●イーグルス『ホテル・カリフォルニア』

ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した。2016年後半のニュースにおける大きなトピックスと言える。今年に入りデヴィッド・ボウイやプリンスが逝去し、音楽の分野においては悲しい話題ばかりだった中で、ディランのニュースは明るい話題と言えるかもしれないが、なんとも微妙な感じがしないでもない。現行の下手な小説家や詩人よりディランの方がよっぽど文学的だし、そういう観点に立てば、アリなのかもしれないが、いまだディランもノーベル賞の運営側に連絡していない現状を思うと、本人も腑に落ちていないのかもしれない。

ディランの心中をこっちが勝手のあれこれ想像していても大きなお世話なので、ディランの文学性についてつれづれに書いてみようかなと思ったりしたのですが、ディランの詞にさほど反応してきていない自分にはたと気付いたのです。おや、これじゃタイムリーな話題について書けないじゃないかと久しぶりの話題かと張り切って書こうと思ったところで出鼻を挫かれた感がありますが、その前に気付けよと自分に突っ込む所存です。

で、話題を変えてイーグルスです。唐突にイーグルスの名前が出しましたが、何を話題にしようかというと、名曲「ホテル・カリフォルニア」の歌詞について書こうと思ったのです。なぜかというと、アメリカン・ロックにおいて「ホテル・カリフォルニア」の歌詞はもっとも優れた文学性を備えた曲だと思っています。たぶん、この曲を知る人は誰もが納得するはずです。

まずは歌詞を全文掲載します。

On a dark desert highway, cool wind in my hair
Warm smell of colitas, rising up through the air
Up ahead in the distance, I saw a shimmering light
My head grew heavy and my sight grew dim
I had to stop for the night

There she stood in the doorway
I heard the mission bell
And I was thinking to myself
‘This could be heaven or this could be Hell
Then she lit up a candle and she showed me the way
There were voices down the corridor
I thought I heard them say

Welcome to the Hotel California
Such a lovely place (such a lovely place)
Such a lovely face
Plenty of room at the Hotel California
Any time of year (any time of year) you can find it here

Her mind is Tiffany-twisted, she got the Mercedes bends
She got a lot of pretty, pretty boys, that she calls friends
How they dance in the courtyard, sweet summer sweat
Some dance to remember, some dance to forget

So I called up the Captain
‘Please bring me my wine
He said, “we haven’t had that spirit here since nineteen sixty-nine
And still those voices are calling from far away
Wake you up in the middle of the night
Just to hear them say”

Welcome to the Hotel California
Such a lovely place (such a lovely place)
Such a lovely face
They livin’ it up at the Hotel California
What a nice surprise (what a nice surprise), bring your alibis

Mirrors on the ceiling
The pink champagne on ice
And she said, ‘we are all just prisoners here, of our own device
And in the master’s chambers
They gathered for the feast
They stab it with their steely knives
But they just can’t kill the beast

Last thing I remember, I was
Running for the door
I had to find the passage back to the place I was before
‘Relax’ said the night man
‘We are programmed to receive
You can check out any time you like
But you can never leave!

夜の砂漠のハイウェイ 涼しげな風に髪が揺れて
コリタス草の甘い香りがあたりに漂う
はるか遠くに かすかな光が見える
俺の頭は重く 目の前がかすむ
どうやら 今夜は休息が必要だ

ミッションの鐘が鳴ると
戸口に女が現れた
「ここは天国か それとも地獄か」
俺は心の中でつぶやいた
すると 彼女はローソクに灯をともし
俺を部屋まで案内した
廊下の向こうで こう囁きかける声が聞こえた

ホテル・カリフォルニアへようこそ
ここは素敵なところ(そして素敵な人たちばかり)
ホテル・カリフォルニアは
いつでも あなたの訪れを待っています

彼女の心は紗のように微笑み メルセデスのように入りくんでいる
彼女が友達と呼ぶ美しい少年達はみな恋の虜だ
中庭では人々が香しい汗を流してダンスを踊っていた
想い出のために踊る人々 忘れるために踊る人々

「ワインを飲みたいんだが」と
キャプテンに告げると
「1969年からというものワインは一切置いてありません」
と彼は答えた
深い眠りにおちたはずの真夜中さえ
どこからともなく
俺に囁きかける声が聞こえる

ホテル・カリフォルニアへようこそ
ここは素敵なところ(そして素敵な人たちばかり)
ホテル・カリフォルニアは楽しいことばかり
アリバイを作って せいぜいお楽しみください

天井には鏡を張りつめ
氷の上にはピンクのシャンペン
「ここにいるのは 自分の企みのために囚われの身となってしまった人達ばかり」
と彼女は語る
やがて大広間では祝宴の準備が整った
集まった人々は
鋭いナイフで獣を突くが
誰も殺すことはできなかった

最後に覚えていることは
俺が出口を求めて走りまわっていることだった
前の場所に戻る通路が
どこかにきっとあるはずだ
すると夜警が言った
「落ち着きなさい われわれはここに住み着く運命なのだ
いつでもチェックアウトはできるが
ここを立ち去ることはできはしない」
(山本安見訳)
 

改めて読んでみると、霞がかった幻惑の光景のようにも見えてきます。そもそも「ホテルカリフォルニア」なるホテルが存在しているのだろうか? このホテル自体が一人称で語る「俺」が見た夢かあるいは妄想のような気すらしてきます。

歌詞はOn a dark desert highwayという言葉から始まりますが、そこから異界へと誘われていく印象を与えます。デヴィッド・リンチの映画『ロスト・ハイウェイ』の冒頭のような闇夜を疾走するイメージとも重なります。あるいは、ハイウェイを彷徨うところは『イージー・ライダー』の無頼なバイカーたち(ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー)の姿を想起させます。広大なアメリカのハイウェイを走りながら、果てることのない地平線を視界に収めていくうちに、延々と同じ道を走っているのではないかという錯覚にも陥っていそうな気分が伝わってきます。

広大なアメリカの荒野、というイメージはアメリカという地で生きる人々にとって根の深い原風景として存在しているように思えてきます。例えばジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』はタイトル通り「道」が舞台であり、そのケルアックが文章を寄せているロバート・フランクの写真集『アメリカンズ』にも同様の感性が反映されているように見えます。アメリカで生きることは、長い道の上で歩み、その先にある見果てぬ風景を延々と見つめることで、一種幻視にも近い感覚を持つのではないでしょうか。

「コリタス草の甘い香りがあたりに漂う」という件を読むと、コリタス草とあるが、他の葉っぱの隠喩では……と邪推してしまいます。その香りに導かれるように霞んだ目の先に浮かび上がるように見えてきた建物が「ホテル・カリフォルニア」だった…という展開はやや安易のような気もしますが、そこはまあ置いておきます。

「ここは天国か それとも地獄か」と内心つぶやく件がありますが、自分が立っている場所が不透明であり、そんな目の前の光景を疑っていることを想像させます。

なぜ彼は、眼前に広がる光景を素直に受け入れることができなかったのであろうか…。この歌詞にある状況を鑑みたとき、この語り手である男は酩酊していたか、疲労が頂点に達していたのか、あるいはドラッグの副作用なのか、いずれにしても神経は昂ぶり、精神的な圧力を受けていたのかもしれないと察します。

