●イーグルス『ホテル・カリフォルニア』

ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した。2016年後半のニュースにおける大きなトピックスと言える。今年に入りデヴィッド・ボウイやプリンスが逝去し、音楽の分野においては悲しい話題ばかりだった中で、ディランのニュースは明るい話題と言えるかもしれないが、なんとも微妙な感じがしないでもない。現行の下手な小説家や詩人よりディランの方がよっぽど文学的だし、そういう観点に立てば、アリなのかもしれないが、いまだディランもノーベル賞の運営側に連絡していない現状を思うと、本人も腑に落ちていないのかもしれない。

ディランの心中をこっちが勝手のあれこれ想像していても大きなお世話なので、ディランの文学性についてつれづれに書いてみようかなと思ったりしたのですが、ディランの詞にさほど反応してきていない自分にはたと気付いたのです。おや、これじゃタイムリーな話題について書けないじゃないかと久しぶりの話題かと張り切って書こうと思ったところで出鼻を挫かれた感がありますが、その前に気付けよと自分に突っ込む所存です。

で、話題を変えてイーグルスです。唐突にイーグルスの名前が出しましたが、何を話題にしようかというと、名曲「ホテル・カリフォルニア」の歌詞について書こうと思ったのです。なぜかというと、アメリカン・ロックにおいて「ホテル・カリフォルニア」の歌詞はもっとも優れた文学性を備えた曲だと思っています。たぶん、この曲を知る人は誰もが納得するはずです。

まずは歌詞を全文掲載します。

On a dark desert highway, cool wind in my hair
Warm smell of colitas, rising up through the air
Up ahead in the distance, I saw a shimmering light
My head grew heavy and my sight grew dim
I had to stop for the night

There she stood in the doorway
I heard the mission bell
And I was thinking to myself
‘This could be heaven or this could be Hell
Then she lit up a candle and she showed me the way
There were voices down the corridor
I thought I heard them say

Welcome to the Hotel California
Such a lovely place (such a lovely place)
Such a lovely face
Plenty of room at the Hotel California
Any time of year (any time of year) you can find it here

Her mind is Tiffany-twisted, she got the Mercedes bends
She got a lot of pretty, pretty boys, that she calls friends
How they dance in the courtyard, sweet summer sweat
Some dance to remember, some dance to forget

So I called up the Captain
‘Please bring me my wine
He said, “we haven’t had that spirit here since nineteen sixty-nine
And still those voices are calling from far away
Wake you up in the middle of the night
Just to hear them say”

Welcome to the Hotel California
Such a lovely place (such a lovely place)
Such a lovely face
They livin’ it up at the Hotel California
What a nice surprise (what a nice surprise), bring your alibis

Mirrors on the ceiling
The pink champagne on ice
And she said, ‘we are all just prisoners here, of our own device
And in the master’s chambers
They gathered for the feast
They stab it with their steely knives
But they just can’t kill the beast

Last thing I remember, I was
Running for the door
I had to find the passage back to the place I was before
‘Relax’ said the night man
‘We are programmed to receive
You can check out any time you like
But you can never leave!

夜の砂漠のハイウェイ 涼しげな風に髪が揺れて
コリタス草の甘い香りがあたりに漂う
はるか遠くに かすかな光が見える
俺の頭は重く 目の前がかすむ
どうやら 今夜は休息が必要だ

ミッションの鐘が鳴ると
戸口に女が現れた
「ここは天国か それとも地獄か」
俺は心の中でつぶやいた
すると 彼女はローソクに灯をともし
俺を部屋まで案内した
廊下の向こうで こう囁きかける声が聞こえた

ホテル・カリフォルニアへようこそ
ここは素敵なところ(そして素敵な人たちばかり)
ホテル・カリフォルニアは
いつでも あなたの訪れを待っています

彼女の心は紗のように微笑み メルセデスのように入りくんでいる
彼女が友達と呼ぶ美しい少年達はみな恋の虜だ
中庭では人々が香しい汗を流してダンスを踊っていた
想い出のために踊る人々 忘れるために踊る人々

「ワインを飲みたいんだが」と
キャプテンに告げると
「1969年からというものワインは一切置いてありません」
と彼は答えた
深い眠りにおちたはずの真夜中さえ
どこからともなく
俺に囁きかける声が聞こえる

ホテル・カリフォルニアへようこそ
ここは素敵なところ(そして素敵な人たちばかり)
ホテル・カリフォルニアは楽しいことばかり
アリバイを作って せいぜいお楽しみください

天井には鏡を張りつめ
氷の上にはピンクのシャンペン
「ここにいるのは 自分の企みのために囚われの身となってしまった人達ばかり」
と彼女は語る
やがて大広間では祝宴の準備が整った
集まった人々は
鋭いナイフで獣を突くが
誰も殺すことはできなかった

最後に覚えていることは
俺が出口を求めて走りまわっていることだった
前の場所に戻る通路が
どこかにきっとあるはずだ
すると夜警が言った
「落ち着きなさい われわれはここに住み着く運命なのだ
いつでもチェックアウトはできるが
ここを立ち去ることはできはしない」
(山本安見訳)
 

