■フォックスキャッチャー

不気味な映画である。背中に粘着性の強い物質がべっとり貼りついて、どうにもはがれないような薄気味の悪さが、ダラダラとしつこく続く。でもこの感触は嫌いじゃない。むしろ癖になるから困ったものだ(笑)。やはり劇場の暗闇は、いかがわしいものを浮かび上がらせ、この時とばかりに堪能させるための装置なのだと改めて認識した。そして映画では、善の単調さより、悪の面妖さを味わう方が断然愉快であることも― 。

“なぜ大財閥の御曹司は、オリンピックの金メダリストを殺したのか―”これは、1996年に実際に起きたレスリング五輪選手射殺事件を基にした映画『フォックスキャッチャー』のキャッチコピーだ。ただし、全米を震撼させた衝撃事件の全貌が今明かされるのか!などと色めき立つのは早合点。スキャンダル狙いの観客にとっては、詐欺紛いの一文である。何せここでは原因究明に時間を割かない。主要登場人物3人の背景も詳しく言及しない。映画の進行をそのまま事件に至るまでのプロセス(特に人間模様)と重ね、観客の目でしかと目撃させる映画なのだ。つまり“なぜ”の答えは目撃者個々の想像力次第。前号で紹介したワイズマン作品と同様の仕立てである。

開始早々観客は、スクリーンを覆い尽くす淀んだ空気に身震いするだろう。この極めて陰鬱な気配の主、マーク・シュルツは、ロス五輪で兄弟揃って金メダルに輝いたヒーローのはずだが、華やかさも朗らかさもない。そのうえ貧しい。およそアスリートとは思えぬ食事と生活環境は、どう解釈したらいいのか一瞬ひるむほどだが、競技への集中力だけは独りギンギンに張りつめていて、ライオンさえ素手で射止めかねないほどの闘争心を放っている。察するにマークは、根暗なレスリングおたく。偉業をなしても世間に注目されないのは、彼の視界に世間が映らないからではないか。唯一の社会接点は親代わりでもある兄のデイヴで、こちらは才能の高さはもちろん、気さくで面倒見が良く、誰からも慕われる人気者。つまり、極端に対照的な性格で絆の強い兄弟がドラマの要になるらしく、否が応でも悲劇の予感は高まる― 。

ある日この兄弟に、大富豪デュポン財団の御曹司ジョン・デュポンから破格の誘いが舞い込む。はい、想定外の口説きこそ、観客を最もとろけさす映画のマジックである。ファーストクラスのチケット、広大な屋敷への招待、高額の報酬提示、才能への賞賛と期待、そして何よりどデカイ未来図を提示して赤い絨毯へ導く「あしながおじさん」の登場に、観客はマークに成り代わって思わずウットリ。札束による価値提示と自尊心の高揚の、両方に酔いしれるというわけだ。社会に適応しにくいキャラだけど、研鑽を重ね一芸に秀でればいつかは報われる…よかったね、マーク!と勝手に拍手。映画ならではのトンデモ話は、派手に打ち上げてもらってこそナンボのものだ。ところが、兄のデイヴが迷うことなくアッサリ辞退するから面倒なことに―。レスリングも家族との暮らしも今の環境で十分幸せだからオマエ独りで行けよ… 悪気なく、こうかわされてしまうと弟はキツイ(観客は退屈)。意気込んでいた己の足元が、逆にブレ始めるから皮肉だ。こうして、金で動かない兄の存在によって、弟は金で買われた立場を意識せざるを得なくなり、兄の庇護を離れ、エリート・サラリーマン・レスリング選手の道を邁進するようになる。さて、ここからが画期的に面白い。ジョン・デュポンが、スポーツ振興をイメージ戦略に使う真っ当な企業スポンサーではないからだ。この「あしながおじさん」は金持ち過ぎた。もはや金で手に入れられないものは何もない男ゆえ、世界から称賛される人物になりたい!→オリンピックの舞台で世界を征服するチームの指導者になりたい!が目標設定。いわゆる名誉欲というやつだが、潤沢な資本を持っているがために妄想に歯止めがかからず、常軌を逸した執着をお披露目し、かなり笑える。「フォックスキャッチャー」と名付けたチームを設立し、最高の訓練環境を整え、そこに名ばかりのコーチとして君臨するのだが、実は笑ってばかりもいられない。妄想の根底にあるのが、高圧的な母を見返すための必死のチャイルド・プレイだからだ。むしろ母子の確執や家系の重圧を孤独に背負う男の裸の王様パフォーマンスに、深い憐れみを抱いてしまうのは私だけだはないだろう。ジョンに扮するスティーヴ・カレルの突き上げた顎のラインと虚ろな瞳が、掘れども掘れどもたどり着けない特権階級の底なしの虚無感を具現化し、とんでもないものを見てしまった感さえある。狂人と一言で片付けるのはちょっと惜しいような…。そして世間と馴染めないマークがジョンに急速に傾倒して行ったのも、夢や金を優先した結果というより、同類相憐れむという感情が無意識に働いたせいとも受け取れる。「一緒に偉大なことを成し遂げよう!」と一致団結するこの凸凹コンビは、承認欲求に憑りつかれた宙ぶらりんな十代の少年みたいだ。子供並の情緒年齢に留まっている者同士、ある意味、奇跡に近いめぐり合
わせにも見える。ポジに転べば『最強のふたり』のように格差を超えた甘い友情ドラマになる可能性もあったはずだが、結末は悲惨。歯止めの利かなくなったジョンの狂気が、兄デイヴへ向けて炸裂する― 。

