■ラサへの歩き方 ~祈りの2400Km

 チベットの小さな村、カム地方マルカム県プラ村に暮らす村人たちのお話である。現地に赴き、監督が意図した物語に近しい村人を探し、本人役で演じてもらおうという設定だ。脚本はないがこれもフィクション。しかもこの地で、この人たちでしか成立しない豪快なフィクションに仕立て上げ、大いにウケた!

 チベットのことだってよく知らないのに、プラ村って言われても…何のことやらである。名前は可愛いらしいけどね(笑)。しかし、映画に関する私の持論の一つに、知らないことが多ければ多いほど、むしろ“ラッキー!”という考えがある。未知の世界を垣間見せてくれて、しかもそれが想像をはるかに超えたトンデモない代物だったら、これ以上の喜びはない。そう私は、映画(虚構)と承知しつつ、それでもなお「世の中は宝の山だよ、ビバ人生!」と、思わず膝を打つような企みを、スクリーンの前で絶えず待ち望んでいるのである。

 そこで改めてプラ村のみなさんですが…、期待以上のチームワークを見せてくれて素敵すぎる! まず冒頭で綴られる、彼らの日々の暮らしの充実ぶりに、早くもヤラれましたね。チベットの生活スタイルは、これまでに何度も映像等で目にはしているが、手仕事の豊かさが全方位に展開されていて、じっとしていられなくなる。「一緒にやらせて!」と願い出たくなるのだ。そもそも自然の分量が圧倒的に多い地で、その恩恵を利用しながら地域性の高い営みが継続している光景を目にすると、高度に都市化した我が生活がクリーンかつ便利であってもひどく脆弱に思えるのは、今に始まったことではない。そのうえ、そうやってちょっと立ち止まって経済優先の現代社会を憂いてみせる自己浄化のそぶりすら(なんと特権的な!)、もはや賞味期限切れになって久しいわけです、はい(苦笑)。そんな中、本作にすぐさまノレたのは、プラ村のスケッチにまどろっこしさがないからだ。テクノロジーの進化を後ろめたく思うこともなければ、人類学者を気取って観察に終始する必要もない。食事、家畜の世話、ご近所づきあい、お茶と談話、冬支度、夜なべ、買い出し、そして祈りの時間…と、映画は村人たちの様々な生活の断片を普段通りに映し出す。でもって、意外にも呆れるほどサクサク掻い摘んで進み、抒情性に傾かない。賛美目線をあえて避けている節さえある。またその一方、同じ村に住む複数の家族をクローズUPし、相互の関係性を浮かび上がらせながら綴るため、私とプラ村との距離は瞬く間に縮まり、親密感が高まるという心憎いダンドリなのだ。さてそんなスケッチを見せた後、映画はいよいよメインイベントへ舵を切る。彼らはチーム・プラ村(!)として結束し、大掛かりな巡礼の旅へ向かう―。

死ぬ前にどうしても聖地ラサを訪れたいと願う老人が発端となり、若者に、幼い少女に、さらには妊婦までもが名乗りを上げ、4家族総勢11名の巡礼の旅が始まる。その行程は、まず村から1200km離れたラサへ赴き、さらにそこから1200km先の聖山カイラスを目指そうというものだ。ただしここが肝心なのだが、歩くだけでも過酷な道のりを、何と 両手・両膝・額の五か所を地面に投げ伏して祈る“五体投地”で敢行しようというのである。その厳粛な礼拝方法は、話には聞いていたが…途中でチラっとやるだけじゃないのね。全行程だったのね(汗)。いやー、あの動きを連続して行うには、腕・腹・背中の筋力が相当ないとポシャるわけで、想像しただけでも気が遠くなった。一応対策グッズらしきものを手作りで用意するのだが、両手のクッション板と、革製の長いエプロンを装着するだけでおしまい。そのいでたちは、なんだか『13日の金曜日』のジェイソンみたいでイカつい(笑)。ただ、マスクを被るジェイソンと違い、彼らは額を直に地面につけて祈り、生傷を物ともしない。いやはや、ホラー映画を越えるスゴ技だ。とにかくいちいち「マジかよ?」の連続だから、見ようによっては、すべてが合理的だったり科学的であろうとする現代社会への反骨とも取れたりするのだが…これまた意外にもそんな路線へ向かわない。では何に魅せられるのかというと、彼らの心の根っこがずーっと安定したままで、何ら揺らがない部分なのだった。

移動とハプニングは、映画に最もふさわしい仕掛け。1年あまりかけて成し遂げる異色の巡礼ロード・ムービーだから、ある意味、何を盛り込んでもとびっきりの絵になる。絶景シーンの連続はもちろん、旅の途中で出産はあるわ、落石に水害に大雪に交通事故と、チーム・プラ村は大忙しだ。だけど面白いのは、ハプニングによる変化感ではなく、何が起ころうと慌てず騒がず、鷹揚に構える彼らの身の処し方だった。スペシャルな旅プランであっても、冒頭で映し出された普段の生活のリズムを、そのまま行く先々で繰り返すチーム・プラ村。極めつけは、目と鼻の先までたどり着きながらお金が足りなくなり、2カ月間みんなで和気藹々とバイトしてから、再び出発するくだりだろう。なんとも贅沢な寸止めの時間に羨望の念を禁じ得なかった。そう、私は大きな勘違いをしていた。我々にとっては破格の行為でも、彼らにとってはあくまで日常の延長なのだ。家財道具持参で移動してるしね(笑)。だからちゃんと彼らの理には適っていて、むしろ実用性と合理性の兼ね備わったアクションだと考えるべきなのだ。そして何より、彼らは遥か上空の世界と祈りを通じて堅く結びついている!日々の生活とは真摯に向き合い、かつ、人間世界から遠く離れた地平ともつながって戯れるなんて…。これ以上シンプルで力強い動機づけなど他に思いつかないではないか―。

 五色の祈祷旗タルチョが舞うカイラス山に到着した一行は、最後の最後にまたも思わぬ事件に遭遇する。しかし、それさえ穏やかに丸ごと受け止めて自然に返す村人たち。その姿は、天空の下、すべてが一つの輪につながったように映り、実に雄大だった。私は思わず「シブイ!」とつぶやいた―。

ラサへの歩き方 ~祈りの2400Km
2015年/中国/カラー/118分
監督   チャン・ヤン
撮影   グオ・ダーミン
脚本   チャン・ヤン
キャスト チベット巡礼をする11人の村人

 

■FAKE

 森達也の 15年ぶりの新作ドキュメンタリーが公開中だ。タイトルが『FAKE』だって!やるなあ~。でも、私の中の森監督に対する“満を持して”という気分は、とうに蒸発してしまっているので、今さら嘘をつきに映画に舞い戻ってもらってもなあ…ではあった。劇場関係者に訝りながら聞いたわよ、「本当に面白いの?」と(笑)。よく知らない疑惑の作曲家より、なが~いブランクを経た森監督の方が、私には疑わしかったのだ。