改めて読んでみると、霞がかった幻惑の光景のようにも見えてきます。そもそも「ホテルカリフォルニア」なるホテルが存在しているのだろうか? このホテル自体が一人称で語る「俺」が見た夢かあるいは妄想のような気すらしてきます。

歌詞はOn a dark desert highwayという言葉から始まりますが、そこから異界へと誘われていく印象を与えます。デヴィッド・リンチの映画『ロスト・ハイウェイ』の冒頭のような闇夜を疾走するイメージとも重なります。あるいは、ハイウェイを彷徨うところは『イージー・ライダー』の無頼なバイカーたち(ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー)の姿を想起させます。広大なアメリカのハイウェイを走りながら、果てることのない地平線を視界に収めていくうちに、延々と同じ道を走っているのではないかという錯覚にも陥っていそうな気分が伝わってきます。

広大なアメリカの荒野、というイメージはアメリカという地で生きる人々にとって根の深い原風景として存在しているように思えてきます。例えばジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』はタイトル通り「道」が舞台であり、そのケルアックが文章を寄せているロバート・フランクの写真集『アメリカンズ』にも同様の感性が反映されているように見えます。アメリカで生きることは、長い道の上で歩み、その先にある見果てぬ風景を延々と見つめることで、一種幻視にも近い感覚を持つのではないでしょうか。

「コリタス草の甘い香りがあたりに漂う」という件を読むと、コリタス草とあるが、他の葉っぱの隠喩では……と邪推してしまいます。その香りに導かれるように霞んだ目の先に浮かび上がるように見えてきた建物が「ホテル・カリフォルニア」だった…という展開はやや安易のような気もしますが、そこはまあ置いておきます。

「ここは天国か それとも地獄か」と内心つぶやく件がありますが、自分が立っている場所が不透明であり、そんな目の前の光景を疑っていることを想像させます。

なぜ彼は、眼前に広がる光景を素直に受け入れることができなかったのであろうか…。この歌詞にある状況を鑑みたとき、この語り手である男は酩酊していたか、疲労が頂点に達していたのか、あるいはドラッグの副作用なのか、いずれにしても神経は昂ぶり、精神的な圧力を受けていたのかもしれないと察します。

「ホテル・カリフォルニアへようこそ」という女性の囁き声に促され、ホテルの中で繰り広げられる饗宴を眺めるが、その姿にはどことなく倦怠感が漂っています。想い出を作るために踊り、あるいは過去を忘れるために踊る人。音楽が人の記憶に刻まれ、かつての光景を呼び覚ます。刹那的な快楽に身を委ね、その時間だけ俗世間を忘れ、没我の境地に至る。ここにかつて音楽が導いたはずの自由と楽園への理想が憧憬をもって描写されているように思えます。

そして、ワインを注文するも「1969年からというものワインは一切置いてありません」と言われる一節は、この曲の歌詞の中でも、とりわけ象徴的な一文になっています。英文では「spirit」という単語で「酒」を意味していますが、これは「精神」とのダブルミーニングで掛けていることは有名なので言及しません。1969年、ニューヨークで大規模なロック・フェスティバルが開催されました。いわゆるウッドストック・フェスティバルです。愛と平和をテーマにして、掲げた理想を実践したフェスと言えます。この背景には当時最中にあったベトナム戦争が影響していますが、同時に音楽が持ちうる愛と理想の力はこの時が頂点であり、その後、ロックミュージックは資本経済における商品として消費されるようになっていきました。つまり、音楽が持つ純粋なその力は、1969年を境にして失われていったこと指しています。

そして「自分の企みのために囚われの身となってしまった人達ばかり」が集うホテルであることを女性に言われ、男は逃げだそうとします。しかし、夜警に「われわれはここに住み着く運命なのだ。いつでもチェックアウトはできるが、ここを立ち去ることはできはしない」と決定的な言葉をかけられてしまいます。

自分の企みのために囚われ、チェックアウトはできるが立ち去ることはできないとは、どういうことであろうか? このホテルは一体誰がなんの目的で経営しているのか? 勝手な想像(妄想)をさせてもらうと、ホテル・カリフォルニアなる建物は存在しない。アメリカの路上を自動車で走る男が幻視した光景であり、あるいは死んだことに気付かずに足を踏み入れた黄泉の国ではないだろうか。

最後に覚えている光景は自分が出口を求めてホテルの中を彷徨う姿である。つまり、彼は今もこのホテルに滞在していることを意味している。それは彼にとって幸福なのか不幸なのか、それはわからない。しかし、男が何か企みを抱いていたからこそ、逃れられずに出口を探し続けているのであろう。

男の企みとは一体なんだったのか? それはこの歌詞を書いたドン・ヘンリーにしかわからないのかもしれません。

あ、そういえばメンバーのグレン・フライが今年の1月に亡くなっていたんだ…。
合掌。