「ホテル・カリフォルニアへようこそ」という女性の囁き声に促され、ホテルの中で繰り広げられる饗宴を眺めるが、その姿にはどことなく倦怠感が漂っています。想い出を作るために踊り、あるいは過去を忘れるために踊る人。音楽が人の記憶に刻まれ、かつての光景を呼び覚ます。刹那的な快楽に身を委ね、その時間だけ俗世間を忘れ、没我の境地に至る。ここにかつて音楽が導いたはずの自由と楽園への理想が憧憬をもって描写されているように思えます。

そして、ワインを注文するも「1969年からというものワインは一切置いてありません」と言われる一節は、この曲の歌詞の中でも、とりわけ象徴的な一文になっています。英文では「spirit」という単語で「酒」を意味していますが、これは「精神」とのダブルミーニングで掛けていることは有名なので言及しません。1969年、ニューヨークで大規模なロック・フェスティバルが開催されました。いわゆるウッドストック・フェスティバルです。愛と平和をテーマにして、掲げた理想を実践したフェスと言えます。この背景には当時最中にあったベトナム戦争が影響していますが、同時に音楽が持ちうる愛と理想の力はこの時が頂点であり、その後、ロックミュージックは資本経済における商品として消費されるようになっていきました。つまり、音楽が持つ純粋なその力は、1969年を境にして失われていったこと指しています。

そして「自分の企みのために囚われの身となってしまった人達ばかり」が集うホテルであることを女性に言われ、男は逃げだそうとします。しかし、夜警に「われわれはここに住み着く運命なのだ。いつでもチェックアウトはできるが、ここを立ち去ることはできはしない」と決定的な言葉をかけられてしまいます。

自分の企みのために囚われ、チェックアウトはできるが立ち去ることはできないとは、どういうことであろうか? このホテルは一体誰がなんの目的で経営しているのか? 勝手な想像(妄想)をさせてもらうと、ホテル・カリフォルニアなる建物は存在しない。アメリカの路上を自動車で走る男が幻視した光景であり、あるいは死んだことに気付かずに足を踏み入れた黄泉の国ではないだろうか。

最後に覚えている光景は自分が出口を求めてホテルの中を彷徨う姿である。つまり、彼は今もこのホテルに滞在していることを意味している。それは彼にとって幸福なのか不幸なのか、それはわからない。しかし、男が何か企みを抱いていたからこそ、逃れられずに出口を探し続けているのであろう。

男の企みとは一体なんだったのか? それはこの歌詞を書いたドン・ヘンリーにしかわからないのかもしれません。

あ、そういえばメンバーのグレン・フライが今年の1月に亡くなっていたんだ…。
合掌。

■彷徨える河

アマゾンの密林が舞台のモノクロ映画『彷徨える河』。とりあえずアマゾンと聞いて、私のお粗末な想像力ですぐに浮かぶ設定は、<先住民族VS侵略者の攻防史パターン>と、<科学で解明できない自然神への崇拝パターン>の2つだけ。だから「結局はそのどちらかに収まるだけで、さして目新しくもないんじゃねーの?」と期待は薄かった。ところがフタを開けたら、想定内に関わらずベラ棒に面白い!2つのパターンを両方盛り込んでなおかつ、娯楽映画の胸騒ぎをキープ。ずーっとワクワクし通しだった。

ではその勝因は何か―。まずは肉体の説得力だ。先住民族唯一の生き残りとして、開口一番に登場する青年カラマカテ。カメラは彼を足元から舐め、ふてぶてしくて剛毅な面構えを捉え、ほぼ全裸に近しい後ろ姿までイッキに撮り切る。たかだか数分のファーストショット、だが速攻、我々の意識はアマゾンへ持っていかれる!ツイさっき食べたランチのことも、急ぎで返信しなきゃならないメールのことも、すべて抹消。呆けたようにスクリーンに注視するだけの状態になるのだ。カラマカテ、お前は一体何者だ?大ぶりな首飾りと腕に巻き付けた羽、股間のみ覆う紐パンに、手には長~い棒を持つ男。自前の筋肉そのものが衣服のように映え、それも“隆とした身なり”ってヤツにまで昇華しているではないか。素人目ながら、ゴールドジム+プロテインの筋肉とは違うのよ…もっと粋筋なのよ!と思わず口走りそうになった。そう、すっかり映画のマジックにノせられ、梯子を外されたわけだ。

で、ビジュアルの次に吸い寄せられたのが対話である。これまた勝手な思い込みなのだが、未開の地への探検ドラマとなれば、コミュニケーションが図れないのが前提となるはずだが、ここでは冒頭から対話が花盛り。意表を突かれた!ある日、不治の病に侵されたドイツ人の民族学者テオドールと、先住民族出身の案内人マンドゥカが、カラマカテの呪術を頼りに来訪。白人侵略者たちへの恨みが根深いカラマカテは、一度は拒絶するが、唯一の治療薬となる植物“ヤクルナ”探しの旅へ同行することになる―。はい、そうです、奇妙な組合わせの3人がカヌーに同乗し、大アマゾンを移動するロード・ムービーの体裁となるのだ。民俗学者だから言葉の壁がないのだろうけど…話が早いね(笑)。しかも先住民族の言語(一体何語?)が、コロコロと鳴り響く魅力的なイントネーションで、イチイチ耳に心地よい。音声素材を表現に取り込めるのも映画のマジックを強める一手だと痛感した。もちろん旅の途中の会話の中身がこれまた上等!モノに執着するテオドールを「正気じゃない」と諫めたり、「雨の前に魚を食べてはダメだ」など禁忌を連発してハッとさせたリ、妻への愛を手紙に綴るテオドールを可笑しがったりと、映画はカラマカテを通じてカルチャーギャップを提示し、科学的進歩に疑問を投じるくだりとするわけだが、カラマカテの知恵者ぶりが心技体を熟成した果ての簡素な美しさで迫ってくるため、くすぐりにもったいぶった匂いが感じられない。やがて警戒心をほどき合い、会話を重ね、互いの意見と人格を整理しながら静かに信頼関係を育んで行くプロセスに、私はメロメロになった。

そして映画には、もう一つ大きな仕掛けが用意されている。20世紀初頭の3人の旅と並行して、それから数十年後の老いたカラマカテの現在が挿入される。そのお姿は、枯れてなお鳶の頭のような風貌で、藍染の半纏でも羽織らせたらとびっきり似合いそうだが、時を経て記憶を失くし、孤独の淵にいるらしい。そこへ欲深く不眠症のアメリカ人植物学者が現れ、全てを忘れて無(チュジャチャキ)になったカラマカテを誘い出し、再びヤクルナ探しの旅に出掛けるシークエンスが描かれるのだ。

ネタバレになるのでここには記さないが、過去の3人旅がこの先どういう末路を辿るのか?…河べりに舟を乗り着ける度に遭遇する悪夢の連続に終わりは来るのか?…ヤクルナは見つかるのか?…テオドールたちとの交流は?…等々、その後の2人旅からも同時に過去の出来事の行方を推察することになり、我々は聖なる植物を巡って突き進む2つの時間に絡めとられる。そこには、河の流れと呼応した出口が見えない欲望深き横の展開と、ジャングルから天空に向かって縦へ縦へと伸びるシャーマンの精神世界が出現し、やがて驚くべき結末へとジャンプする。ケレン味たっぷりに描かれる、聖と俗がせめぎ合うスケッチの数々…そのどれもが夢見るようであり、繰り返される弱者の悲劇を予感させるようにも映る。

