■ラサへの歩き方 ~祈りの2400Km

 チベットの小さな村、カム地方マルカム県プラ村に暮らす村人たちのお話である。現地に赴き、監督が意図した物語に近しい村人を探し、本人役で演じてもらおうという設定だ。脚本はないがこれもフィクション。しかもこの地で、この人たちでしか成立しない豪快なフィクションに仕立て上げ、大いにウケた!

 チベットのことだってよく知らないのに、プラ村って言われても…何のことやらである。名前は可愛いらしいけどね(笑)。しかし、映画に関する私の持論の一つに、知らないことが多ければ多いほど、むしろ“ラッキー!”という考えがある。未知の世界を垣間見せてくれて、しかもそれが想像をはるかに超えたトンデモない代物だったら、これ以上の喜びはない。そう私は、映画(虚構)と承知しつつ、それでもなお「世の中は宝の山だよ、ビバ人生!」と、思わず膝を打つような企みを、スクリーンの前で絶えず待ち望んでいるのである。

 そこで改めてプラ村のみなさんですが…、期待以上のチームワークを見せてくれて素敵すぎる! まず冒頭で綴られる、彼らの日々の暮らしの充実ぶりに、早くもヤラれましたね。チベットの生活スタイルは、これまでに何度も映像等で目にはしているが、手仕事の豊かさが全方位に展開されていて、じっとしていられなくなる。「一緒にやらせて!」と願い出たくなるのだ。そもそも自然の分量が圧倒的に多い地で、その恩恵を利用しながら地域性の高い営みが継続している光景を目にすると、高度に都市化した我が生活がクリーンかつ便利であってもひどく脆弱に思えるのは、今に始まったことではない。そのうえ、そうやってちょっと立ち止まって経済優先の現代社会を憂いてみせる自己浄化のそぶりすら(なんと特権的な!)、もはや賞味期限切れになって久しいわけです、はい(苦笑)。そんな中、本作にすぐさまノレたのは、プラ村のスケッチにまどろっこしさがないからだ。テクノロジーの進化を後ろめたく思うこともなければ、人類学者を気取って観察に終始する必要もない。食事、家畜の世話、ご近所づきあい、お茶と談話、冬支度、夜なべ、買い出し、そして祈りの時間…と、映画は村人たちの様々な生活の断片を普段通りに映し出す。でもって、意外にも呆れるほどサクサク掻い摘んで進み、抒情性に傾かない。賛美目線をあえて避けている節さえある。またその一方、同じ村に住む複数の家族をクローズUPし、相互の関係性を浮かび上がらせながら綴るため、私とプラ村との距離は瞬く間に縮まり、親密感が高まるという心憎いダンドリなのだ。さてそんなスケッチを見せた後、映画はいよいよメインイベントへ舵を切る。彼らはチーム・プラ村(!)として結束し、大掛かりな巡礼の旅へ向かう―。

死ぬ前にどうしても聖地ラサを訪れたいと願う老人が発端となり、若者に、幼い少女に、さらには妊婦までもが名乗りを上げ、4家族総勢11名の巡礼の旅が始まる。その行程は、まず村から1200km離れたラサへ赴き、さらにそこから1200km先の聖山カイラスを目指そうというものだ。ただしここが肝心なのだが、歩くだけでも過酷な道のりを、何と 両手・両膝・額の五か所を地面に投げ伏して祈る“五体投地”で敢行しようというのである。その厳粛な礼拝方法は、話には聞いていたが…途中でチラっとやるだけじゃないのね。全行程だったのね(汗)。いやー、あの動きを連続して行うには、腕・腹・背中の筋力が相当ないとポシャるわけで、想像しただけでも気が遠くなった。一応対策グッズらしきものを手作りで用意するのだが、両手のクッション板と、革製の長いエプロンを装着するだけでおしまい。そのいでたちは、なんだか『13日の金曜日』のジェイソンみたいでイカつい(笑)。ただ、マスクを被るジェイソンと違い、彼らは額を直に地面につけて祈り、生傷を物ともしない。いやはや、ホラー映画を越えるスゴ技だ。とにかくいちいち「マジかよ?」の連続だから、見ようによっては、すべてが合理的だったり科学的であろうとする現代社会への反骨とも取れたりするのだが…これまた意外にもそんな路線へ向かわない。では何に魅せられるのかというと、彼らの心の根っこがずーっと安定したままで、何ら揺らがない部分なのだった。

移動とハプニングは、映画に最もふさわしい仕掛け。1年あまりかけて成し遂げる異色の巡礼ロード・ムービーだから、ある意味、何を盛り込んでもとびっきりの絵になる。絶景シーンの連続はもちろん、旅の途中で出産はあるわ、落石に水害に大雪に交通事故と、チーム・プラ村は大忙しだ。だけど面白いのは、ハプニングによる変化感ではなく、何が起ころうと慌てず騒がず、鷹揚に構える彼らの身の処し方だった。スペシャルな旅プランであっても、冒頭で映し出された普段の生活のリズムを、そのまま行く先々で繰り返すチーム・プラ村。極めつけは、目と鼻の先までたどり着きながらお金が足りなくなり、2カ月間みんなで和気藹々とバイトしてから、再び出発するくだりだろう。なんとも贅沢な寸止めの時間に羨望の念を禁じ得なかった。そう、私は大きな勘違いをしていた。我々にとっては破格の行為でも、彼らにとってはあくまで日常の延長なのだ。家財道具持参で移動してるしね(笑)。だからちゃんと彼らの理には適っていて、むしろ実用性と合理性の兼ね備わったアクションだと考えるべきなのだ。そして何より、彼らは遥か上空の世界と祈りを通じて堅く結びついている!日々の生活とは真摯に向き合い、かつ、人間世界から遠く離れた地平ともつながって戯れるなんて…。これ以上シンプルで力強い動機づけなど他に思いつかないではないか―。

 五色の祈祷旗タルチョが舞うカイラス山に到着した一行は、最後の最後にまたも思わぬ事件に遭遇する。しかし、それさえ穏やかに丸ごと受け止めて自然に返す村人たち。その姿は、天空の下、すべてが一つの輪につながったように映り、実に雄大だった。私は思わず「シブイ!」とつぶやいた―。

ラサへの歩き方 ~祈りの2400Km
2015年/中国/カラー/118分
監督   チャン・ヤン
撮影   グオ・ダーミン
脚本   チャン・ヤン
キャスト チベット巡礼をする11人の村人