 聴覚障害、現代のベートーヴェン、NHKのガッツリ後押し、ゴーストライター騒動…と、派手な見出しと共に突如出現した佐村河内守氏のことは、一連の騒動時に初めて知った。ちょうど2年前、「1日1枚お習字」という一人遊びをしていて、その日の備忘録を半紙に墨汁で描き綴っていたから、モノとしてもしっかり残っている。2月6日「疑惑の交響曲」、2月17日「ゴッチ&ガッキー」などと、一応ウケで書いたが、あの手の音楽の感性を私はまったく持ち合わせていないので(汗)、「持ち上げられたり落とされたりする類のビジュアルだよなあ」で終わっていた。でも、世間の関心だってその程度だったのではないか。同じ時期の理科研の騒動と比べたら、内輪揉めも小粒で気がラク(苦笑)。マスコミは胡散臭さを暴こうと躍起になっていたようだが、メシのタネにするための仕掛けが露骨すぎて、すぐにゲンナリしたな。何より、本当のことなんていったい誰が知りたいのだろう…と眺めていた記憶がある。

―で今回、謝罪会見以来、音沙汰なしだった佐村河内氏を、森達也がドキュメンタリー映画にして再び世間にお披露目するという。本業から離れ、ご無沙汰な2人の博打とも受け取れる異色コラボ。作品の出来より、これで世間にスルーされたら相当キツイだろうと思っていたら…何と劇場は満席。しかも場内爆笑の連続で、意表を突く展開となった!
 
 線路沿いに建つとあるマンションの一室。佐村河内氏と妻のかおるさんが、世間の目から逃れるように暮らす自宅に、監督自ら出向いて取材するスタイルが、本作の基本制作姿勢だ。カーテンが引かれた居間で、監督は早々に映画の狙いを2人に説く―「怒りは後ろから撮ります。僕が撮りたいのはあなたの哀しみです」と。いやー、笑った!森さん、冒頭から飛ばしてる。おまえは涙の再会司会者・桂小金治か!と突っ込みたいくらい、いつになく演歌モードでデバってくる。そこに神妙な顔で居合わせる佐村河内氏と、手話で伴走するかおる夫人の3人の取り合わせがあまりにてんでバラバラなため、イメージが集約できず、この先一体何が紡ぎ出されるのか、いい意味で見当がつかない。まんまとノセられましたね。

ほら、そもそも私、佐村河内氏の音楽性にも履歴にも興味がないので、本作を通じて私の目に映るもの―つまり映画として面白いかどうかだけを判断基準にしてのぞんだわけ。それに対して監督の配球はサエまくっていた。何といっても、夫婦を前に緊張させるべきところと、タイミングを外して泳がせるところの緩急の使い分けが絶妙で、終始アクロバティックな揺さぶり質問をぶっこんでくれるのだ(笑)。なるほど、監督はフェアな傍観者ではなく、自らを演出家として映画にキャスティングしているわけね。長いブランクなどまったく杞憂だったかも。「僕がタバコを吸いたくなったらどうすればいいですか?」などと、他人の家に上がり込んでどこまでも強気なオレ様振る舞いをするかと思えば、佐村河内家の食事情にフォーカスし、観客の覗き見心をグリグリくすぐる。食事の前に豆乳をガブ飲みする佐村河内氏、…この絵イッパツで疑惑のイメージを脱力させ、さらに土足で踏み込む自分(監督)との対照性で、「ゴッチ、意外とカワイイ奴かも…」と親密度を高める演出設計に抜かりがない。

また、佐村河内自身による涙声の言い訳タイムを一通りは撮り込むものの、真意はあえて問題にせず、「心中だからね」と覚悟を告げて、チームFAKEの結束を固めてみせる。実に恐ろしい!そしてここに、バラエティ番組出演依頼で来訪するフジテレビ取材陣は、まさに、“飛んで火にいる夏の虫”。マスコミ=どこまでもインチキ&低俗のパッケージが、お手本のようにスルスル出来上がっちゃって、それはそれで短絡過ぎる気はしたが、実は彼らさえ前座にすぎなかったというオチまで用意される。

真打は映画の後半に顔を出すアメリカの取材チームだ。観客ウケ用のいじられキャラを求めるわけでも、笑いが欲しいわけでもないこの外国人組は、容赦なく本質をガシガシ攻める―「どうして作り話をしたのか?」「本当に創作に関わったなら音源を見せてくれ!」と。なるほど、疑惑を晴らしたかったら証拠を出せと、ひどくまともな説得をしつこく繰り返したのだ。楽器も持っていない佐村河内氏はさすがに大ピンチ。しかし、身を強張らせ、苦渋の沈黙しか打ち手がないこの緊迫の場面で、なんとこの私が「お前ら一体何様のつもり?日本人はグレーで上等なんだよ!」と、いつしか佐村河内氏に成り代わって抵抗しているではないか!「おだてる」と「バッシング」を、交互に繰返して退屈をしのごうとする社会にはもちろん辟易するが、立証できなきゃ真実じゃないと切っ先を向ける社会も私はノー・サンキューなんだと、改めて気づかされた瞬間だった。どんなに引いて眺めていても、『FAKE』は当事者意識を炊き付けてくる。己のモノサシを試される映画なのだ。

一方、どんなに目を凝らしてもわからないこともあった。かおる夫人の心境である。なぜ彼女はこれほどの犠牲を引き受けているのか、そのモチベーションの源泉がサッパリつかめず、これまたいい意味で映画に陰影を与えていたような気がする。監督は佐村河内氏に、愛情と感謝の言葉を妻に捧げるよう誘導するが、うーん、ここは意見の分かれるところ。陰で支える妻というより、彼女には自分が生んだ子を見届ける「昭和の母」の面影がチラついたからだ。新幹線に乗って長旅に出るツーショットなんて、小学生の息子の手を引いて掛かり付けの病院へ向かう親子図そのものだったもの…。

映画は、佐村河内氏の本当のご両親や、ゴーストライター役だと名乗った新垣氏も撮影し、ある種の“ファミリー・ヒストリー”状態となってゆく。振り返れば守くんは、心優しき大人たちに守られ、それに甘え過ぎたお坊ちゃまくんだったのではないか。だから最後の最後に一発逆転!守くんは、シンセを買ってもらって、頑張ります宣言をするのだ。守くんのか弱そうなふくらはぎと、かおるさんのシンパイ顔は私に授業参観を連想させ…。そう、『FAKE』は尾木ママも腰を抜かす教育映画に着地した。おそらくこれ以上意表を突くFAKE=偽造はないだろう。

見た人全員が世間の視座を再定義する衝動に駆られ、しかも答えはみな微妙に異なるだろう映画『FAKE』。さて、あなたの見解は如何に―。今すぐ劇場へGO!