交錯する2つの旅は、共に病に苦しむ知識人が一方的にカラマカテに接近して始まるものだった。なんやかんやと理屈を並べても、行き詰まった合理主義の果てに尚、使えるものは出涸らしになるまで使い切ろうとの魂胆が透けて見える残酷な設定である。しかし、映画はラストで安直な二項対立劇をうっちゃり、命さえない世界を覗かせた。カラマカテから何と刃を向けた相手へバトンをつなぎ、スクリーンをカラーに一変させ、我々をコイワノ族の末裔に化けさせる幕切れの鮮やかなこと!お~っ、こんな大風呂敷ならどこまでも広げていただきましょう。私は未だに梯子を外されたまま、宙吊りの中にいる―。

彷徨える河 (2015) コロンビア・ベネズエラ・アルゼンチン合作 モノクロ124分
監督:シーラ・ゲーロ
撮影監督:ダビ・ガジェゴ
脚本:シーロ・ゲーラ
ジャック・トゥールモンド
キャスト:ヤン・ベイブート 
ブリオン・デイビス

■ラサへの歩き方 ~祈りの2400Km

 チベットの小さな村、カム地方マルカム県プラ村に暮らす村人たちのお話である。現地に赴き、監督が意図した物語に近しい村人を探し、本人役で演じてもらおうという設定だ。脚本はないがこれもフィクション。しかもこの地で、この人たちでしか成立しない豪快なフィクションに仕立て上げ、大いにウケた!

 チベットのことだってよく知らないのに、プラ村って言われても…何のことやらである。名前は可愛いらしいけどね(笑)。しかし、映画に関する私の持論の一つに、知らないことが多ければ多いほど、むしろ“ラッキー!”という考えがある。未知の世界を垣間見せてくれて、しかもそれが想像をはるかに超えたトンデモない代物だったら、これ以上の喜びはない。そう私は、映画(虚構)と承知しつつ、それでもなお「世の中は宝の山だよ、ビバ人生!」と、思わず膝を打つような企みを、スクリーンの前で絶えず待ち望んでいるのである。

 そこで改めてプラ村のみなさんですが…、期待以上のチームワークを見せてくれて素敵すぎる! まず冒頭で綴られる、彼らの日々の暮らしの充実ぶりに、早くもヤラれましたね。チベットの生活スタイルは、これまでに何度も映像等で目にはしているが、手仕事の豊かさが全方位に展開されていて、じっとしていられなくなる。「一緒にやらせて!」と願い出たくなるのだ。そもそも自然の分量が圧倒的に多い地で、その恩恵を利用しながら地域性の高い営みが継続している光景を目にすると、高度に都市化した我が生活がクリーンかつ便利であってもひどく脆弱に思えるのは、今に始まったことではない。そのうえ、そうやってちょっと立ち止まって経済優先の現代社会を憂いてみせる自己浄化のそぶりすら(なんと特権的な!)、もはや賞味期限切れになって久しいわけです、はい(苦笑)。そんな中、本作にすぐさまノレたのは、プラ村のスケッチにまどろっこしさがないからだ。テクノロジーの進化を後ろめたく思うこともなければ、人類学者を気取って観察に終始する必要もない。食事、家畜の世話、ご近所づきあい、お茶と談話、冬支度、夜なべ、買い出し、そして祈りの時間…と、映画は村人たちの様々な生活の断片を普段通りに映し出す。でもって、意外にも呆れるほどサクサク掻い摘んで進み、抒情性に傾かない。賛美目線をあえて避けている節さえある。またその一方、同じ村に住む複数の家族をクローズUPし、相互の関係性を浮かび上がらせながら綴るため、私とプラ村との距離は瞬く間に縮まり、親密感が高まるという心憎いダンドリなのだ。さてそんなスケッチを見せた後、映画はいよいよメインイベントへ舵を切る。彼らはチーム・プラ村(!)として結束し、大掛かりな巡礼の旅へ向かう―。

死ぬ前にどうしても聖地ラサを訪れたいと願う老人が発端となり、若者に、幼い少女に、さらには妊婦までもが名乗りを上げ、4家族総勢11名の巡礼の旅が始まる。その行程は、まず村から1200km離れたラサへ赴き、さらにそこから1200km先の聖山カイラスを目指そうというものだ。ただしここが肝心なのだが、歩くだけでも過酷な道のりを、何と 両手・両膝・額の五か所を地面に投げ伏して祈る“五体投地”で敢行しようというのである。その厳粛な礼拝方法は、話には聞いていたが…途中でチラっとやるだけじゃないのね。全行程だったのね(汗)。いやー、あの動きを連続して行うには、腕・腹・背中の筋力が相当ないとポシャるわけで、想像しただけでも気が遠くなった。一応対策グッズらしきものを手作りで用意するのだが、両手のクッション板と、革製の長いエプロンを装着するだけでおしまい。そのいでたちは、なんだか『13日の金曜日』のジェイソンみたいでイカつい(笑)。ただ、マスクを被るジェイソンと違い、彼らは額を直に地面につけて祈り、生傷を物ともしない。いやはや、ホラー映画を越えるスゴ技だ。とにかくいちいち「マジかよ?」の連続だから、見ようによっては、すべてが合理的だったり科学的であろうとする現代社会への反骨とも取れたりするのだが…これまた意外にもそんな路線へ向かわない。では何に魅せられるのかというと、彼らの心の根っこがずーっと安定したままで、何ら揺らがない部分なのだった。

移動とハプニングは、映画に最もふさわしい仕掛け。1年あまりかけて成し遂げる異色の巡礼ロード・ムービーだから、ある意味、何を盛り込んでもとびっきりの絵になる。絶景シーンの連続はもちろん、旅の途中で出産はあるわ、落石に水害に大雪に交通事故と、チーム・プラ村は大忙しだ。だけど面白いのは、ハプニングによる変化感ではなく、何が起ころうと慌てず騒がず、鷹揚に構える彼らの身の処し方だった。スペシャルな旅プランであっても、冒頭で映し出された普段の生活のリズムを、そのまま行く先々で繰り返すチーム・プラ村。極めつけは、目と鼻の先までたどり着きながらお金が足りなくなり、2カ月間みんなで和気藹々とバイトしてから、再び出発するくだりだろう。なんとも贅沢な寸止めの時間に羨望の念を禁じ得なかった。そう、私は大きな勘違いをしていた。我々にとっては破格の行為でも、彼らにとってはあくまで日常の延長なのだ。家財道具持参で移動してるしね(笑)。だからちゃんと彼らの理には適っていて、むしろ実用性と合理性の兼ね備わったアクションだと考えるべきなのだ。そして何より、彼らは遥か上空の世界と祈りを通じて堅く結びついている!日々の生活とは真摯に向き合い、かつ、人間世界から遠く離れた地平ともつながって戯れるなんて…。これ以上シンプルで力強い動機づけなど他に思いつかないではないか―。

 五色の祈祷旗タルチョが舞うカイラス山に到着した一行は、最後の最後にまたも思わぬ事件に遭遇する。しかし、それさえ穏やかに丸ごと受け止めて自然に返す村人たち。その姿は、天空の下、すべてが一つの輪につながったように映り、実に雄大だった。私は思わず「シブイ!」とつぶやいた―。

ラサへの歩き方 ~祈りの2400Km
2015年/中国/カラー/118分
監督   チャン・ヤン
撮影   グオ・ダーミン
脚本   チャン・ヤン
キャスト チベット巡礼をする11人の村人

 

■FAKE

 森達也の 15年ぶりの新作ドキュメンタリーが公開中だ。タイトルが『FAKE』だって!やるなあ~。でも、私の中の森監督に対する“満を持して”という気分は、とうに蒸発してしまっているので、今さら嘘をつきに映画に舞い戻ってもらってもなあ…ではあった。劇場関係者に訝りながら聞いたわよ、「本当に面白いの?」と(笑)。よく知らない疑惑の作曲家より、なが~いブランクを経た森監督の方が、私には疑わしかったのだ。

