるホテルが存在しているのだろうか? このホテル自体が一人称で語る「俺」が見た夢かあるいは妄想のような気すらしてきます。

歌詞はOn a dark desert highwayという言葉から始まりますが、そこから異界へと誘われていく印象を与えます。デヴィッド・リンチの映画『ロスト・ハイウェイ』の冒頭のような闇夜を疾走するイメージとも重なります。あるいは、ハイウェイを彷徨うところは『イージー・ライダー』の無頼なバイカーたち(ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー)の姿を想起させます。広大なアメリカのハイウェイを走りながら、果てることのない地平線を視界に収めていくうちに、延々と同じ道を走っているのではないかという錯覚にも陥っていそうな気分が伝わってきます。

広大なアメリカの荒野、というイメージはアメリカという地で生きる人々にとって根の深い原風景として存在しているように思えてきます。例えばジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』はタイトル通り「道」が舞台であり、そのケルアックが文章を寄せているロバート・フランクの写真集『アメリカンズ』にも同様の感性が反映されているように見えます。アメリカで生きることは、長い道の上で歩み、その先にある見果てぬ風景を延々と見つめることで、一種幻視にも近い感覚を持つのではないでしょうか。

「コリタス草の甘い香りがあたりに漂う」という件を読むと、コリタス草とあるが、他の葉っぱの隠喩では……と邪推してしまいます。その香りに導かれるように霞んだ目の先に浮かび上がるように見えてきた建物が「ホテル・カリフォルニア」だった…という展開はやや安易のような気もしますが、そこはまあ置いておきます。

「ここは天国か それとも地獄か」と内心つぶやく件がありますが、自分が立っている場所が不透明であり、そんな目の前の光景を疑っていることを想像させます。

なぜ彼は、眼前に広がる光景を素直に受け入れることができなかったのであろうか…。この歌詞にある状況を鑑みたとき、この語り手である男は酩酊していたか、疲労が頂点に達していたのか、あるいはドラッグの副作用なのか、いずれにしても神経は昂ぶり、精神的な圧力を受けていたのかもしれないと察します。

「ホテル・カリフォルニアへようこそ」という女性の囁き声に促され、ホテルの中で繰り広げられる饗宴を眺めるが、その姿にはどことなく倦怠感が漂っています。想い出を作るために踊り、あるいは過去を忘れるために踊る人。音楽が人の記憶に刻まれ、かつての光景を呼び覚ます。刹那的な快楽に身を委ね、その時間だけ俗世間を忘れ、没我の境地に至る。ここにかつて音楽が導いたはずの自由と楽園への理想が憧憬をもって描写されているように思えます。

そして、ワインを注文するも「1969年からというものワインは一切置いてありません」と言われる一節は、この曲の歌詞の中でも、とりわけ象徴的な一文になっています。英文では「spirit」という単語で「酒」を意味していますが、これは「精神」とのダブルミーニングで掛けていることは有名なので言及しません。1969年、ニューヨークで大規模なロック・フェスティバルが開催されました。いわゆるウッドストック・フェスティバルです。愛と平和をテーマにして、掲げた理想を実践したフェスと言えます。この背景には当時最中にあったベトナム戦争が影響していますが、同時に音楽が持ちうる愛と理想の力はこの時が頂点であり、その後、ロックミュージックは資本経済における商品として消費されるようになっていきました。つまり、音楽が持つ純粋なその力は、1969年を境にして失われていったこと指しています。

そして「自分の企みのために囚われの身となってしまった人達ばかり」が集うホテルであることを女性に言われ、男は逃げだそうとします。しかし、夜警に「われわれはここに住み着く運命なのだ。いつでもチェックアウトはできるが、ここを立ち去ることはできはしない」と決定的な言葉をかけられてしまいます。

自分の企みのために囚われ、チェックアウトはできるが立ち去ることはできないとは、どういうことであろうか? このホテルは一体誰がなんの目的で経営しているのか? 勝手な想像(妄想)をさせてもらうと、ホテル・カリフォルニアなる建物は存在しない。アメリカの路上を自動車で走る男が幻視した光景であり、あるいは死んだことに気付かずに足を踏み入れた黄泉の国ではないだろうか。

最後に覚えている光景は自分が出口を求めてホテルの中を彷徨う姿である。つまり、彼は今もこのホテルに滞在していることを意味している。それは彼にとって幸福なのか不幸なのか、それはわからない。しかし、男が何か企みを抱いていたからこそ、逃れられずに出口を探し続けているのであろう。