さらにもう一本! 長年にわたるドーピングにより、自転車競技から永久追放されたロードレース選手ランス・アームストロングの栄光と転落の人生を実話をもとに映画化した『疑惑のチャンピオン』(’15)と併せて見るとより面白い。役者が再現する劇映画(疑惑のチャンピオン)が本当のことのように見え、当人が出演するドキュメンタリー(FAKE)の方がむしろ虚実の境をあいまいにする―。映像とは…真相とは…人間とは…いったい何だろう?と考えずにはいられなくなる。

FAKE
2016年/日本/カラー/109分
監督   森 達也
撮影   森 達也/山崎 裕
編集   鈴尾啓太
キャスト 佐村河内守

 

 

◆pgでベトナム展

 東京は新宿のphotographers’ gallery で4年振りの個展を開く。昨年の終盤、30年振りにベトナムを訪れたので、30年前のネガやベタを見直し始めた頃にそういう話になった。ベトナムに関しては30年後というキリのいいときにやれればとは漠然と思っていて、再訪越はキリのいい年に叶った。展示となると準備もあるし、キリのいい年にというわけにはいかなかったが、ようやく準備が大きな山をいくつも越えて、こうしてお知らせできるまでになったので、取りあえずひと安心という現状です。

 30年前の写真の撮影はモノクロが中心で、これまた久々にモノクロの暗室を季節のいいときにやることができた。自分の暗室で大全紙までは焼いているとはいえ、現像のプロセスは機械がやってくれるカラーの場合はあまり当てはまらないのだけれど、モノクロの場合、季節によってこんなにも暗室がストレスになったり楽しみになったりするとは、というくらいベストシーズンというものがある。
 他にビデオをかなりの量撮っていた。VHSのコンパクトビデオカメラで、当時ソニーが出していた「ベータカム」に対抗してビクターが手がけた一体型の小型ビデオカメラである。小型とはいえ今のものとは比べ物にならないくらい重くて大きい。1本20分なので、計画的に撮らないとならない。もっと前に映画のカメラをやったことがあるのだけれど(学生時代の自主映画)、それは1本3分ちょっとであったから、さらに計画的でなければならず、コマ割りなどで事前にだいたいの構想を固める必要があった。ビクターのビデオを最初に使ったときは、そういう不自由さがなかったので、逆に緊張感がなくなるねなどと仲間と話したものだが、今のデジカメは持っていることを忘れるくらいに軽いし、撮った分は小さなカードに収まっているし、それなのにほぼキリなく撮れてしまうので、この20分は程よい緊張感と達成感、充実感をもたらしてくれるいい設定ではなかったかと思う。

 そんなコンパクトビデオカメラを担いでホーチミンからハノイまで北上した分を、プロの手を借りながらやっと繋いで書き出したところである。まずはビデオテープを編集可能なDVDに移すところからだったので、思えば長い作業ではあった。20本ほどあったし、また他の時期にも2度訪越しているのだけど、あれもこれもだと散漫になるので、それらにはひとまず目をつむることにして、北上に限定し時系列でやると決めたので、思いのほか作業はスムーズにいった。会場は2つの部屋があり、1つはこのビデオとデジカメで撮影した新しい動画(動画とビデオという使い分けが分かりにくいかもしれないけれど、昔のビデオテープで撮影したものはビデオとしか表現できないのでご容赦を)の上映、もう1つの部屋は新旧取り混ぜての展示(20点)という構成。
 30年前の写真を見直したのも初めてなら、こんなにいろんな作業(カラーとモノクロの暗室、ビデオと動画編集、16ページの冊子の編集、それに入れる文章)を一度に並行して進めたのも初めてで、いま展示に向けての最終コーナーを味わいながら過ごしているのを幸福と言わなければバチが当たる、ということなのでしょうね。
 

■山猫

青い空に雲が流れ、ゆったり風が吹いている。生い茂る木々に沿って進むと鉄の門が現れる。その奥に構える古い屋敷―サリーナ公爵邸を目にしたとき、私は思わず武者震いがした…「あー、『山猫』が始まる!」。

『山猫』において、途方もなく広大な屋敷を正面で捉えるのが冒頭のこの僅かなショットだけだというのは意外なことかもしれない。但しこのショット、見逃すことはできない。なぜならここに薫るのは大邸宅の華々しいオーラではなく、威厳と一抹の侘しさだからだ。すでに『山猫』の基調音はここから認められている。

やがて我々は庭を抜け、ゆっくり屋敷に近づき、「サンタマリア…」と祈りを唱える声のする一角に辿り着く。するとまたここでも風が吹く…。開け放たれた扉を前にしてレースのカーテンが揺らめき、しばしテラスから中の気配を伺う間合いのエロティックなこと!10年振り3度目の対面となった今回もどうしようもなく胸は高鳴った。『山猫』において、頻繁に顔を出すこの“風”というモチーフは、実に誘惑的な伴奏曲になっているのだ。

そんな滞空時間の長い前フリを経て、公爵とその家族がお出ましになる。お抱え神父に従って祈祷する様子は、さながら西洋古典絵画のごとき趣。室内の佇まいと、人々の配置、それぞれの振舞いが完璧な構図を作り上げ、扉が開け放たれていなかったら窒息してしまうほど重厚な光景が広がる。そう、サリーナ公爵家及びその屋敷は、一つの“国家”として我々の前に立ち現れるのだ。そして今この“国家”は、土足で踏み込んできた新しい勢力に翻弄され、傷つき、決断を迫られている。その渦中に立ち、貴族社会に終止符を打とうとするのが、主人公ドン・ファブリツィオ公爵である。豊かな髭を蓄えたこの男は、一家の食事の時間まで取り仕切る生まれながらの権力者だ。

しかし一方で、時代の変化に無闇に抗することはなく、歴史的変革期にでさえ世の中を諦観する構えで居合わせている。特に、彼がすばしっこい目をした新時代を予感させる甥のタンクレディに目を掛けるとき、リーダーとしての計算は瞳から消え、ただただ眩しくて愛しい生き物と接するようで極めて印象深い。確かにタンクレディに扮する若かりし頃のA・ドロンの肉体は、軽さがある種の武器になっており(馬車に飛び乗る場面の華麗なステップを見よ!)、肉厚な公爵との対比は映画の中で重要な位置を占めているのだ。

そしてもう一つ、『山猫』の重要な鍵となるのが“対話”のシーンだ。映画の中で公爵は幾つもの対話の時間を持つ。お抱え神父との日常会話から始まって、狩猟先で気心の知れた相手から新政権に関する感想を聞く時間。タンクレディの縁組のために新興ブルジョアの村長と打ち合わせをする時間。新政府の上院議員になるよう説得に訪れた使者との会話…というように。3時間6分の大作とはいえ、これだけ対話に時間が割かれていてどうして退屈しないのか、私にはそのことがまず不思議だった。それも、対話をリアクションで繋ぐという映像が意識された方法ではなく、語りそのものがメイン・ディッシュなのにだ。小説との違い、演劇との違い…何かしら映画ならではの作為がないと地味過ぎて間が持たないはずなのに、もっともっと彼の話に耳を傾けたくなってしまう。

