■『エセルとアーネスト ~ふたりの物語』

『ドッグマン』『ジョーカー』そして『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』…と、ここのところ、あたし好みの狂気をはらんだ映画に立て続けに出くわして、至極ご満悦。どの作品も、内なる境界線を踏み越えてしまった主人公が、危うい領域へ転がり落ちる瞬間を捉えていて、とてもスリリングだった。予想を超える見事なタガの外れっぷりに、思わずホレボレ(笑)。ユルく凡庸な毎日を生きてる人間側からすると、ちゃぶ台返しのアクションすべてに快哉を叫ぶってわけだ。

―が、今回取り上げるのは、これとはまったく真逆な一本。英国の絵本作家、レイモンド・ブリッグズが、今は亡き両親の想い出を綴った『エセルとアーネスト~ふたりの物語』(’16)である。

恥ずかしながら、この著名な作家に関する予備知識はゼロ。作品も読んでいない。そのうえ原作のアニメ化だという…(汗)。チラシを見れば、写実的な画風や真面目な人物タッチ、「ささやかな幸せを大切に生きたふたりの日々に温かな涙があふれる―」との惹句も照れくさくて、むしろ腰が引けるばかりだった。…が、なぜか劇場へ出掛けた(汗)。そして悪態ついてるヒマがないほど面白く見てしまったのだ!

映画は、原作者レイモンドが慣れた手つきでミルクティーを入れる、なんと“実写”シーンで幕を開ける。自宅と思わしき台所や仕事部屋を背景に、ご本人が本編の前フリをする仕立てだ。特に、ゆっくりハニかみながら両親の想い出を紐解く老画家の語り口は、レイモンドを知らない&ファミリーヒストリー好きなあたしに願ってもない導入となり、苦手意識は早々に吹き飛んだ―。
さてアニメ本編は、1928年のロンドンを舞台に、若かりし頃のレイモンドのご両親の馴れ初めから始まる。陽気な牛乳配達員のアーネストが、5歳年上のメイドのエセルと偶然目が合い、手を振りあって、デートに誘ったと思ったら、あれよあれよという間にご結婚!

古今東西の映画を愛好してきたあたしでも、ここまで高速ゴールイン・ドラマは記憶にないかも…マジで(汗)。しかも、ほころびを想像する気も失せるような、安心、安全、誠実、純粋なほのぼのカップルの誕生に、「おい、おい、開始早々ハッピーエンドか~!」と、意表を突かれて苦笑い。まるで、半年分の朝の連ドラを5分で早送りしたみたいなノリではないか(笑)。

そして、若い夫婦が新居の購入にチャレンジするくだりも見物。ここでは一転、人生すごろくのスピードはスローダウン。学のない牛乳配達員が、労働者としての誇りを胸に夢のマイホームを手に入れ、夫婦で知恵と力を合わせ、丁寧に暮らして行く様子を事細かにお披露目する。

25年のローンを組み、入り口には鉄の門。小さいながらも庭があり、トイレは水洗、お風呂だって付いている…。エセルが思わず涙ぐむほど、それは当時の憧れの文化的生活だったのだろう。さらに言えば、少し背伸びしての人生設計が、立ち上げたばかりの若い共同体の絆をより強固にしていて、90年前の英国庶民の“暮らしの社会史”として眺めても、興味深いスケッチになっていた。

1934年。ふたりに待望の子どもが授かる。雪の日の朝、難産を乗り切ってレイモンド誕生。そして同じ頃、世界はキナ臭い匂いに包まれるようになる。新しい歓びと、忍び寄る戦争の影を、映画は相互に組み入れながら、再び流麗に飛ばす。

「外」にどんなに荒波が立とうが、「内」は絶えず穏やかで、生活者目線を崩さないブリッグス家のエピソードの数々…。ささやかな日常の一コマが、緩急使い分けた編集のリズムによって、イチイチ粋な小話に豹変するのには驚いた。もちろん、夫婦の素顔には夫々の個性がくっきりと浮かび上がり、日本人のフツーとは異なる側面も伺われる。ラジオから流れる政治情勢に、敏感に反応するふたりが、互いの見解を自由に語る姿は、我が国のホームドラマではついぞお目にかかれない代物だろう。

また、エセルとアーネストにとって共に身内を亡くした前回の大戦の傷は深く、あの絶望を乗り越えることで、彼らの質実剛健な生活者スタイルが確立されたことにも気づかされる。生きている限り人生の時間は、絶えず後ろへも前へも伸び続けているのである。

世界は再び悲劇を繰り返す。ふたりは泣く泣く幼いレイモンドを田舎へ疎開させる。同時代を生きた人々なら、誰もが味わったであろう戦時下の不自由な暮らし…。だが、ブリッグズ家の体験談は、ここでも個別的であり普遍的でもあるように映る。それはなぜか。小さな幸福を積み重ねてひたむきに生きる一家の在り方に、我々自身が信じたい生のドラマを重ねて見ているからではないか。我々の営みには意味があると―。

やがて終戦。再び一つ屋根の下に家族が揃い、平和な日々が戻って来るが、政治は絶えず揺れ動き、科学の進歩は生活スタイルを一変させる。何より愛する一人息子の成長が、一番予期せぬ“未知との遭遇”になろうとは!(笑)

エセルとアーネストに信じたい生のドラマを重ねて見てきたのは我々観客だが、劇中のふたりも同じように、息子にこうなってほしい理想を思い描いていたのである。が、それは見果てぬ夢。握りしめていた親心をゆっくり手離すと、今度は自然にじぶんたちの老いが目の前に広がるようになる―。

人類が月への一歩を遂げた2年後、エセルはこの世を去り、追いかけるようにアーネストも旅立つ。ふたりの最期は、唖然とするほど即物的に描かれ、極めて残酷に映る。40年以上に渡り、ふたりの日々を丹念につむぎながら、映画は最後まで観客の思惑をいい意味で外し続け、ただただ激動の時代を駆け抜けた。

そう、すべては無常。誰にも等しく終わりはやってくる。しかし、はかない生の一回性に賭け、生涯を全うしたふたりの軌跡は、虚無に飲み込まれない。自身の両親を描きながら、真摯に生きたすべての人々の生をも照射したレイモンド、その仕事は大きい―。

『エセルとアーネスト ~ふたりの物語』

2016年/94分/英国 ルクセンブルク

原作    レイモンド・ブリッグズ
監督    ロジャー・メインウッド
音楽    カール・デイヴィス
声の出演  ブレンダ・ブレッシン ジム・ブロードベント