男の企みとは一体なんだったのか? それはこの歌詞を書いたドン・ヘンリーにしかわからないのかもしれません。

あ、そういえばメンバーのグレン・フライが今年の1月に亡くなっていたんだ…。
合掌。

●ブライアン・ウィルソンを観た

前回、小林秀雄の『ゴッホの手紙』を探しておきます、と書いてからすでに4ヶ月が経過しました。その間、何をしていたかというと、仕事をしていました。その中には、この03fotos.comのリニューアルのための作業も含まれております。その他もろもろ細々と雑務が重なり、今日に至った次第です。怠慢をご容赦ください。と、誰に言っているのかわかりませんが、とりあえず謝っておきます。あまり謝罪を安売りしていますと、説得力がなくなっていきますので、ここでやめておきます。

で、そんなてんやわんやの日々の中『ゴッホの手紙』を書棚から見つけたのですが、その前に書いておこうと思う体験がありましたので、記録することも含めここに記します。

それは4月に行われたブライアン・ウィルソンの日本公演です。小林秀雄からブライアン・ウィルソンへと飛躍しますが、そこはご容赦。私は4月11日の東京公演初日に行きました。私如きは一介の客に過ぎませんが、一応今回のライブについて説明します。

今回のライブのメインテーマはビーチボーイズのアルバム『ペット・サウンズ』の再現ライブです。『ペット・サウンズ』は今更私如きが説明するまでもなく、ロックミュージック史上に残る名盤であります。どれだけ名盤かというと、ビートルズのポール・マッカートニーが『ペット・サウンズ』を聴いて『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を作ったと言えば、納得いただけるでしょうか。ちなみに、『ペット・サウンズ』はブライアン・ウィルソンがビートルズの『ラバー・ソウル』に触発されて制作したとも言われています。ついでにフランク・ザッパも『ラバー・ソウル』に影響されたそうです。これだけのエピソードで時代背景とその影響力は十分伝わってくるでしょう。

と、肝心のライブの構成ですが、前半ヒット曲、中半『ペット・サウンズ』の再現ライブ、後半アンコールでヒット曲、という流れです。

全体を通して…、終始ブライアン・ウィルソンの存在に軽度の衝撃を受けっぱなしでした。カリスマとしての在りようとして、これもまた宿命なのか、という印象です。

まず、歌がどのメンバーよりも下手。元同僚のアル・ジャーデンの場合、軽ろやかに伸びのある歌声は当時の音源と変わらず、見た目とのギャップに面食らいしました。が、ブライアンは…衰えております。

しかも、ブライアンは曲によっては歌わず、キーボードを弾かない時もあり、ぼんやりとした表情で前方を見つめているような佇まいのときもあったりしました。これはやはり、『ペット・サウンズ』制作当時にハマっていたLSDの後遺症なのか…と思ったりもしました。もしそうだとしたら、クスリの影響力は大きいです。

アンコールではアル・ジャーデンの存在が際立ち、「サーフィンUSA」など往年のヒット曲を連発し、それまで温和しく座って見ていた観客も総立ちで、最高潮という光景でありました。アル・ジャーデンは職人ですね。ちなみに、私は終始座っておりました。

だが、このアンコールが最高潮に達しているときのブライアンは…ぼんやりとステージから観客席を見つめてばかりでした。

ある意味、達観した姿です。

最後にブライアンのファーストソロに収められた「Love and Mercy」で締めくくっていました。この時はもちろん歌いましたが、キーボードはバックミュージシャンが弾いておりました。

ライブはもちろん楽しめました。しかし、それ以上にブライアン・ウィルソンという人物の佇まいが気になって仕方ありませんでした。

ブライアン・ウィルソンは間違いなく天才です。彼の音楽家としてその才能を遺憾なく発揮した作品が『ペット・サウンズ』であり、次にリリースされるはずだった『スマイル』、そして『サンフラワー』『サーフズ・アップ』に収録された楽曲群だと思います。年代で言えば1966年から1970年にかけてでしょうか。個人的には『サーフズ・アップ』に収録された「Till I Die」そして本来は『スマイル』のときに録音された「Surf’s Up」の美しさは絶品ものだと思っております。

誤解を承知で書きますと、ブライアン・ウィルソンは、この時点で亡くなっていれば、時代を象徴した天才のひとりとして後世に名を残したでしょう。

しかし、神は彼に運命のいらずらをします。

亡くなったのはブライアンではなく、二人の弟・デニスとカールでした。カールは1998年にガンで亡くなりますが、デニスの場合、所有している船から転落し、溺死という痛ましいものでした。1983年のことです。