 聴覚障害、現代のベートーヴェン、NHKのガッツリ後押し、ゴーストライター騒動…と、派手な見出しと共に突如出現した佐村河内守氏のことは、一連の騒動時に初めて知った。ちょうど2年前、「1日1枚お習字」という一人遊びをしていて、その日の備忘録を半紙に墨汁で描き綴っていたから、モノとしてもしっかり残っている。2月6日「疑惑の交響曲」、2月17日「ゴッチ&ガッキー」などと、一応ウケで書いたが、あの手の音楽の感性を私はまったく持ち合わせていないので(汗)、「持ち上げられたり落とされたりする類のビジュアルだよなあ」で終わっていた。でも、世間の関心だってその程度だったのではないか。同じ時期の理科研の騒動と比べたら、内輪揉めも小粒で気がラク(苦笑)。マスコミは胡散臭さを暴こうと躍起になっていたようだが、メシのタネにするための仕掛けが露骨すぎて、すぐにゲンナリしたな。何より、本当のことなんていったい誰が知りたいのだろう…と眺めていた記憶がある。

―で今回、謝罪会見以来、音沙汰なしだった佐村河内氏を、森達也がドキュメンタリー映画にして再び世間にお披露目するという。本業から離れ、ご無沙汰な2人の博打とも受け取れる異色コラボ。作品の出来より、これで世間にスルーされたら相当キツイだろうと思っていたら…何と劇場は満席。しかも場内爆笑の連続で、意表を突く展開となった!
 
 線路沿いに建つとあるマンションの一室。佐村河内氏と妻のかおるさんが、世間の目から逃れるように暮らす自宅に、監督自ら出向いて取材するスタイルが、本作の基本制作姿勢だ。カーテンが引かれた居間で、監督は早々に映画の狙いを2人に説く―「怒りは後ろから撮ります。僕が撮りたいのはあなたの哀しみです」と。いやー、笑った!森さん、冒頭から飛ばしてる。おまえは涙の再会司会者・桂小金治か!と突っ込みたいくらい、いつになく演歌モードでデバってくる。そこに神妙な顔で居合わせる佐村河内氏と、手話で伴走するかおる夫人の3人の取り合わせがあまりにてんでバラバラなため、イメージが集約できず、この先一体何が紡ぎ出されるのか、いい意味で見当がつかない。まんまとノセられましたね。

ほら、そもそも私、佐村河内氏の音楽性にも履歴にも興味がないので、本作を通じて私の目に映るもの―つまり映画として面白いかどうかだけを判断基準にしてのぞんだわけ。それに対して監督の配球はサエまくっていた。何といっても、夫婦を前に緊張させるべきところと、タイミングを外して泳がせるところの緩急の使い分けが絶妙で、終始アクロバティックな揺さぶり質問をぶっこんでくれるのだ(笑)。なるほど、監督はフェアな傍観者ではなく、自らを演出家として映画にキャスティングしているわけね。長いブランクなどまったく杞憂だったかも。「僕がタバコを吸いたくなったらどうすればいいですか?」などと、他人の家に上がり込んでどこまでも強気なオレ様振る舞いをするかと思えば、佐村河内家の食事情にフォーカスし、観客の覗き見心をグリグリくすぐる。食事の前に豆乳をガブ飲みする佐村河内氏、…この絵イッパツで疑惑のイメージを脱力させ、さらに土足で踏み込む自分(監督)との対照性で、「ゴッチ、意外とカワイイ奴かも…」と親密度を高める演出設計に抜かりがない。

また、佐村河内自身による涙声の言い訳タイムを一通りは撮り込むものの、真意はあえて問題にせず、「心中だからね」と覚悟を告げて、チームFAKEの結束を固めてみせる。実に恐ろしい!そしてここに、バラエティ番組出演依頼で来訪するフジテレビ取材陣は、まさに、“飛んで火にいる夏の虫”。マスコミ=どこまでもインチキ&低俗のパッケージが、お手本のようにスルスル出来上がっちゃって、それはそれで短絡過ぎる気はしたが、実は彼らさえ前座にすぎなかったというオチまで用意される。

真打は映画の後半に顔を出すアメリカの取材チームだ。観客ウケ用のいじられキャラを求めるわけでも、笑いが欲しいわけでもないこの外国人組は、容赦なく本質をガシガシ攻める―「どうして作り話をしたのか?」「本当に創作に関わったなら音源を見せてくれ!」と。なるほど、疑惑を晴らしたかったら証拠を出せと、ひどくまともな説得をしつこく繰り返したのだ。楽器も持っていない佐村河内氏はさすがに大ピンチ。しかし、身を強張らせ、苦渋の沈黙しか打ち手がないこの緊迫の場面で、なんとこの私が「お前ら一体何様のつもり?日本人はグレーで上等なんだよ!」と、いつしか佐村河内氏に成り代わって抵抗しているではないか!「おだてる」と「バッシング」を、交互に繰返して退屈をしのごうとする社会にはもちろん辟易するが、立証できなきゃ真実じゃないと切っ先を向ける社会も私はノー・サンキューなんだと、改めて気づかされた瞬間だった。どんなに引いて眺めていても、『FAKE』は当事者意識を炊き付けてくる。己のモノサシを試される映画なのだ。

一方、どんなに目を凝らしてもわからないこともあった。かおる夫人の心境である。なぜ彼女はこれほどの犠牲を引き受けているのか、そのモチベーションの源泉がサッパリつかめず、これまたいい意味で映画に陰影を与えていたような気がする。監督は佐村河内氏に、愛情と感謝の言葉を妻に捧げるよう誘導するが、うーん、ここは意見の分かれるところ。陰で支える妻というより、彼女には自分が生んだ子を見届ける「昭和の母」の面影がチラついたからだ。新幹線に乗って長旅に出るツーショットなんて、小学生の息子の手を引いて掛かり付けの病院へ向かう親子図そのものだったもの…。

映画は、佐村河内氏の本当のご両親や、ゴーストライター役だと名乗った新垣氏も撮影し、ある種の“ファミリー・ヒストリー”状態となってゆく。振り返れば守くんは、心優しき大人たちに守られ、それに甘え過ぎたお坊ちゃまくんだったのではないか。だから最後の最後に一発逆転!守くんは、シンセを買ってもらって、頑張ります宣言をするのだ。守くんのか弱そうなふくらはぎと、かおるさんのシンパイ顔は私に授業参観を連想させ…。そう、『FAKE』は尾木ママも腰を抜かす教育映画に着地した。おそらくこれ以上意表を突くFAKE=偽造はないだろう。

見た人全員が世間の視座を再定義する衝動に駆られ、しかも答えはみな微妙に異なるだろう映画『FAKE』。さて、あなたの見解は如何に―。今すぐ劇場へGO!

