ちょうど1年ほどまえ(2015年12月上旬)、ベトナムから帰国して帰宅した瞬間に電話が鳴ったので、しかもそれがツァイトフォトサロンの石原さんだったので、よく覚えているのだが、ふだんから携帯もろくに着信に気づかないのに、そのタイミングの絶妙さに南国帰りのムードは弾けとび、師走の東京モードに戻されて背筋がピンと伸びた。用件は、預かっている猫の写真、これぼくの部屋に飾りたいから譲ってくれないか、ということだった。2年ほど前に、初期のモノクロをまとめて見せて欲しいと言われ、そのまま預けていたのだった。ネコ、と言われても、瞬時には思いつかなかったのだけど、というより複数のネコ写真があるのではないかと思ったのだ。その後、プリントを撮影した画像が送られてきて頭の中でいちばんに思い浮かべた一枚と一致したものの、当時は毎回ネコを展示するくらいによく撮っていた。
「春は曙」というタイトルで3回連続の個展をやったときのプリントだった。1989年当時のいわゆるヴィンテージというもので、仕舞いっ放しになっていたものをセレクトするのに開けたときには、その不器用さというかヘタさというか、我ながら呆れてしまったものである。とはいえ、紙が現在入手可能なものと全然違うし、ネガの濃さも相当で、どうあがいても今となっては焼きようがない出来の代物だった。ヴィンテージという言葉くらいは知っていたものの、価格の設定などまともに自分でしたこともなかったし、なんとなくバラバラにしたくなかったこともあって、即座には返事することはできなくて、結局そのまま気にしていたものの値付けはおろか、諾否すらはっきりさせることもしなかったのでウヤムヤになってしまったと思っていた。暮れに石原さんが入院したことを知ったのは、年が明けてからだった。思えばその電話のときの声も、かすれ気味で力のないものではあったけれど、口調がいつも通りだし前向きさがにじみ出ていたので、あまり気には止めなかった。
イルテンポも含めると片手では足りないくらいの個展をさせていただいた。写真で食べていくなどということが想像だにできなかった時代に、プリントをいとも簡単にお金に換えていくように見えた石原さんはマジシャンのようでもあった。自主ギャラリー時代にも、写真を購入してくれる奇特な方がゼロではなかったものの、値段の付け方が違っていた。写真ってこんなふうに売っていいんだと認識を新たにもした。それまでの写真とのスタンスが変わるわけではなかったが、別のスタンスがあり、いろんな立場を駆使してみなやっていっていることを知れたのも大きかった。どうせ1回か2回でお終いだろうと思っていたら、けっこう続いて、イルテンポとツァイトフォトの同時展示の予定が決まりかけていたとき、イルテンポの和子さんが倒れられたので、それは叶わなかったが、その時の閉廊の素早さは印象に残っている。
書き出せばキリがないのだけれど、こんな拙い文章のきれぎれの断章よりも遥かに石原さんの声が甦ってくるような本が出版されたので、その紹介を少し。ツァイトのスタッフを一時期やっておられた粟生田弓さんが著した『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト•フォト•サロン』(小学館、2016)。事実よりも真実が迫ってくる。と書くと語弊があるが(内容が事実でないというのではない)、石原さんの語りを元にしているため、どうしても記憶違いとか思い出せないこととかもあったろうことは容易く想像できる。それでも相当に準備をしてインタビューした(された)と推察するが、また石原さん特有のブラウ(というか洒落、ダンディさか)までが再現されていて、そのあたりへの注意深さも怠りなく、とくに前半のパリを中心としたあたり、深く聞き、丹念に甦らせ、さらに裏付けて、西洋写真の入口ともいえた時代の雰囲気を伝えている。