1970年代から1980年代にかけて、ブライアンはほとんど表立った活動はしていません。出来なかった、というのが実際の事情だったのでしょう。1988年に初のソロアルバム『ブライアン・ウィルソン』をリリースし、その後は現在に至るまでコンスタンツに活動していますが、空洞の期間に受けた影響は、いまだに彼の中で続いているのかもしれません。

『ペット・サウンズ』に収録された名曲「God Only Knows」にならっていえば、こうした運命のいたずらはまさしく神のみぞ知る、というところでしょうか。

●つれつれづれづれ

まずは自己紹介から。高橋義隆と申します。この03マガジンで書くきっかけは、元々03fotosのサイトを管理していたことからの由縁となります。管理させていただくようになって、すでに10年ちょいになりますでしょうか…。いつから始めたのか、覚えていないくらいの時間になります。こう書いて改めて時の流れのはやさを実感するとともに、その頃から何も変わっていないような気がして少し反省します。そんな話はともかく、その後縁あって写真に関する文章を書くようになり、現在も某会に会員として参加し、インタビューをしたり、写真家さんや写真について書いたりしております。写真に関する文章を書くようになって、これも10年くらいになりますでしょうか…。ここでも改めて時の流れのはやさを再び実感、そして、やはり何も変わっていないことにも再度気付き、不甲斐ない自分に項垂れることしきりです…。そんな反省の弁をここに書くのが目的でなく、楢橋さんから執筆の機会と場をいただき、こうして書かせて貰っている次第ですが、実はこう書きながら何もテーマを設けずにここまで書いております。そう、ネタがないのです。ネタがないのによく書いてんなと呆れている読者もいるかもしれませんが、書いている本人が誰よりも一番呆れております。こうして誤魔化しながら書いておりますが、誤魔化したまま文字数を埋められたら…と密かな思惑を抱いておりますが、それはそれで随分失礼な奴だなと我ながら感じ入る次第です。ところで文章を書いてもお金になりませんね。いきなり話題が転じましたが、写真について細々とながら書いておりまして、これまでまとまった原稿料というものを貰ったことはありません…。ちょっと嘘つきました、少しは貰ったことがあります。しかし微々たるものです。別に原稿料の単価を上げてほしいと言っているわけではありません。世の中には原稿用紙に言葉を埋めてお金をもらい、生計を立てている人もいます。あ、今原稿用紙にペンを使って書く人は少ないでしょうね。パソコンでパチパチキーボードを打ちながら原稿を書く人が多数でしょう。それにしても書くことで生業を立てている人はすごいですね。どうなったらそうなれるのか、アドバイスを乞いたいところです。唐突ですが瀬戸内寂聴が小林秀雄、司馬遼太郎の3人で講演旅行に行ったとき、寂聴さんが小林秀雄に「先生は何で生計をたてているのでしょうか?」というような質問をしたところ、「骨董の目利きだよ」と答えられたそうです。小林秀雄ですら原稿だけでは食べていけず、骨董の目利きで生業を立てていたとは、なんともこの国が知性を大事にしない姿勢が伺えますね。それにしても骨董の目利きって、具体的に何をしていたのでしょうか? それに骨董の目利きという仕事に昔は需要はあったのでしょうか…。骨董を扱うという時点で、すでに生計が成り立たないような気がしますが、まあそのあたりは気にしないようにします。ちなみに小林秀雄は私が好んで読む批評家の1人でありまして、自分が写真について文章を書くときに、意識していた文章は小林秀雄でした。しかしこの人の文章、晦渋でわかりにくいです。でも『ゴッホの手紙』は好きです。私が所有しているのは角川文庫版です。すでに絶版ですね。この本の終わり近くのページはゴッホの手紙の引用をしまくって、自分が書くことはもうないようなことを書いて終わっておりました。いいですね。ゴッホについていくら書こうが、最終的にはゴッホ本人の手紙を引用した方が、よっぽどゴッホの批評になっているということでしょうか。そんな小林秀雄の潔い態度はまっとうです。僭越ながら自分は写真もしくは写真家について文章を書くことがありますが、写真家自身が語る言葉だけがあれば批評はいらいんじゃないか…と思ったりしています。極端でしょうか? あるいはお前に地頭の理解力と文章の技術がないと言われれば身も蓋もありませんが、少なくとも写真に関しては批評は成り立たないという基本的な姿勢があったりします。ここで『ゴッホの手紙』から引用しようかなと思ったりしましたが、肝心の本が見たりません。探しておきます。ですので、中途半端な感じですが、今回はここまでにしておきます。