さらにもう一本! 長年にわたるドーピングにより、自転車競技から永久追放されたロードレース選手ランス・アームストロングの栄光と転落の人生を実話をもとに映画化した『疑惑のチャンピオン』(’15)と併せて見るとより面白い。役者が再現する劇映画(疑惑のチャンピオン)が本当のことのように見え、当人が出演するドキュメンタリー(FAKE)の方がむしろ虚実の境をあいまいにする―。映像とは…真相とは…人間とは…いったい何だろう?と考えずにはいられなくなる。

FAKE
2016年/日本/カラー/109分
監督   森 達也
撮影   森 達也/山崎 裕
編集   鈴尾啓太
キャスト 佐村河内守

 

 

◆pgでベトナム展

 東京は新宿のphotographers’ gallery で4年振りの個展を開く。昨年の終盤、30年振りにベトナムを訪れたので、30年前のネガやベタを見直し始めた頃にそういう話になった。ベトナムに関しては30年後というキリのいいときにやれればとは漠然と思っていて、再訪越はキリのいい年に叶った。展示となると準備もあるし、キリのいい年にというわけにはいかなかったが、ようやく準備が大きな山をいくつも越えて、こうしてお知らせできるまでになったので、取りあえずひと安心という現状です。

 30年前の写真の撮影はモノクロが中心で、これまた久々にモノクロの暗室を季節のいいときにやることができた。自分の暗室で大全紙までは焼いているとはいえ、現像のプロセスは機械がやってくれるカラーの場合はあまり当てはまらないのだけれど、モノクロの場合、季節によってこんなにも暗室がストレスになったり楽しみになったりするとは、というくらいベストシーズンというものがある。
 他にビデオをかなりの量撮っていた。VHSのコンパクトビデオカメラで、当時ソニーが出していた「ベータカム」に対抗してビクターが手がけた一体型の小型ビデオカメラである。小型とはいえ今のものとは比べ物にならないくらい重くて大きい。1本20分なので、計画的に撮らないとならない。もっと前に映画のカメラをやったことがあるのだけれど(学生時代の自主映画)、それは1本3分ちょっとであったから、さらに計画的でなければならず、コマ割りなどで事前にだいたいの構想を固める必要があった。ビクターのビデオを最初に使ったときは、そういう不自由さがなかったので、逆に緊張感がなくなるねなどと仲間と話したものだが、今のデジカメは持っていることを忘れるくらいに軽いし、撮った分は小さなカードに収まっているし、それなのにほぼキリなく撮れてしまうので、この20分は程よい緊張感と達成感、充実感をもたらしてくれるいい設定ではなかったかと思う。

 そんなコンパクトビデオカメラを担いでホーチミンからハノイまで北上した分を、プロの手を借りながらやっと繋いで書き出したところである。まずはビデオテープを編集可能なDVDに移すところからだったので、思えば長い作業ではあった。20本ほどあったし、また他の時期にも2度訪越しているのだけど、あれもこれもだと散漫になるので、それらにはひとまず目をつむることにして、北上に限定し時系列でやると決めたので、思いのほか作業はスムーズにいった。会場は2つの部屋があり、1つはこのビデオとデジカメで撮影した新しい動画(動画とビデオという使い分けが分かりにくいかもしれないけれど、昔のビデオテープで撮影したものはビデオとしか表現できないのでご容赦を)の上映、もう1つの部屋は新旧取り混ぜての展示(20点)という構成。
 30年前の写真を見直したのも初めてなら、こんなにいろんな作業(カラーとモノクロの暗室、ビデオと動画編集、16ページの冊子の編集、それに入れる文章)を一度に並行して進めたのも初めてで、いま展示に向けての最終コーナーを味わいながら過ごしているのを幸福と言わなければバチが当たる、ということなのでしょうね。
 

■山猫

青い空に雲が流れ、ゆったり風が吹いている。生い茂る木々に沿って進むと鉄の門が現れる。その奥に構える古い屋敷―サリーナ公爵邸を目にしたとき、私は思わず武者震いがした…「あー、『山猫』が始まる!」。

『山猫』において、途方もなく広大な屋敷を正面で捉えるのが冒頭のこの僅かなショットだけだというのは意外なことかもしれない。但しこのショット、見逃すことはできない。なぜならここに薫るのは大邸宅の華々しいオーラではなく、威厳と一抹の侘しさだからだ。すでに『山猫』の基調音はここから認められている。

やがて我々は庭を抜け、ゆっくり屋敷に近づき、「サンタマリア…」と祈りを唱える声のする一角に辿り着く。するとまたここでも風が吹く…。開け放たれた扉を前にしてレースのカーテンが揺らめき、しばしテラスから中の気配を伺う間合いのエロティックなこと!10年振り3度目の対面となった今回もどうしようもなく胸は高鳴った。『山猫』において、頻繁に顔を出すこの“風”というモチーフは、実に誘惑的な伴奏曲になっているのだ。

そんな滞空時間の長い前フリを経て、公爵とその家族がお出ましになる。お抱え神父に従って祈祷する様子は、さながら西洋古典絵画のごとき趣。室内の佇まいと、人々の配置、それぞれの振舞いが完璧な構図を作り上げ、扉が開け放たれていなかったら窒息してしまうほど重厚な光景が広がる。そう、サリーナ公爵家及びその屋敷は、一つの“国家”として我々の前に立ち現れるのだ。そして今この“国家”は、土足で踏み込んできた新しい勢力に翻弄され、傷つき、決断を迫られている。その渦中に立ち、貴族社会に終止符を打とうとするのが、主人公ドン・ファブリツィオ公爵である。豊かな髭を蓄えたこの男は、一家の食事の時間まで取り仕切る生まれながらの権力者だ。

しかし一方で、時代の変化に無闇に抗することはなく、歴史的変革期にでさえ世の中を諦観する構えで居合わせている。特に、彼がすばしっこい目をした新時代を予感させる甥のタンクレディに目を掛けるとき、リーダーとしての計算は瞳から消え、ただただ眩しくて愛しい生き物と接するようで極めて印象深い。確かにタンクレディに扮する若かりし頃のA・ドロンの肉体は、軽さがある種の武器になっており(馬車に飛び乗る場面の華麗なステップを見よ!)、肉厚な公爵との対比は映画の中で重要な位置を占めているのだ。

そしてもう一つ、『山猫』の重要な鍵となるのが“対話”のシーンだ。映画の中で公爵は幾つもの対話の時間を持つ。お抱え神父との日常会話から始まって、狩猟先で気心の知れた相手から新政権に関する感想を聞く時間。タンクレディの縁組のために新興ブルジョアの村長と打ち合わせをする時間。新政府の上院議員になるよう説得に訪れた使者との会話…というように。3時間6分の大作とはいえ、これだけ対話に時間が割かれていてどうして退屈しないのか、私にはそのことがまず不思議だった。それも、対話をリアクションで繋ぐという映像が意識された方法ではなく、語りそのものがメイン・ディッシュなのにだ。小説との違い、演劇との違い…何かしら映画ならではの作為がないと地味過ぎて間が持たないはずなのに、もっともっと彼の話に耳を傾けたくなってしまう。

公爵の語りが、常に話しながら思索し、思索しながら決断してゆくもので、そうした重層的なプロセスに映画を感じるからなのか。いや、むしろもっと単純なこと。公爵の抱える人としての厚み ―肉体的にも精神的にも― が、それだけですでにドラマチックだからだ。しかも一国家のごとき名門貴族を代表するこの男でさえ、孤独と共に在り、死から逃れられないという点において我々と何ら変わりないことが対話の中で痛切に迫ってくるときのリアリティたるや…。こうした通俗的な力を侮ることなく、逆に戦力として取り込んでしまえるところにヴィスコンティ監督の凄味がある。公爵と我々を始終強く結びつけつつ、でも映画そのものは誰の心ともけして寄り添わない。この恐るべき冷酷さ!そしてそれを最も窺い知れるのが、あの伝説の大舞踏会の場面であろう。