大富豪の御曹司が転落に至る道筋には、「ざまあみろ!」と一言で片づけられない後味の悪さがあった。常に愛され、祝福される人生を真っ直ぐ歩んできたデイヴの存在は、周囲から孤立して無感情に生きてきたジョンの何かを刺激してしまったのかもしれない。マークも含めた三つ巴の破滅劇は、人生の輝度の差が激しくて、終わってみたら悪の面妖さより、遠吠えを聞かせる相手さえいない者たちの悲哀に気を取られてしまった。それにしても、祖国アメリカが切望するヒーロー像に盲目過ぎる者たちが陥る自滅のドラマは、今後も際限なく繰り返されるような気がしてならない。アメリカが「強者神話」の幕を降ろす日は、果たして来るのだろうか― 。

フォックスキャッチャー
2014年/アメリカ/カラー/135分
監督ベネット・ミラー
脚本E・マックス・フライ
撮影グリーグ・フレイザー
美術監督ジェス・ゴンコール
キャストスティーヴ・カレル
チャニング・テイタム
マーク・ラファロ

■ナショナル・ギャラリー

何かと手強いドキュメンタリー作家フレデリック・ワイズマンが、今回作品に選んだ舞台は、ロンドンの中心部にあるナショナル・ギャラリー。1824年に開設された英国初の国立美術館である。私にとっては、訪問経験も予備知識もない公共施設の探訪記。美術には関心が強い方だから、尚のことありがたい企画でもある。

 ワイズマン作品はいつもさり気なくはじまり、しかもエレガントな印象を残す。観客は一呼吸する間もなく、舞台の中央に独り立たされるのだが、そうした意識すら働かない。気負わなくていい代わりに、馴れ馴れしい身振りも見せないので、ここで何時間過ごそうとも“気づき”は自分次第。独断と偏見で観察させていただくまたとない機会が、冒頭から待ち受けるのだ。さて、本作のオープニングは、宵闇迫る美術館の外観、噴水、ライオン像のショットである。ロンドンの観光スポット・トラファルガー広場から見たハレの構えを、チラっとお披露目する。なるほど、戦いの勝利を記念する場所にあるようだ。そして次に所蔵絵画へ。ところが美術史の流れはかなり足早で、主役のはずの絵画の紹介はアッという間に進み、おもむろに館内の清掃シーンへつないでみせる。磨かれた床に映った名画の影と、観客が残した靴跡が重なり合い、美術館の日常性がスッと立ち上る仕立てだ。はい、ハレとケの混じり合いですね。これからの3時間、退屈する暇のないことは明らかである。
 
