■フリーダ・カーロの遺品~ 石内都、織るように

ドキュメンタリー映画、『フリーダ・カーロの遺品~石内都、織るように』を見に出掛けた。めぐり合わせの妙も含め、なかなか得難い映画的興奮が味わえた。

 ここには被写体が2つある。1つは、死後50年経て初めて封印が解かれた、メキシコを代表する画家フリーダ・カーロの遺品である。彼女のトレードマークとなっていたメキシコの伝統衣装を始め、身に着けていた下着や装飾品などと共に、不自由な身体に苦しんだ生涯を物語るコルセットや医薬品等、彼女の日常生活と密接した様々な物たちが登場する。もう1つの被写体は、フリーダ・カーロ財団から撮影の依頼を受けた写真家・石内都の仕事風景だ。本作品の監督・小谷忠典は、学生時代から最も影響を受けた石内を、いつか自作で描いてみたいという思いがあり、意を決して直接連絡を取ったという。そこでたまたま、2週間後にフリーダの遺品撮影の目的でメキシコへ渡る話を聞き、何とか自分で渡航費用を工面し、撮影に同行。敬愛するアーティストの仕事現場に密着取材することが可能となったらしい。面白いのは偶然の数珠つなぎである。つまり、思い切って自分から近づいた小谷は、その結果、図らずも石内とフリーダという2人の女性アーティストを手繰り寄せるに至った。またその石内も、フリーダへの熱い支持から依頼を引き受けたわけではなく、メキシコに出向き、作品や遺品と直接対峙したことでイメージが刷新し、新たに魅了されたというから、これもまた予期せぬめぐり合わせだったと言えるだろう。何とまあ、ぞくぞくするような偶然ではないか!

こうして我々は、贅沢にも、小谷のカメラを通して2つの被写体の化学反応を見届ける幸運に恵まれる。中でも常に感動的だったのは、石内の柔軟なスタンスである。例えば現地のキューレターから遺品に関する説明を受けるとき、彼女はまるでフリーダの長年の友人のように理解しようと心を開き、耳を傾ける。「綺麗!」「面白い!」と感嘆しながら遺品の一つ一つににじり寄る姿は、女性モデルをその気にさせる男性カメラマンに見えたりもする。おそらく撮影に居合わせた人間は、監督以外全員女性だったと思われるが、衣服や生活にまつわる四方山話は、時空を超えて女たちの親密度を高めるもの。しかも、フリーダの日常に思いを馳せ、親類の集まりのように寛いで語り合う様子は、故人の墓掘りに留まるものでもない。そう、石内のスタンスは、現場に母性を立ち上らせる火付け役となる一方、カメラを通し父性の力で論理的に記録し、現在を基軸に捉え直して進むのだ。母性で場を温め、父性で切断するというその合わせ技に舌を巻いた。フリーダに流布する情念や傷のイメージを一度平坦に均し、生き物として存在した事実のみに集約したうえで、現在の時間に晒してもなおにじみ出る息遣いを丁寧に掬い上げるかのように…だ。そして、そんな慈愛に満ちた作業工程を経た石内の写真には、今まで知ることのなかったフリーダの可憐な気配が表れ出ていて、私にはとてもしっくりくるものとなった。遺品ではあるが、もはやものと呼べないような感覚…これもまたフリーダにまつわる一つの記憶である。記憶に正解はない。記憶の数が増えるほど、死者は自由に現在を駆け巡れるようになる。石内はカメラでより自由へと誘うのである。

そして映画はさらにもう一歩奥へ踏み込む。監督は、石内の仕事が形になり、写真集発表のハレの場まで追跡取材を続けたが、それだけで終わりにしなかった。ファンによる記録映画で着地せず、もう一度メキシコへ渡り、自分のまなざしも織り込むタペストリーに仕上げたのである。石内をきっかけにめぐりあったフリーダ・カーロ、そしてフリーダの精神的支柱となったメキシコの風土や伝統へ視野は広がり、今も受け継がれるオアハカの刺繍工芸に着目した小谷。母から娘へ譲り受け、親子3代で袖を通す伝統衣服という名の皮膚のバトンタッチを掘り起こすことで、フリーダの骨格をも示唆する取材となった。ここに、母性に対する感受性の強い小谷という作家の資質が発見できる。石内とは異なる文脈で、自分とフリーダの化学反応を織り上げたからこそ、偶然の旅の総括は成し得たのである。

 最後に個人的な備忘録を綴っておこう。正直言って私にとってフリーダは、どちらかというと踏み込みたくないタイプのアーティストだった(汗)。ただ、10年以上前に公開された伝記映画『フリーダ・カーロ』を見て、その独創的なファッション・センスの印象だけは強く残っていたため本作に足を延ばしたのだが、何を選んで生きたのかを、ものを通じて観察する機会となり、想像以上にスリリングで面白かった。特に日常使いの様々なものたちに、彼女の手仕事の痕跡が見られたときの興奮は忘れ難い。彼女の苛烈な生涯には、こんなささやかな作業に夢中になる時間が事実としてあり、太ゴシックで描かれることのないこの時間もまたフリーダを形作っていたと知って、軽やかな気分になったのだ。

その他、これは私の引き寄せた偶然になるのだが…、同日に見たホウ・シャオシェンの『黒衣の刺客』が、武侠映画でありながら衣装と母性の印象が濃厚に残る怪作だったことも書き加えておく。

 多面的な視座を組み入れて新たな物語が動き出す―。『フリーダ・カーロの遺品~石内都、織るように』は、そうした映画的な試みが成功した作品に仕上がっていると私は思う。

フリーダ・カーロの遺品~
石内都、織るように
2015年/日本/89分
監督    小谷忠典
撮影    小谷忠典
録音    藤野和行 磯部鉄平
音楽    磯端伸一
キャスト  石内都