ここではあらゆる“過剰”が提示される。紳士淑女の数はもちろん、夥しい数の宝石に扇におしゃべりが渦巻き、豪華さも醜悪さも老いも若さもどっと溢れて、その息苦しさに眩暈がする。しかしこの壮大な宴こそは、公爵の孤高を際立たせるために用意されたこれ以上考えられないほど残酷な仕掛けなのだ。

我々は、一人歩いて岐路に就く公爵の後姿を、もはや他人とは思えない。あのシチリアの乾いた大地に吹き抜けていた風さえ恋しく思うほど、公爵と同じ血潮を分かち合う身になっている。最大限の敬意と親密感を寄せる中での幕切れが、いかにも傑作の名に相応しい。

『山猫』(’63)
1963年/伊・仏/カラー/187分
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ
脚本:ルキノ・ビスコンティ
スーゾ・チェッキ・ダミーコ
キャスト:バート・ランカスター
     アラン・ドロン
     クラウディア・カルディナーレ

■オマールの壁

ちょっと言葉にならないくらい、切ない映画である。フィクションと頭でわかっていても、どうにもやり切れない。映画の背景となる現在進行形の政治情勢に、これほど反応してしまった理由は、若者にとっての黄金の切り札―「愛」と「友情」と「青春」―が、ことごとく踏みにじられてしまうからに他ならない。パレスチナ自治区は天空までも壁に阻まれていた―。

パレスチナ自治区に高々と聳える分離壁を背にし、ひとり立ち尽くす美青年の名はオマール。次の瞬間、イスラエル兵士の監視を潜り抜け、垂れ下がる綱を掴んでイッキによじ登り、壁の向こうへスルリと潜入する。威嚇の銃声が響き渡り、手のひらには鮮血の花が咲くが、これがルーティンワークと言わんばかりの慣れた振る舞いで、映画は幕を開ける。その深く静かに輝く瞳と、しなやかな身体性に早くもテンションMAXだ。

ただし、オマールは今から007やマッド・マックスになるわけではない。切れ味抜群のオープニングを演じた青年は、コツコツと愚直に働くパン職人なのだ。彼が向かったのは幼なじみタレクの家。身の危険を冒してまで訪問する先が、友人宅だという日常に、まずは驚かされる。そう、あのヨルダン川西岸地区を囲む分離壁は、イスラエルとパレスチナの線引きだけにとどまらず、自治区内を分断する形で建てられており、パレスチナ人同士を引き離す意図もあるらしいのだ。申し訳ない、まったく知らなかった(汗)。千種区に住む私が中川区の実家へ壁を乗り越えて行く図を想像したら、思わずめまいが…。

話を映画に戻そう。ではそんなタレクの家で一体何がおっぱじまるのかというと、幼なじみで集う茶話会(!)である。まるで放課後の高校生男子のように、リーダー役で堅物のタレクとお調子者のアムジャドと3人で和むユルいひととき。冒頭の分離壁とのギャップが激しくて妙に可笑しい。いや、正確に言えば、我々を拍子抜けさせるこのトボけたリズムこそリアリティの要。むしろ緊張感を途切れさせないポイントなのだ。

そして「友情」の次は「愛」の目撃である。オマールはタレクの妹ナディアと密かに愛を育んでいる。壁ドンよりはるかに難易度が高い“壁越え”に励むのは、愛のなせる技らしい。2人は誰にも気づかれぬよう、お茶と一緒に小さくたたんだ恋文をそっと手渡す仲だ。だが燃え上がる思いは、本人たちの気づかぬところで、閉ざされた世界の均衡を次第に崩し始める―。ここで目にする「友情」と「愛」は、一見、懐かしく控えめで純朴な青春の一コマに映るが、我々は冒頭の壁を目撃している。無邪気に酔えるはずはない。いつ終るとも知れぬ占領下の日常は、未来を宙づりにしたまま、息苦しく過ぎてゆく―。

ある日、オマールはいつものように壁を越え、恋人との束の間の逢瀬に胸を高鳴らせた帰り道で、イスラエル兵たちの嫌がらせにあう。その執拗なからかいと、息を殺して耐えるオマールの背中を一つ画面に収めるシーンの暴力的なこと!武力で制圧される側の屈辱感がスクリーンからにじみ出て、客席に座っている自分を後ろめたく感じてしまうほどだった。そしてこの事件を機に、若者たちの抑圧された感情が暴走を始める。積もり積もった苛立ちを晴らすべく、「待ってても切りがない!」と、3人はイスラエルの検問所を襲撃。すでにオマールの愛と友情に親しみ、彼の心情と堅く結びついている我々は、このGOサインに躊躇なく飛びつくが、それはオマールと共にさらなる非情な世界へ足を踏み入れることを意味する。イスラエル秘密警察の報復である―。

この映画で唯一プロの役者が演じる秘密警察の捜査官ラミ。この男の登場とともに、映画はまたも顔つきを変える。まるで金貸しシャイロックのごとく老獪なラミは、オマールを容疑者として逮捕し、協力者になって仲間を売るか、一生収容所で暮らすかの二者択一を迫る。いやー、ねっとりと赤子の手をひねる取引演出に興奮させられた!映画は、一本気な若者VS狡猾な大人というわかりやすい絵に作り込み、イッキに青春ジレンマ物語へとお色直しを図ってみせるのだ。そのうえ、レミの謀略に乗る振りをして、再び恋人と同胞たちの元に戻ったオマールが直面する様々な断片、その葛藤のバリエーションと緻密な構成があまりに見事で、私の意識は自治区内から外へ一歩も出ることなく集中し切った。

特に、問題の多いこの地を宗教や民族間の確執からアプローチするのではなく、恋人同士がフツーに夢見る未来や仲間との変わらぬ友情というささやかな心の拠り所に、大きく揺さぶりをかけてくるスケッチの連続だからいたたまれないのだ。嫉妬があり、裏切りがあり、訣別がある…。オマールは何度も壁を越えて、自分の未来を掴みに行くが、その積み重ねがむしろ彼を孤独に追い込むという皮肉。世界はなぜこれほどまでにオマールをいじめるのか―。と同時に、なぜオマールはここまで自己犠牲を貫くのか―。古典的な悲劇の形式を借りることで、かえって占領下パレスチナ自治区の今を強く想像せずにはいられなかった。
 
印象的なシーンを2つだけ書いておきたい。ラスト近く、恋人も幼なじみもなくし孤高な日々を過ごすオマールが、もう一度分離壁をよじ登ろうとする。しかし壁を越えることができずに途方に暮れていると、通りがかりの老人が「大丈夫、すべてうまくゆく」と手を貸すシーンが描かれる。衰弱して縮こまった心に染み入る一言と一陣の風…オマールの代わりに声をあげて泣き出したくなるほど、胸に突き刺さった。そして、アムジャドの妻になったナディアとの2年ぶりの再会場面。オマールは穏やかな笑みを浮かべて尋ねる「勉強は続けてる?」と―。家父長制が強く、男女間の壁も高く聳え立つ慣習の中で、教養は女の人たちの力になる!と励ますような一言に聞こえて、これも私には忘れ難いシーンとなった。…それにしてもせつない(涙)。

若者たちの黄金の切り札は、みんなが嘘を信じたことで崩壊した。云わば壁に取り囲まれた中での自壊によって消失したのだ。今見るべき映画、必見である。

『オマールの壁』
2013年/パレスチナ/カラー/97分
監督・脚本・製作 ハニ・アブ・アサド
撮影 エハブ・アッサル 
キャスト アダム・バクリ、ワリード・ズエイター、リーム・リューバニ