公爵の語りが、常に話しながら思索し、思索しながら決断してゆくもので、そうした重層的なプロセスに映画を感じるからなのか。いや、むしろもっと単純なこと。公爵の抱える人としての厚み ―肉体的にも精神的にも― が、それだけですでにドラマチックだからだ。しかも一国家のごとき名門貴族を代表するこの男でさえ、孤独と共に在り、死から逃れられないという点において我々と何ら変わりないことが対話の中で痛切に迫ってくるときのリアリティたるや…。こうした通俗的な力を侮ることなく、逆に戦力として取り込んでしまえるところにヴィスコンティ監督の凄味がある。公爵と我々を始終強く結びつけつつ、でも映画そのものは誰の心ともけして寄り添わない。この恐るべき冷酷さ!そしてそれを最も窺い知れるのが、あの伝説の大舞踏会の場面であろう。

ここではあらゆる“過剰”が提示される。紳士淑女の数はもちろん、夥しい数の宝石に扇におしゃべりが渦巻き、豪華さも醜悪さも老いも若さもどっと溢れて、その息苦しさに眩暈がする。しかしこの壮大な宴こそは、公爵の孤高を際立たせるために用意されたこれ以上考えられないほど残酷な仕掛けなのだ。

我々は、一人歩いて岐路に就く公爵の後姿を、もはや他人とは思えない。あのシチリアの乾いた大地に吹き抜けていた風さえ恋しく思うほど、公爵と同じ血潮を分かち合う身になっている。最大限の敬意と親密感を寄せる中での幕切れが、いかにも傑作の名に相応しい。

『山猫』(’63)
1963年/伊・仏/カラー/187分
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ
脚本:ルキノ・ビスコンティ
スーゾ・チェッキ・ダミーコ
キャスト:バート・ランカスター
     アラン・ドロン
     クラウディア・カルディナーレ

■オマールの壁

ちょっと言葉にならないくらい、切ない映画である。フィクションと頭でわかっていても、どうにもやり切れない。映画の背景となる現在進行形の政治情勢に、これほど反応してしまった理由は、若者にとっての黄金の切り札―「愛」と「友情」と「青春」―が、ことごとく踏みにじられてしまうからに他ならない。パレスチナ自治区は天空までも壁に阻まれていた―。

パレスチナ自治区に高々と聳える分離壁を背にし、ひとり立ち尽くす美青年の名はオマール。次の瞬間、イスラエル兵士の監視を潜り抜け、垂れ下がる綱を掴んでイッキによじ登り、壁の向こうへスルリと潜入する。威嚇の銃声が響き渡り、手のひらには鮮血の花が咲くが、これがルーティンワークと言わんばかりの慣れた振る舞いで、映画は幕を開ける。その深く静かに輝く瞳と、しなやかな身体性に早くもテンションMAXだ。

ただし、オマールは今から007やマッド・マックスになるわけではない。切れ味抜群のオープニングを演じた青年は、コツコツと愚直に働くパン職人なのだ。彼が向かったのは幼なじみタレクの家。身の危険を冒してまで訪問する先が、友人宅だという日常に、まずは驚かされる。そう、あのヨルダン川西岸地区を囲む分離壁は、イスラエルとパレスチナの線引きだけにとどまらず、自治区内を分断する形で建てられており、パレスチナ人同士を引き離す意図もあるらしいのだ。申し訳ない、まったく知らなかった(汗)。千種区に住む私が中川区の実家へ壁を乗り越えて行く図を想像したら、思わずめまいが…。

話を映画に戻そう。ではそんなタレクの家で一体何がおっぱじまるのかというと、幼なじみで集う茶話会(!)である。まるで放課後の高校生男子のように、リーダー役で堅物のタレクとお調子者のアムジャドと3人で和むユルいひととき。冒頭の分離壁とのギャップが激しくて妙に可笑しい。いや、正確に言えば、我々を拍子抜けさせるこのトボけたリズムこそリアリティの要。むしろ緊張感を途切れさせないポイントなのだ。

そして「友情」の次は「愛」の目撃である。オマールはタレクの妹ナディアと密かに愛を育んでいる。壁ドンよりはるかに難易度が高い“壁越え”に励むのは、愛のなせる技らしい。2人は誰にも気づかれぬよう、お茶と一緒に小さくたたんだ恋文をそっと手渡す仲だ。だが燃え上がる思いは、本人たちの気づかぬところで、閉ざされた世界の均衡を次第に崩し始める―。ここで目にする「友情」と「愛」は、一見、懐かしく控えめで純朴な青春の一コマに映るが、我々は冒頭の壁を目撃している。無邪気に酔えるはずはない。いつ終るとも知れぬ占領下の日常は、未来を宙づりにしたまま、息苦しく過ぎてゆく―。

ある日、オマールはいつものように壁を越え、恋人との束の間の逢瀬に胸を高鳴らせた帰り道で、イスラエル兵たちの嫌がらせにあう。その執拗なからかいと、息を殺して耐えるオマールの背中を一つ画面に収めるシーンの暴力的なこと!武力で制圧される側の屈辱感がスクリーンからにじみ出て、客席に座っている自分を後ろめたく感じてしまうほどだった。そしてこの事件を機に、若者たちの抑圧された感情が暴走を始める。積もり積もった苛立ちを晴らすべく、「待ってても切りがない!」と、3人はイスラエルの検問所を襲撃。すでにオマールの愛と友情に親しみ、彼の心情と堅く結びついている我々は、このGOサインに躊躇なく飛びつくが、それはオマールと共にさらなる非情な世界へ足を踏み入れることを意味する。イスラエル秘密警察の報復である―。

この映画で唯一プロの役者が演じる秘密警察の捜査官ラミ。この男の登場とともに、映画はまたも顔つきを変える。まるで金貸しシャイロックのごとく老獪なラミは、オマールを容疑者として逮捕し、協力者になって仲間を売るか、一生収容所で暮らすかの二者択一を迫る。いやー、ねっとりと赤子の手をひねる取引演出に興奮させられた!映画は、一本気な若者VS狡猾な大人というわかりやすい絵に作り込み、イッキに青春ジレンマ物語へとお色直しを図ってみせるのだ。そのうえ、レミの謀略に乗る振りをして、再び恋人と同胞たちの元に戻ったオマールが直面する様々な断片、その葛藤のバリエーションと緻密な構成があまりに見事で、私の意識は自治区内から外へ一歩も出ることなく集中し切った。

特に、問題の多いこの地を宗教や民族間の確執からアプローチするのではなく、恋人同士がフツーに夢見る未来や仲間との変わらぬ友情というささやかな心の拠り所に、大きく揺さぶりをかけてくるスケッチの連続だからいたたまれないのだ。嫉妬があり、裏切りがあり、訣別がある…。オマールは何度も壁を越えて、自分の未来を掴みに行くが、その積み重ねがむしろ彼を孤独に追い込むという皮肉。世界はなぜこれほどまでにオマールをいじめるのか―。と同時に、なぜオマールはここまで自己犠牲を貫くのか―。古典的な悲劇の形式を借りることで、かえって占領下パレスチナ自治区の今を強く想像せずにはいられなかった。
 