 ナレーションもテキストも音楽も用いないワイズマンの作風は、近年優れたドキュメンタリー映画とされる型の先駆けであり、すでに広く定着された趣がある。先にも記した通り、「ここで何時間過ごそうとも“気づき”は自分次第」。そもそも美術品を鑑賞して想像を膨らますだけでもかなりの集中力を要す作業だから、美術館に行って施設そのものの日常へ目を向けることなどまずないだろう。故に、脚色ゼロの複数の視点をヒントにしてこの施設の営みの輪郭が掴めたら、翻って美術品に対峙する際の得難い補助線になりうるかもしれない…。とまあ、教養増幅材料として見るだけでも楽しいわけだ。個性的な学芸員、ユニークなワークショップ、空中戦が繰り広げられる運営会議、高度な技術を身に着けた専門家たちの矜持など、裏方の日頃の労働姿勢を窺い知ると、俄然ハコの信頼&親密度は増す。そのうえ映画は、名画を前にしたときの鑑賞者たちの横顔を頻繁に差し挟み、ハコの日常から見たら観客もこの場所を織りなす一要素と捉えて指し示す。つまり、この場所にはとてつもない崇高な何かが存在し、人々はそれにあやかりたかったり、それを守り抜かねばならないという使命感に燃えたりするようだ。全員で「美」の下に集結している情景とでも言ったらいいのか…。ということで、人々をこれほどまでに惹き付けてやまない美術館の魅力の源泉は一体何なのかを、考えあぐねながら3時間を過ごしていた。

 偶然だが、美術史の舞台裏を描いた傑作―『印象派はこうして世界を征服した』((フィリップ・フック著 白水社)を読んでいたときに、本作を目にした。印象派絵画が、世界の富裕層に絶対的な価値基準となるまでを競売人の視点でスリリングに明かし、極めて興味深い一冊なのだが、本の中で英国は分が悪い。19世紀の絵画の世界において、印象主義はアカデミーに対抗する最も重要な抵抗運動だったが、英国は新しいものの見方をなかなか受容できず、相当イケテなかったようだ。ナショナル・ギャラリー理事会は1905年にドガの作品の寄贈を拒絶さえしたとか((爆)。コレクターのコレクションで始まった開かれた美術館との触れ込みだが、どうやら保守的で了見の狭いエピソードに事欠かない側面もあるらしい。でもまあ、考えようによってはそれも一つの“差別化”になり得る。公共施設ならではの様々な課題と摺合せながら、「美」という定義しづらい価値を射抜くのには、ある種の頑なさも必要なのだろう。時を経て変わらずに残り続ける部分と、しなやかに変わり移る部分の両方が浮び上がるとき、この施設の健全状態に触れられた気がする。

 個人的には、美術品を前にしたときの人々のリアクションを見るのが楽しかった。観客も裏方も、「美」に照らされるとこんなにも豊かな反応を見せるのね…。脳内で個々にどんな判断をしているかは不明だが、対象から確実に何かを受け取り、その情報量の多さは自分が日常的に使っている物差しでは対応できなくて、自動的に目盛を増やしているかのごとくだ。そして目盛が増えると、自分を取り囲む世界の解像度も上がる…。そう、美術館は化学反応を起こす理系の場なのかもしれない。そういえば、映画では化学反応によって体内会話が増幅し、演劇めいた空間が目の前に広がって見えるシーンも登場する。学芸員たちのレクチャータイムである。熱い思いを気持ち良さそうに放出する彼らは、絵画の補足役から独り歩きし、ほとんどパフォーマンスの領域に突入していた。ガマの油売りの口上みたいと言ったら叱られるか((笑)。ワニスの扱いに熱弁をふるう修復師・ラリーもかなりの芸人だったしな…。
「美」を前にすると人はタガを外す。これ以上の悦楽はないようだ。