●ブライアン・ウィルソンを観た

前回、小林秀雄の『ゴッホの手紙』を探しておきます、と書いてからすでに4ヶ月が経過しました。その間、何をしていたかというと、仕事をしていました。その中には、この03fotos.comのリニューアルのための作業も含まれております。その他もろもろ細々と雑務が重なり、今日に至った次第です。怠慢をご容赦ください。と、誰に言っているのかわかりませんが、とりあえず謝っておきます。あまり謝罪を安売りしていますと、説得力がなくなっていきますので、ここでやめておきます。

で、そんなてんやわんやの日々の中『ゴッホの手紙』を書棚から見つけたのですが、その前に書いておこうと思う体験がありましたので、記録することも含めここに記します。

それは4月に行われたブライアン・ウィルソンの日本公演です。小林秀雄からブライアン・ウィルソンへと飛躍しますが、そこはご容赦。私は4月11日の東京公演初日に行きました。私如きは一介の客に過ぎませんが、一応今回のライブについて説明します。

今回のライブのメインテーマはビーチボーイズのアルバム『ペット・サウンズ』の再現ライブです。『ペット・サウンズ』は今更私如きが説明するまでもなく、ロックミュージック史上に残る名盤であります。どれだけ名盤かというと、ビートルズのポール・マッカートニーが『ペット・サウンズ』を聴いて『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を作ったと言えば、納得いただけるでしょうか。ちなみに、『ペット・サウンズ』はブライアン・ウィルソンがビートルズの『ラバー・ソウル』に触発されて制作したとも言われています。ついでにフランク・ザッパも『ラバー・ソウル』に影響されたそうです。これだけのエピソードで時代背景とその影響力は十分伝わってくるでしょう。

と、肝心のライブの構成ですが、前半ヒット曲、中半『ペット・サウンズ』の再現ライブ、後半アンコールでヒット曲、という流れです。

全体を通して…、終始ブライアン・ウィルソンの存在に軽度の衝撃を受けっぱなしでした。カリスマとしての在りようとして、これもまた宿命なのか、という印象です。

まず、歌がどのメンバーよりも下手。元同僚のアル・ジャーデンの場合、軽ろやかに伸びのある歌声は当時の音源と変わらず、見た目とのギャップに面食らいしました。が、ブライアンは…衰えております。

しかも、ブライアンは曲によっては歌わず、キーボードを弾かない時もあり、ぼんやりとした表情で前方を見つめているような佇まいのときもあったりしました。これはやはり、『ペット・サウンズ』制作当時にハマっていたLSDの後遺症なのか…と思ったりもしました。もしそうだとしたら、クスリの影響力は大きいです。

アンコールではアル・ジャーデンの存在が際立ち、「サーフィンUSA」など往年のヒット曲を連発し、それまで温和しく座って見ていた観客も総立ちで、最高潮という光景でありました。アル・ジャーデンは職人ですね。ちなみに、私は終始座っておりました。

だが、このアンコールが最高潮に達しているときのブライアンは…ぼんやりとステージから観客席を見つめてばかりでした。

ある意味、達観した姿です。

最後にブライアンのファーストソロに収められた「Love and Mercy」で締めくくっていました。この時はもちろん歌いましたが、キーボードはバックミュージシャンが弾いておりました。

ライブはもちろん楽しめました。しかし、それ以上にブライアン・ウィルソンという人物の佇まいが気になって仕方ありませんでした。

ブライアン・ウィルソンは間違いなく天才です。彼の音楽家としてその才能を遺憾なく発揮した作品が『ペット・サウンズ』であり、次にリリースされるはずだった『スマイル』、そして『サンフラワー』『サーフズ・アップ』に収録された楽曲群だと思います。年代で言えば1966年から1970年にかけてでしょうか。個人的には『サーフズ・アップ』に収録された「Till I Die」そして本来は『スマイル』のときに録音された「Surf’s Up」の美しさは絶品ものだと思っております。

誤解を承知で書きますと、ブライアン・ウィルソンは、この時点で亡くなっていれば、時代を象徴した天才のひとりとして後世に名を残したでしょう。

しかし、神は彼に運命のいらずらをします。

亡くなったのはブライアンではなく、二人の弟・デニスとカールでした。カールは1998年にガンで亡くなりますが、デニスの場合、所有している船から転落し、溺死という痛ましいものでした。1983年のことです。

1970年代から1980年代にかけて、ブライアンはほとんど表立った活動はしていません。出来なかった、というのが実際の事情だったのでしょう。1988年に初のソロアルバム『ブライアン・ウィルソン』をリリースし、その後は現在に至るまでコンスタンツに活動していますが、空洞の期間に受けた影響は、いまだに彼の中で続いているのかもしれません。

『ペット・サウンズ』に収録された名曲「God Only Knows」にならっていえば、こうした運命のいたずらはまさしく神のみぞ知る、というところでしょうか。

■母よ

 映画監督のマルゲリータは八方塞がりだ。クランクインした新作が思い通りに進まない。ハリウッドからスター役者を呼び寄せて、硬派の社会派作品に仕上げるつもりらしいが、主役が現場入りする以前に早くも苦戦中。「いやーダメでしょ、こんな古臭い労使紛争シーンを撮ってちゃ。一体誰が見るの?」と、私でさえ思わずツっ込みを入れたわよ(苦笑)。そのうえ彼女のイライラにスタッフは振り回され、撮影現場の空気は最悪―。

仕事を離れても、マルゲリータの気は休まらない。入院中の母の容態が気がかりで、何とか頑張って病院へ顔を出す。そこには籠の鳥となって不安そうな母親が横たわっているのだが、病床の身でありながら娘の仕事ぶりには上から目線で見定めたりして、なかなかの気丈ぶり。この親にしてこの子ありか(笑)。いや、もしかすると2人は、親子の関係を一度も逆転させぬまま今に至っているのかもしれない…。ここで一服の清涼剤となるのが、モレッティ監督自身が扮する兄のジョヴァンニだ。母に手作り惣菜を差し入れに来て、甲斐甲斐しく世話をする姿の微笑ましいこと!どうやらイタリアのマンマの愛情深さは、兄に継承されているらしい。ただ母を元気づけたい一心で自然に行動が伴う兄を見て、マルゲリータは内心焦っただろう。仕事で凹み、親孝行でも兄に出し抜かれ、じぶんの落としどころに迷う働く女の心理状態が、実にシビアに描かれる。それだけじゃない。一方でマルゲリータは恋人に強引に別れ話を切り出し、サクサク一人荷造りをして仕事に専念するという。どう説得されても聞く耳持たず、以上おしまい―だ。不調にあえいでいてなお、慰めの場所など不要だとツッパるヒロインの硬質さは、一体どこからくるものなのか。また、彼女には別れた夫との間に中学生の一人娘がいて、自分も一人の母親の立場から反抗期の娘に手を焼いている様子。要は、仕事もプライベートも問題山積みで、マルゲリータは始終ピリピリしているのだ。そんな中、追い打ちをかけるようにトラブルが降りかかる。現場入りした主役俳優のバリーが大物ヅラした俗物野郎で、彼女のカンに触ることばかりやらかし、撮影はますます難航。しかも、母の病が予想外に重く、余命わずかだとの宣告まで受けてしまう―。