印象的なシーンを2つだけ書いておきたい。ラスト近く、恋人も幼なじみもなくし孤高な日々を過ごすオマールが、もう一度分離壁をよじ登ろうとする。しかし壁を越えることができずに途方に暮れていると、通りがかりの老人が「大丈夫、すべてうまくゆく」と手を貸すシーンが描かれる。衰弱して縮こまった心に染み入る一言と一陣の風…オマールの代わりに声をあげて泣き出したくなるほど、胸に突き刺さった。そして、アムジャドの妻になったナディアとの2年ぶりの再会場面。オマールは穏やかな笑みを浮かべて尋ねる「勉強は続けてる?」と―。家父長制が強く、男女間の壁も高く聳え立つ慣習の中で、教養は女の人たちの力になる!と励ますような一言に聞こえて、これも私には忘れ難いシーンとなった。…それにしてもせつない(涙)。

若者たちの黄金の切り札は、みんなが嘘を信じたことで崩壊した。云わば壁に取り囲まれた中での自壊によって消失したのだ。今見るべき映画、必見である。

『オマールの壁』
2013年/パレスチナ/カラー/97分
監督・脚本・製作 ハニ・アブ・アサド
撮影 エハブ・アッサル 
キャスト アダム・バクリ、ワリード・ズエイター、リーム・リューバニ

●ブライアン・ウィルソンを観た

前回、小林秀雄の『ゴッホの手紙』を探しておきます、と書いてからすでに4ヶ月が経過しました。その間、何をしていたかというと、仕事をしていました。その中には、この03fotos.comのリニューアルのための作業も含まれております。その他もろもろ細々と雑務が重なり、今日に至った次第です。怠慢をご容赦ください。と、誰に言っているのかわかりませんが、とりあえず謝っておきます。あまり謝罪を安売りしていますと、説得力がなくなっていきますので、ここでやめておきます。

で、そんなてんやわんやの日々の中『ゴッホの手紙』を書棚から見つけたのですが、その前に書いておこうと思う体験がありましたので、記録することも含めここに記します。

それは4月に行われたブライアン・ウィルソンの日本公演です。小林秀雄からブライアン・ウィルソンへと飛躍しますが、そこはご容赦。私は4月11日の東京公演初日に行きました。私如きは一介の客に過ぎませんが、一応今回のライブについて説明します。

今回のライブのメインテーマはビーチボーイズのアルバム『ペット・サウンズ』の再現ライブです。『ペット・サウンズ』は今更私如きが説明するまでもなく、ロックミュージック史上に残る名盤であります。どれだけ名盤かというと、ビートルズのポール・マッカートニーが『ペット・サウンズ』を聴いて『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を作ったと言えば、納得いただけるでしょうか。ちなみに、『ペット・サウンズ』はブライアン・ウィルソンがビートルズの『ラバー・ソウル』に触発されて制作したとも言われています。ついでにフランク・ザッパも『ラバー・ソウル』に影響されたそうです。これだけのエピソードで時代背景とその影響力は十分伝わってくるでしょう。

と、肝心のライブの構成ですが、前半ヒット曲、中半『ペット・サウンズ』の再現ライブ、後半アンコールでヒット曲、という流れです。

全体を通して…、終始ブライアン・ウィルソンの存在に軽度の衝撃を受けっぱなしでした。カリスマとしての在りようとして、これもまた宿命なのか、という印象です。

まず、歌がどのメンバーよりも下手。元同僚のアル・ジャーデンの場合、軽ろやかに伸びのある歌声は当時の音源と変わらず、見た目とのギャップに面食らいしました。が、ブライアンは…衰えております。

しかも、ブライアンは曲によっては歌わず、キーボードを弾かない時もあり、ぼんやりとした表情で前方を見つめているような佇まいのときもあったりしました。これはやはり、『ペット・サウンズ』制作当時にハマっていたLSDの後遺症なのか…と思ったりもしました。もしそうだとしたら、クスリの影響力は大きいです。

アンコールではアル・ジャーデンの存在が際立ち、「サーフィンUSA」など往年のヒット曲を連発し、それまで温和しく座って見ていた観客も総立ちで、最高潮という光景でありました。アル・ジャーデンは職人ですね。ちなみに、私は終始座っておりました。

だが、このアンコールが最高潮に達しているときのブライアンは…ぼんやりとステージから観客席を見つめてばかりでした。

ある意味、達観した姿です。

最後にブライアンのファーストソロに収められた「Love and Mercy」で締めくくっていました。この時はもちろん歌いましたが、キーボードはバックミュージシャンが弾いておりました。

ライブはもちろん楽しめました。しかし、それ以上にブライアン・ウィルソンという人物の佇まいが気になって仕方ありませんでした。

ブライアン・ウィルソンは間違いなく天才です。彼の音楽家としてその才能を遺憾なく発揮した作品が『ペット・サウンズ』であり、次にリリースされるはずだった『スマイル』、そして『サンフラワー』『サーフズ・アップ』に収録された楽曲群だと思います。年代で言えば1966年から1970年にかけてでしょうか。個人的には『サーフズ・アップ』に収録された「Till I Die」そして本来は『スマイル』のときに録音された「Surf’s Up」の美しさは絶品ものだと思っております。

誤解を承知で書きますと、ブライアン・ウィルソンは、この時点で亡くなっていれば、時代を象徴した天才のひとりとして後世に名を残したでしょう。

しかし、神は彼に運命のいらずらをします。

亡くなったのはブライアンではなく、二人の弟・デニスとカールでした。カールは1998年にガンで亡くなりますが、デニスの場合、所有している船から転落し、溺死という痛ましいものでした。1983年のことです。

1970年代から1980年代にかけて、ブライアンはほとんど表立った活動はしていません。出来なかった、というのが実際の事情だったのでしょう。1988年に初のソロアルバム『ブライアン・ウィルソン』をリリースし、その後は現在に至るまでコンスタンツに活動していますが、空洞の期間に受けた影響は、いまだに彼の中で続いているのかもしれません。

『ペット・サウンズ』に収録された名曲「God Only Knows」にならっていえば、こうした運命のいたずらはまさしく神のみぞ知る、というところでしょうか。

■母よ

 映画監督のマルゲリータは八方塞がりだ。クランクインした新作が思い通りに進まない。ハリウッドからスター役者を呼び寄せて、硬派の社会派作品に仕上げるつもりらしいが、主役が現場入りする以前に早くも苦戦中。「いやーダメでしょ、こんな古臭い労使紛争シーンを撮ってちゃ。一体誰が見るの?」と、私でさえ思わずツっ込みを入れたわよ(苦笑)。そのうえ彼女のイライラにスタッフは振り回され、撮影現場の空気は最悪―。