ナショナル・ギャラリー 
~英国の至宝~

2014年/米・仏/カラー/181分
監督・編集・録音  フレデリック・ワイズマン
撮影          ジョン・デイヴィー
キャスト  ナショナル・ギャラリーのスタッフ他 

●つれつれづれづれ

まずは自己紹介から。高橋義隆と申します。この03マガジンで書くきっかけは、元々03fotosのサイトを管理していたことからの由縁となります。管理させていただくようになって、すでに10年ちょいになりますでしょうか…。いつから始めたのか、覚えていないくらいの時間になります。こう書いて改めて時の流れのはやさを実感するとともに、その頃から何も変わっていないような気がして少し反省します。そんな話はともかく、その後縁あって写真に関する文章を書くようになり、現在も某会に会員として参加し、インタビューをしたり、写真家さんや写真について書いたりしております。写真に関する文章を書くようになって、これも10年くらいになりますでしょうか…。ここでも改めて時の流れのはやさを再び実感、そして、やはり何も変わっていないことにも再度気付き、不甲斐ない自分に項垂れることしきりです…。そんな反省の弁をここに書くのが目的でなく、楢橋さんから執筆の機会と場をいただき、こうして書かせて貰っている次第ですが、実はこう書きながら何もテーマを設けずにここまで書いております。そう、ネタがないのです。ネタがないのによく書いてんなと呆れている読者もいるかもしれませんが、書いている本人が誰よりも一番呆れております。こうして誤魔化しながら書いておりますが、誤魔化したまま文字数を埋められたら…と密かな思惑を抱いておりますが、それはそれで随分失礼な奴だなと我ながら感じ入る次第です。ところで文章を書いてもお金になりませんね。いきなり話題が転じましたが、写真について細々とながら書いておりまして、これまでまとまった原稿料というものを貰ったことはありません…。ちょっと嘘つきました、少しは貰ったことがあります。しかし微々たるものです。別に原稿料の単価を上げてほしいと言っているわけではありません。世の中には原稿用紙に言葉を埋めてお金をもらい、生計を立てている人もいます。あ、今原稿用紙にペンを使って書く人は少ないでしょうね。パソコンでパチパチキーボードを打ちながら原稿を書く人が多数でしょう。それにしても書くことで生業を立てている人はすごいですね。どうなったらそうなれるのか、アドバイスを乞いたいところです。唐突ですが瀬戸内寂聴が小林秀雄、司馬遼太郎の3人で講演旅行に行ったとき、寂聴さんが小林秀雄に「先生は何で生計をたてているのでしょうか?」というような質問をしたところ、「骨董の目利きだよ」と答えられたそうです。小林秀雄ですら原稿だけでは食べていけず、骨董の目利きで生業を立てていたとは、なんともこの国が知性を大事にしない姿勢が伺えますね。それにしても骨董の目利きって、具体的に何をしていたのでしょうか? それに骨董の目利きという仕事に昔は需要はあったのでしょうか…。骨董を扱うという時点で、すでに生計が成り立たないような気がしますが、まあそのあたりは気にしないようにします。ちなみに小林秀雄は私が好んで読む批評家の1人でありまして、自分が写真について文章を書くときに、意識していた文章は小林秀雄でした。しかしこの人の文章、晦渋でわかりにくいです。でも『ゴッホの手紙』は好きです。私が所有しているのは角川文庫版です。すでに絶版ですね。この本の終わり近くのページはゴッホの手紙の引用をしまくって、自分が書くことはもうないようなことを書いて終わっておりました。いいですね。ゴッホについていくら書こうが、最終的にはゴッホ本人の手紙を引用した方が、よっぽどゴッホの批評になっているということでしょうか。そんな小林秀雄の潔い態度はまっとうです。僭越ながら自分は写真もしくは写真家について文章を書くことがありますが、写真家自身が語る言葉だけがあれば批評はいらいんじゃないか…と思ったりしています。極端でしょうか? あるいはお前に地頭の理解力と文章の技術がないと言われれば身も蓋もありませんが、少なくとも写真に関しては批評は成り立たないという基本的な姿勢があったりします。ここで『ゴッホの手紙』から引用しようかなと思ったりしましたが、肝心の本が見たりません。探しておきます。ですので、中途半端な感じですが、今回はここまでにしておきます。