ところで肝心なことを書き忘れた。マルゲリータは美しい。ボリューミーなイタリアのマンマのイメージとは異なり、スレンダーな体系の知的美人である。特に後ろ姿なんて本当に可憐で、まるで女子大生のよう!誤解を恐れずに言えば、神経を張りつめてピリピリする必要がどこにある?美人が独りで生真面目に何でも背負い込むと、周りがいたたまれない雰囲気になるのわかんない?と、ハラハラしてしまった。男が幅を利かせる映画業界にいて、しかもこの美貌で女優ではなく監督業に長年就いてるなんて、相当強い征服欲をお持ちなのだろうが、見た目とのギャップを絶えず感じてしまったのは私だけだろうか…無理してないか?と。もちろんそのあたりは監督の計算なのかもしれない。もともとこのお話は、母親を亡くしたモレッティ監督自身の体験談を下敷きにしたもので、自分が演じるにはあまりに辛くて、主役を女性に置き換えて制作した作品なのだ。だけど自分(監督)が解放された分、マルゲリータを追い詰めるエピソードがイチイチ手厳しくて、仕事と家庭の両立に懸命な女の人たちが見たらイタすぎて目を伏せるかも(笑)。それだけ男女の垣根なく、人間として対等に見ている証拠とも言えるのだが―。さらに驚いたことに、こんな風に全編ストレスが噴出する作りでありながら、なぜかやたら面白いから呆れてしまったのだ!

例えば劇中には、問題山積みのリアルな時間と並行して、ヒロインの内面の葛藤を幻想的な絵柄で差し挟み、彼女の八方塞がりな自意識をうっちゃるシーンがたびたび登場する。難しいアプローチだが、これがかなりイイのである。親しい人の最期と向き合うのも、切羽詰まった仕事への責任も、相当な重圧には違いないが、そんな時でも人は頭の中で自分を欺き、見当違いな妄想を繰り広げたりして、深刻ささえ無意識に自分仕様にアレンジするもの。そんな個の作業を、気取った抽象化ではなく、ひとりノリ突っ込みと呼びたい軽さと唐突さで演出していて、私にはとても魅力的に映った。映画の力を信じているなあーと。監督はこの美女を哀しみに暮れさせない、むしろより忙しくさせる。そしてバタバタさせながら、自分の判断を絶対視し、すべてを自己完結してきた彼女が、実際には何もわかっちゃいなかったことを遠巻きに気づかせる。母のこと、娘のこと、兄のこと、恋人のこと、そして自分自身のことも、わかっているつもりなだけだった…と。マルゲリータと我々は近しい。彼女を通してフと自分を振り返るとき、映画は苦笑いを誘う。

ラスト。遠い目をした母に向かいマルゲリータが「何を考えているの?」と尋ねると、母は一言「明日のことよ」とそっけなく応える。実際のやりとりなのか、ヒロインの幻想なのか曖昧なスケッチなのだが、死にゆく者が「未来」を見つめ、生き残る者が「思い出」を紡ごうとするその逆説的な構図がひどく印象に残った。わかったつもりになるな―と最後の最後まで予定調和を崩しにかかるモレッティ。涙と相互理解で我々を安心させて幕を降ろすような甘さなど、この作家にあるわけない(笑)。だが、映画のそこかしこに人生の手応えや歓びを小さく刺繍していて、何度そのテクにのせられたことか!特に落目の大物俳優バリー(暖かく狂い咲くジョン・タトゥーロの演技が素晴らしい★)の存在によって、ドラマが家族の話に閉じなかったのは大きな勝因。マルゲリータには、仕事で結ばれるもう一つの家族がある…そう、映画があるのだ!

『母よ』
2015年/イタリア・フランス/カラー/107分
監督   ナンニ・モレッティ
撮影   アルナルド・カティナーリ
脚本   ナンニ・モレッティ フランチェスコ・ピッコロ
キャスト マルゲリータ・ブイ ジョン・タトゥーロ

◆解題•その山へ

 サイトのリニューアルをするにあたって新しい作品もいくつか見られるようにしてみた。そのうちの「Towards the Mountain (2013-)」についての経緯などを少々書いておこうと思う。最初に纏めて作品を展示したのが海外だったため、英語のタイトルが先になった。その後、ちょっとベタだけれど日本語をつけた。

 富士山は昔から気になっていて、新幹線は山側を予約することにしている。だから乗車日に曇ってたり雨が降ってたりするととても損した気分になる。眺めているだけでよかっはずなのに、一生に一度は行ってみてもいいかもなんて思いついて、それは10年ほど前に河口湖から撮った写真とずっとつきあっているので、そのお礼参りみたいな気分も上乗せされて、運動らしきことを自主的にしたことがないに等しいにもかかわらず、思いついたのだった。最初は漠然と。
 2013年から毎年富士山に登っている。その年の早春にとある会で、山に限らず世界をまたにかけて活躍している頭脳も体力も超人的な人に、来年くらいに富士山へ登ってみようと思うんですよと話したら、あっさりと「今年登ればいいじゃないですか」なんて言われ、たしか2月かそこらの時分であったため、年内はみっちりと体力増強に励み、ガイドブックにあたり、心の準備もしてからの方が安心だと思いつつも、どうせやりだすのは間際なのだから来年でも今年でも実質一緒、しかも年齢は確実に1つ増えるのだし思い切って今年やってしまおうかと思えるギリギリのタイミングであった。そのあっさり口調がほんとうに簡単そうに思えたことにも背中を押され、どのみち半年後には終っているのだ、今からなら間に合うかもしれないと思ってしまったのだった。思い込みは時に人を強くする。
 その年は、悪いことに世界遺産になったことと重なり、人が大勢で身動きとれないのではないかと不安だったけれど、世界遺産になった年から登るなんてミーハーねえと他人が思いやしないだろうかという余計な心配を抜きにすれば、かえって意外と空いていた。それから3年。今年登って4回目。いったいいつまで登れるか楽しみでもある、などと書いている自分が信じられないけれど、実際そのとおりなのだから仕方ない。もちろん弾丸登山なんてしませんがね。あくまで写真が目的なので、ゆっくりとできるだけ長く滞在することを心がけている(ものは言いよう)。とてもいい山小屋にも出会えた。ひどい山小屋のおかげで。
 その年、連泊で予約していた小屋を出発するとき、不要な荷物を預かってもらえず(といっても着替えくらいなもので、撮影済みフィルムは背負います。全員分を纏めて名前を記入した袋に入れて、あわよくば預かってもらおうと思っていたのだが、にべもなく断られた)同行者の中には富士宮のナマズと言われている男もいるのにいいのかな地元民にそんな態度で、などと悪態吐いたりはしてませんが、それ以外にも感じが悪かったので(トイレに入るとき大か小か聞かれる、朝食に出たゴミも持ち帰らされるなどなど)、ではキャンセルして他を当たるか頂上を早めに退いて下山しようということになって、荷物は預からないがキャンセルするのも全然オッケー(山小屋は基本的にはそういうものらしい)ということで、頂上で他の小屋へ電話をかけたところ1軒目は不在、2軒目がとてもいい感じで、実際に行ってみるとさらにいい感じで、できる限り毎年来ようと思うくらいに良い小屋だった。(ちなみにこの小屋では連泊でなくても普通に荷物を預かっていたようである)。7合ちょっとにある小屋なので、ビールを飲んでも下山に響くこともなく、カレーに温泉玉子はついてるし、ご飯だけでなくお肉や野菜のいっぱい入ったカレーのルウもお替わり自由で、まったく天国のようである。
 
 このタイトルで新たに写真展をするとか、写真集にまとめるとかがいつになるにせよ、登れる限り使い続けようと思っているので、長い付き合いになるかもしれない(願望もこめて)。「その山」が別の山になったりは、たぶんしないと思う。