仕事を離れても、マルゲリータの気は休まらない。入院中の母の容態が気がかりで、何とか頑張って病院へ顔を出す。そこには籠の鳥となって不安そうな母親が横たわっているのだが、病床の身でありながら娘の仕事ぶりには上から目線で見定めたりして、なかなかの気丈ぶり。この親にしてこの子ありか(笑)。いや、もしかすると2人は、親子の関係を一度も逆転させぬまま今に至っているのかもしれない…。ここで一服の清涼剤となるのが、モレッティ監督自身が扮する兄のジョヴァンニだ。母に手作り惣菜を差し入れに来て、甲斐甲斐しく世話をする姿の微笑ましいこと!どうやらイタリアのマンマの愛情深さは、兄に継承されているらしい。ただ母を元気づけたい一心で自然に行動が伴う兄を見て、マルゲリータは内心焦っただろう。仕事で凹み、親孝行でも兄に出し抜かれ、じぶんの落としどころに迷う働く女の心理状態が、実にシビアに描かれる。それだけじゃない。一方でマルゲリータは恋人に強引に別れ話を切り出し、サクサク一人荷造りをして仕事に専念するという。どう説得されても聞く耳持たず、以上おしまい―だ。不調にあえいでいてなお、慰めの場所など不要だとツッパるヒロインの硬質さは、一体どこからくるものなのか。また、彼女には別れた夫との間に中学生の一人娘がいて、自分も一人の母親の立場から反抗期の娘に手を焼いている様子。要は、仕事もプライベートも問題山積みで、マルゲリータは始終ピリピリしているのだ。そんな中、追い打ちをかけるようにトラブルが降りかかる。現場入りした主役俳優のバリーが大物ヅラした俗物野郎で、彼女のカンに触ることばかりやらかし、撮影はますます難航。しかも、母の病が予想外に重く、余命わずかだとの宣告まで受けてしまう―。

ところで肝心なことを書き忘れた。マルゲリータは美しい。ボリューミーなイタリアのマンマのイメージとは異なり、スレンダーな体系の知的美人である。特に後ろ姿なんて本当に可憐で、まるで女子大生のよう!誤解を恐れずに言えば、神経を張りつめてピリピリする必要がどこにある?美人が独りで生真面目に何でも背負い込むと、周りがいたたまれない雰囲気になるのわかんない?と、ハラハラしてしまった。男が幅を利かせる映画業界にいて、しかもこの美貌で女優ではなく監督業に長年就いてるなんて、相当強い征服欲をお持ちなのだろうが、見た目とのギャップを絶えず感じてしまったのは私だけだろうか…無理してないか?と。もちろんそのあたりは監督の計算なのかもしれない。もともとこのお話は、母親を亡くしたモレッティ監督自身の体験談を下敷きにしたもので、自分が演じるにはあまりに辛くて、主役を女性に置き換えて制作した作品なのだ。だけど自分(監督)が解放された分、マルゲリータを追い詰めるエピソードがイチイチ手厳しくて、仕事と家庭の両立に懸命な女の人たちが見たらイタすぎて目を伏せるかも(笑)。それだけ男女の垣根なく、人間として対等に見ている証拠とも言えるのだが―。さらに驚いたことに、こんな風に全編ストレスが噴出する作りでありながら、なぜかやたら面白いから呆れてしまったのだ!

例えば劇中には、問題山積みのリアルな時間と並行して、ヒロインの内面の葛藤を幻想的な絵柄で差し挟み、彼女の八方塞がりな自意識をうっちゃるシーンがたびたび登場する。難しいアプローチだが、これがかなりイイのである。親しい人の最期と向き合うのも、切羽詰まった仕事への責任も、相当な重圧には違いないが、そんな時でも人は頭の中で自分を欺き、見当違いな妄想を繰り広げたりして、深刻ささえ無意識に自分仕様にアレンジするもの。そんな個の作業を、気取った抽象化ではなく、ひとりノリ突っ込みと呼びたい軽さと唐突さで演出していて、私にはとても魅力的に映った。映画の力を信じているなあーと。監督はこの美女を哀しみに暮れさせない、むしろより忙しくさせる。そしてバタバタさせながら、自分の判断を絶対視し、すべてを自己完結してきた彼女が、実際には何もわかっちゃいなかったことを遠巻きに気づかせる。母のこと、娘のこと、兄のこと、恋人のこと、そして自分自身のことも、わかっているつもりなだけだった…と。マルゲリータと我々は近しい。彼女を通してフと自分を振り返るとき、映画は苦笑いを誘う。

ラスト。遠い目をした母に向かいマルゲリータが「何を考えているの?」と尋ねると、母は一言「明日のことよ」とそっけなく応える。実際のやりとりなのか、ヒロインの幻想なのか曖昧なスケッチなのだが、死にゆく者が「未来」を見つめ、生き残る者が「思い出」を紡ごうとするその逆説的な構図がひどく印象に残った。わかったつもりになるな―と最後の最後まで予定調和を崩しにかかるモレッティ。涙と相互理解で我々を安心させて幕を降ろすような甘さなど、この作家にあるわけない(笑)。だが、映画のそこかしこに人生の手応えや歓びを小さく刺繍していて、何度そのテクにのせられたことか!特に落目の大物俳優バリー(暖かく狂い咲くジョン・タトゥーロの演技が素晴らしい★)の存在によって、ドラマが家族の話に閉じなかったのは大きな勝因。マルゲリータには、仕事で結ばれるもう一つの家族がある…そう、映画があるのだ!

『母よ』
2015年/イタリア・フランス/カラー/107分
監督   ナンニ・モレッティ
撮影   アルナルド・カティナーリ
脚本   ナンニ・モレッティ フランチェスコ・ピッコロ
キャスト マルゲリータ・ブイ ジョン・タトゥーロ

◆解題•その山へ

 サイトのリニューアルをするにあたって新しい作品もいくつか見られるようにしてみた。そのうちの「Towards the Mountain (2013-)」についての経緯などを少々書いておこうと思う。最初に纏めて作品を展示したのが海外だったため、英語のタイトルが先になった。その後、ちょっとベタだけれど日本語をつけた。