◆03FOTOSとサイトリニューアルについて

 1990年にギャラリーとして始めた03FOTOS(ゼロサンフォトス)を、2001年にphotographers’ gallery への加入を機に閉じた。その後pgをやめたあとはサイトだけ続けてきたのだが、このたび久しぶりにリニューアルすることにした。
 1990年頃は今ほど写真のギャラリーもなく、とりわけ自主ギャラリーのあり方は過渡期だったように思う。70年代の自主ギャラリーブームは去り、森山大道さんが1987年に始めたROOM 801(のちのFoto Daido)に端を発したプレイスMとギャラリー街道があるくらいだった。他にもあったのかもしれないけれど(正確には覚えていないのだけど、渋谷のさくら組や目黒の方にもあった気がするが、90年になる前には閉じたのではなかったか)、なにせ世間が狭く見渡していなかった。
 自主ギャラリーだから自分が出ていくことが最優先、つまりは自分が写真展をするための場所だった。年に多いときで4、5回、さらに二人展などを入れた時期もあったが、展示期間はせいぜい1週間弱(連続して開けられる日が6日間だった)なので、他の時間は暗室をしたり、希望者に展示してもらったりしていた。いまなら6日間の展示なんて絶対にやりたくないけれど、当時は戦略も計画も予定さえもあまりなく、撮っては出し撮っては出しというサイクルが必要だったのだろう。いま当時のプリントを見ても、いつの展示に掛けたものか定かではない。会場写真と付けあわせる時間と気力は当分ないだろうし、その必要性もないのだろう。
 pgへの加入を機に03を閉じることは自然なことだった。この経緯については『photographers’ galley press no.1』に「ゼロサンフォトスからフォトグラファーズギャラリーへ」という短文を書いているので省略するが、3年在籍したpgをやめたあと、すぐにではないにせよ03FOTOSを再開ということにはならなかった。すでに倉庫と化していて物理的に不可能に近いということもあったが(当然場所を移してという選択肢だってあったはずだ)声がかかったらやれるところでやればいいという境地に傾いていたこともある。生来人と接するのが不得手ということも大きく、年を重ねるごとにその気分が増長していき、場所をリアルからサイトへ移せばいいのではないか、人と会わなくても発信はできると安直に考えたのだと想像する。
 いつサイトを立ち上げたのか定かではないが(たぶん2003年前後だと思われる)いつでも発信できる状態は、現実の多忙さにいとも簡単に追いやられるのを日々体感し、今に至るまで細々と、たまにアップするのはニュースだったりと不活発このうえない状態だったのを、このたび一新しようと試みているわけである。向き不向きでいえば向いていないのは承知していて、では向いてないなりにやってみようじゃないかという発想が芽生え、さらに他人を巻き込んでやらざるを得なくしようという、取りあえず万全の態勢をしいた。
 リニューアルに際して読み物を入れたいと思い声をかけたのは、映画評を書き続け、「かよこ新聞」を発行している服部かよこさん。2013年の展示の際にご来場いただき、その後文通のような形で交流をしていたのだけど、彼女の映画評を読むと、映画が見たくなるという副作用が、このところ私を映画館に連れて行く。私にしてみれば、映画館でこんなに映画を見た年は学生時代以来ではないかと思う。もう一人、高橋義隆さんは長年03サイトの管理者であり、写真関係誌、カメラ雑誌などでよく執筆もしている方である。いろんな文章が書ける人なので、何が出てくるのか楽しみにしている。