 富士山は昔から気になっていて、新幹線は山側を予約することにしている。だから乗車日に曇ってたり雨が降ってたりするととても損した気分になる。眺めているだけでよかっはずなのに、一生に一度は行ってみてもいいかもなんて思いついて、それは10年ほど前に河口湖から撮った写真とずっとつきあっているので、そのお礼参りみたいな気分も上乗せされて、運動らしきことを自主的にしたことがないに等しいにもかかわらず、思いついたのだった。最初は漠然と。
 2013年から毎年富士山に登っている。その年の早春にとある会で、山に限らず世界をまたにかけて活躍している頭脳も体力も超人的な人に、来年くらいに富士山へ登ってみようと思うんですよと話したら、あっさりと「今年登ればいいじゃないですか」なんて言われ、たしか2月かそこらの時分であったため、年内はみっちりと体力増強に励み、ガイドブックにあたり、心の準備もしてからの方が安心だと思いつつも、どうせやりだすのは間際なのだから来年でも今年でも実質一緒、しかも年齢は確実に1つ増えるのだし思い切って今年やってしまおうかと思えるギリギリのタイミングであった。そのあっさり口調がほんとうに簡単そうに思えたことにも背中を押され、どのみち半年後には終っているのだ、今からなら間に合うかもしれないと思ってしまったのだった。思い込みは時に人を強くする。
 その年は、悪いことに世界遺産になったことと重なり、人が大勢で身動きとれないのではないかと不安だったけれど、世界遺産になった年から登るなんてミーハーねえと他人が思いやしないだろうかという余計な心配を抜きにすれば、かえって意外と空いていた。それから3年。今年登って4回目。いったいいつまで登れるか楽しみでもある、などと書いている自分が信じられないけれど、実際そのとおりなのだから仕方ない。もちろん弾丸登山なんてしませんがね。あくまで写真が目的なので、ゆっくりとできるだけ長く滞在することを心がけている(ものは言いよう)。とてもいい山小屋にも出会えた。ひどい山小屋のおかげで。
 その年、連泊で予約していた小屋を出発するとき、不要な荷物を預かってもらえず(といっても着替えくらいなもので、撮影済みフィルムは背負います。全員分を纏めて名前を記入した袋に入れて、あわよくば預かってもらおうと思っていたのだが、にべもなく断られた)同行者の中には富士宮のナマズと言われている男もいるのにいいのかな地元民にそんな態度で、などと悪態吐いたりはしてませんが、それ以外にも感じが悪かったので(トイレに入るとき大か小か聞かれる、朝食に出たゴミも持ち帰らされるなどなど)、ではキャンセルして他を当たるか頂上を早めに退いて下山しようということになって、荷物は預からないがキャンセルするのも全然オッケー(山小屋は基本的にはそういうものらしい)ということで、頂上で他の小屋へ電話をかけたところ1軒目は不在、2軒目がとてもいい感じで、実際に行ってみるとさらにいい感じで、できる限り毎年来ようと思うくらいに良い小屋だった。(ちなみにこの小屋では連泊でなくても普通に荷物を預かっていたようである)。7合ちょっとにある小屋なので、ビールを飲んでも下山に響くこともなく、カレーに温泉玉子はついてるし、ご飯だけでなくお肉や野菜のいっぱい入ったカレーのルウもお替わり自由で、まったく天国のようである。
 
 このタイトルで新たに写真展をするとか、写真集にまとめるとかがいつになるにせよ、登れる限り使い続けようと思っているので、長い付き合いになるかもしれない(願望もこめて)。「その山」が別の山になったりは、たぶんしないと思う。

■徘徊~ママリン87歳の夏

この夏、うつ病を患う老いた母にカメラを向けた『抱擁』(14)というユニークなドキュメンタリー作品を見たばかり。そして今回遭遇したのは『徘徊』(15)だって。あまりに身もフタもないタイトルだが、たじろぐ必要は全くございません。そう、お年寄り密着記録は、今最も斬新な企みが試される荒野なのだ。何せ被写体内になみなみと湛えられている、“時間”が、ある種の衝撃吸収材となり、どこまで突っ込んだ実験をしようが、彼らはびくともしない。逆に老人たちの、“どこ吹く風”な一面を目にするたび、「恐れ入りました…」と平伏したくなる。腫れ物に触る扱いをしていては、かえって失礼だと気付かされてしまうのだ。『抱擁』の坂口香津美、『徘徊』の田中幸夫。おそらく2人の監督は、老人たちのポテンシャルの高さに瞠目しながら記録したのではないかと思われる。とにかくこの荒野が、我々の想像をはるかに超えていることだけは間違いない―。

田中幸夫監督作品『徘徊』は、タイトルとは無縁な素振りで、高層ビルが立ち並ぶ都会の景色からスタートする。やがてカメラは、とあるマンションのベランダを捉え、無造作にしつらえた空中庭園の瑞々しさを切り取り、開け放たれた窓から室内へ柔らかな風が吹き抜ける様子を丁寧に映し出す。何とも心地よい昼下がりの情景である…窓際にちょこんと座る白髪の老婆が口を開くまでは―。

大阪の北浜に住む酒井親子。母親のアサヨさん87歳は認知症で、娘の章子さんが自宅マンションでギャラリーを営みながら一緒に暮らし始めて6年になる。適度に力が抜け、適度に玄人好みなインテリアとこなれた娘の手料理が目を引く2人のマンション生活は、雑誌クロワッサン読者が喜びそうな趣味の良さだ。さすが、美術にかかわる仕事をされてきた人の審美眼は確かですね。バブル時代にいい意味での放蕩を経験し、それが今も血肉になっていると推察できる。ところがそこで飛び交う母娘の会話は、しっとり&優雅とは程遠く、見事なまでに噛み合わない。開始早々場内は笑い声に包まれるのだ。正直言って、ズルい構えである。つまり、強烈な関西弁の初期設定と、母娘のズレまくりの対話がエンエンと繰り広げられることで、酒井家の茶の間は舞台と化し、我々は映画内お笑い番組を眺めている気分になるわけだ。しかも認知症の母が突っ込みで、娘がボケ役に回り、プロのお笑い芸人がどうあがいても太刀打ちできない超過激でシュールな漫才コンビがスクリーンを占拠する。「ここは刑務所か?」と繰り返す母を、娘はビールと煙草を手にしながら、全部拾ってリアクション。オチを決めずにはいられない関西人の血が炸裂する瞬間を垣間見るだけでも、面白くないわけがない。さて、ここまでを寄席編とするなら、ここから先はショートコント編といった趣だ。タイトル通り、昼夜構わず徘徊する母と、それを見守る娘の脚本なきガチンコ勝負の幕が開く。娘は、ここではないどこかへ向かわずにいられない母の衝動を受け入れ、抑圧するのを止め、どこまでも寄り添い歩く。そこには、18歳で家を出て、ひとり自由を謳歌してきた55歳の彼女が、母に自由を与えることで自身はもう何年もある種の軟禁状態に置かれているという皮肉が窺い知れる。もちろんそれを全面的に重荷と捉える時期もあったらしい。章子さんは正直に打ち明ける。そしてその一方で、好きなことを思う存分してきた彼女だからこそ、今、母の意思を尊重できるポジションに立っていられるように映るのだ。認知の症状は刻々と変化するが、それでも彼女は母の中に確かに存在する人間性とそれを理解したいとまっすぐに願う気持ちを失っていない。いや、むしろ母という他者と対峙して、全面的に受け入れたところから、彼女の真の自由が始まったのではないか―そんな風にさえ思えるのだ。

当初、章子さんは自分で撮影するつもりでいたが、知り合いの田中監督が2人に興味を持ち、監督に名乗りを上げて、ひと夏の密着撮影に至ったらしい。これも大きな成功の要因だと思う。私は田中作品とは初めての遭遇となったが、この人はプロだなあと感じることが多々あった。何といっても、発症する方も、される方も、どちら側に立っても生きることの難儀さを深刻に受け止めざるを得ない重苦しいテーマである。だけど母娘ともに懸命に立ち向かっている…、ポテンシャルも高い…、この船は愉快である限り沈没しない…と、監督は確信しながら撮影していたのではないか。だから絶えず軽やか。風通しがいい。2人を取り囲む大都会の人間模様も清々しい風を送り込む。冒頭のシークエンスがそのまま映画の基調音となって、スクリーンいっぱいに響き渡る。そして何より田中監督のさりげないフェミニストぶりに感心させられた。監督の根底には2人に向けた賛辞が流れていて、最初から最後まで酒井親子をエレガントに見せることに徹していた。生々しい修羅場はあってもなるべく煙に巻き、章子さんの美意識や明朗さを十二分に尊重し、その背中を押している。作り手側のこうあって欲しいという願望も含め、あえてノンシャランに、劇映画を撮るような姿勢で制作しているようにさえ見えた。

アッコちゃんとママリンは、笑えてしかもカッコいい!…田中監督がここに着地させて正解である。

イラスト

徘徊~ママリン87歳の夏
2015年/日本/カラー/77分
監督 撮影 編集 田中幸夫
助監督       北川のん
照明        竹森潤二
音効        吉田一郎
出演        酒井アサヨ
酒井章子

■ビッグ・シティ

高校を卒業して映画にハマり始めた頃、巨匠と称せられる人の作品上映には、可能な限り足を運んだ。映画が、何となく自分にとって魅力的な世界だと映るようになるにつれ、「早くこの世界の全貌を知りたい」、「そのためには監督を主軸に置き、体系立てて把握しよう!」と、クソ生意気にも考えたわけだ( 苦笑)。金も情報もないから、図書館で映画関連書籍を手当たり次第に写して自作の資料とし、自主トレと鑑賞の繰り返し…。いやはや、若さとは凄まじいものですね( 爆) 。インド映画の巨匠サタジット・レイも、見るべき作家に掲げていた一人。監督がまだ健在だった1981年に、初めて遭遇した作品が『チェスをする人』( 77 )で、その後計6本ほど追いかけてはみたが、代表作のオプー3部作すら記憶は曖昧。正直に言おう、端正過ぎて20代の私にはカッタるかったのである… 小津映画と同じように―。そして、年齢を重ねるごとに小津映画の奥行の深さに震撼したように、遅ればせながら今ようやくサタジット・レイの偉大さに真に目覚めた。最終電車に間に合った気分…本企画に感謝したい。

 『ビッグ・シティ』は、終始、生活者の生のリズムをエンジンにして駆動する。1953年大都市カルカッタで慎ましく暮らす6人家族。一家の主は稼ぎの乏しい銀行の係長、専業主婦の妻と幼い息子、さらに老いた両親と実家庭外労働によってどう変化するかを、絶えず現実的な視座に即して描き進める。面白いのは、「金」に加えて「体面」という問題を絡めることで、かえって普遍性を高めている点である。嫁が働きに出ることを恥だと嘆く義父、専業主婦を見下しているのに家長ヅラしたくて家に縛り付ける夫、そして僕専用の母性を失う恐怖に泣きじゃくる息子…。家庭の中でも外でも共通な女性のあるべき像が固定化されていて、そのイメージを逸脱したら家( 男)の体面が傷つくと思い込まれていた当時の価値観が、会話や生活のしぐさやフトした表情のパッチワークによって、具体的に立ち現れる。ただし妻は、そんな女性の社会的立ち位置に反旗を翻して働きに出るわけでも、自己実現を目指すためでもない。静かに闘志を燃やし、夫の枕もとで囁く決意表明は、このチームの未来のために私が打席に立ってみるわ!なのだ。さらに、意思決定さえ済めばより現実的になるのが女性ゆえ、仕事内容より新しい舞台に着て行くお洒落のシンパイを始めるあたりも可笑しい。やがて妻は、富裕層を対象にした「編み機」の訪問販売で営業の才能を開花させる。仕事に対する自信、社会的信用の獲得、同僚との連帯、そして何より報酬を手にする喜びに輝く妻。ところが妻の躍進に反し、皮肉にも夫は銀行の閉鎖で失業の身となり、体面にこだわっていられない立場へ追い込まれてしまう。そう、労働をめぐって引き起こる金と自尊心の切っても切れない因果関係を、家族という最小チーム内で描いたことで、国も時代も突き抜けた我が事ドラマとして対峙できるのだ。併せてこの映画の時代背景が、制作時の10年前に設定されている点も見逃せない。その後世の中は何が変わり、何が変わらないかを、観客自身が主役一家以上に分析できる前提で作られている。それゆえ観客一人一人の現実生活のものさしが絶えず刺激され、想像力は膨らみ続けるのだ。本作の半世紀後、スクリーンには成熟した母性を持つ夫が登場し、働く妻を伴走し続ける映画『サンドラの週末』(かよこ新聞参)が公開される時代となった。女性の自立などという狭い視座で括り切れないこの両作品を、並べて見直すこともお勧めしたい。

 そして『チャルラータ』である。マジに酔いしれましたね!『ビッグ・シティ』の設定とは対照的で、ドラマの鍵を握るのは新聞社を経営する裕福な夫と大邸宅に暮らす美貌の妻・チャルラータ。満たされているはずの彼女の、孤独な一面を覗き見させる冒頭のシークエンスから即、涙腺が緩むほど興奮した。流麗な移動撮影と相まって高まる“陋屋の美姫”のもの悲しい横顔は、まるで子供の頃に耽溺した藤城清治の影絵のようだった。キラキラ輝いて見えたり、脆く消え入りそうに見えたりと、背反する側面が繊細に入り混じる幻影の美しいこと!さらに窓の外から聞こえる市井の音の数々が、風となって邸に流れ込み、籠の鳥のチャルラータを惑わせる…。『ビッグ・シティ』の妻は自ら外へ出て自由な空気を吸い込んだが、籠の中で詩歌の世界と戯れ、想像の自由を唯一の慰みとするのがチャルなのだ。また、固定化された女性イメージで四方八方を塞がれ、自分の可能性と向き合うことに、本人があえて眼を背けている風にも映る。そこで映画は、外から夫の従妹や実の兄夫婦を邸内へ呼び入れ、部外者との関わりを通じてチャルの複雑な胸の内を立体的に演出してみせるのだが、その表現力は映画でドラマを描く際の決定版と呼びたい代物。こちらも、やはり現実的な視座にこだわりつつ、大きな構えで描き進めて行くのだ。しかも、観客の想像力を信じ、時に激しく、時にささやかに火をくべ続け、最後は重厚な文芸作品の域にまで到達するではないか… 心底感服した。

 二人の妻は、共に敷かれた運命から一歩横に身を引き離し、あるべき像を自ら再構築してみせる。その反面、踏みとどまるべきラインは見極め、自身の中に保持してもいる。憧れだけに暴走しないこの重心の低い美意識が、映画の品格を上げ、今見ても素晴らしく艶やかに感じられた。いやー、恐れ入りました(ぺこり) ビッグ・シティ 。

ビッグ・シティ 。
1963年/インド/131分
監督/脚色/音楽サタジット・レイ
撮影シュプラト・ミットロ
キャストマドビ・ムカージー
チャルラータ
1964年/インド/119分
監督/脚色/音楽サタジット・レイ
撮影シュプラト・ミットロ
キャストマドビ・ムカージー