2025年のカンヌでのグランプリを皮切りに、賞取レースで何かと話題の「センチメンタル・バリュ―」。ヨアキム・トリアー監督が、活動拠点のオスロを舞台に描いた、父と娘の愛憎ドラマである。もしあなたが、自身の来し方を振り返る際に、母より父の影響下にあったと思う女の人で、”父の娘”を自覚するタイプなら、より興味深くながめることになるだろう。家族観や生活環境の違いも含め、鑑賞後誰かと話したくなる一本でもある。
映画は、豊かな自然と歴史に縁どられた美しいオスロの景観を、スルスルと一筆書きにスケッチして始まり、嫌みなくらい”ザ・北欧映画”している。マクロなまなざしの次には、赤い窓枠が印象的な一軒の古い屋敷へイッキににじり寄り、ヒロインの高祖父が建てたという家の横顔が手際よくつづられる。そう、登場人物より前に、家の履歴書を通じて一族を物語って見せる仕立て。そのうえ、うっすらとホラーの香りさえまとわせながら、歪んだ負の家族史を―だ。
いよいよヒロイン登場。ノーラは、舞台俳優として躍進中の30代独身女性。夫と息子と穏やかに暮らす歴史学者の妹アグネスとは、何かと対照的だが、成人した今も絆は深く、日常的に行き来し合う間柄である。喧嘩の絶えない両親のもとで、身を堅くして暮らした体験が、姉妹の関係性を強めたのかもしれない。
ある日、離婚後も屋敷を住居兼診療所にしていたセラピストの母が亡くなった。姉妹主催の下、思い出深い実家で、親しかった人々が集まり、亡き人を偲ぶ時間が穏やかに繰り広げられるのだが…そこへ突然珍客来場。姉妹が幼い頃に家を出て以来、20年以上も音信不通だった父親のグスタフが、しれーっと弔問にやって来たのだ。
はい、屋敷の履歴から始まり、一族にまつわる因縁、両親の離婚に、弔いの儀式、そして親子の再会と、幕開けから家族ドラマで起こりうるあらゆる情報が圧縮して提示され、早くもお腹一杯。いや、数世代に渡る回想シーンのコラージュなど、センスも手際もテンポもよくて、映画的振る舞いには感心させられるのだが、単身で生きている人間には、家族の時間の総和そのものが重くて―💦特に、家族を捨てて逃げた父に向い、屈託を封じ込めながら「ハーイ、パパ!」と声をかけるノーラの仮面ぶりがやたら気になり、思わず手汗をかいた。へっ?いくら形式とはいえ、ハグいっぱつで20年をショートカットしてしまっていいのか?…と。どうでもいいけど、我々は、身体接触なしに、沈黙とお辞儀を儀礼とする文化に生まれて、ホント助かったかも💦
そんなお騒がせな父は世界的な映画監督。どうやら、ノーラを主演に宛て書きした脚本で、15年ぶりの新作を撮ろうと出演依頼に現れたらしい。ところが娘は、脚本を見ようともしない。お義理でハグはしても、父親としても同じ表現者としても、断固として受け入れ拒否姿勢を崩さない。映画人VS演劇人の形を取りつつ、激しくバトる親子の構図は、似た者同士の子どもじみたオレさま合戦に過ぎないようにも映るのだが―。
映画はここで変化球を投じる。大胆にもグスタフをハリウッドの若手人気スター、レイチェルと意気投合させ、娘の代役に抜擢させるのだ。またもや、オイオイと突っ込みたくなる急展開なのだが💦、フランスの映画祭で回顧上映が催されるレベルの映画作家に、今を時めく女優が「憧れの監督です!」と接近してくるケースはあるあるだろう。それに、いくら長く新作が撮れないかつての巨匠でも、夢物語を創る業界ならではの博打めいた流れになるのは、少なからずリアリティがある。そしてとどめは、夜明けの海辺(やっぱカンヌか?)で繰り広げられる、映画人たちのゴージャスな酔談スケッチ!ここだけ別の映画になってて、笑ったけどね。
さて、スター女優とめぐりあい、Netflixが製作に乗り出すことになったグスタフの新作は、イッキに動き始める。幼い頃に自殺した監督の母親をめぐる物語を、実際に一族が暮らした屋敷を使って撮るため、チームを率いてオスロに舞い戻った。だが、そう聞いて面白くないのはノーラだ。思い出の詰まった実家が、母の遺品を片付ける端から、父によって我が物顔で占拠されるわけで、そりゃあ怒りも再燃するだろう。しかも自分が断った作品に、米国人スターがあっさり起用されたと知って、モヤモヤが抑えられない。
話は前後するが、映画の冒頭で、ノーラの役者としてのキャリアを見せる、印象的なシーンが登場する。大舞台の初日。主役のノーラが幕開け直前の極度の緊張に耐えられず、その場から逃げ出そうとするのを、スタッフが総出で引き留め、何とか舞台に押し戻すという壮絶なシーンだ。結果的には、ひとたび舞台に上がれば先の壮絶な攻防を役に昇華し、聴衆の喝采を浴びるわけだが、なぜだかキラキラの余韻がたなびかない。素朴に「この人、役者の仕事に向いてないのでは?」と思ってしまう。
そう、ノーラは何かと自己肯定感が低く、ダメ人間だと思い込んでいる。人付き合いが苦手で家庭を作れず、父親に捨てられたダメージが今も尾を引いているのだ。バランスの悪い自分を持て余しながら、それでも何とか、踏みとどまって生きてこられたのは、妹一家の支えが大きい。とはいえ、役者としても人間としても、そろそろ正念場。卑下するばかりでは自身を生きられない。それは、肉体的にも精神的にも老いが忍び込み始めた父も同じだ。自分のトラウマと逃げてきた家族がテーマの新作を撮り切らないと、自由に拘泥した末に、絶望で幕を閉じる人生になりかねないからね。要はふたりとも崖っぷちを自覚しているのだ。
正直言って昔から、ベルイマン映画の流れを汲む家族ガチンコドラマが、面倒臭くて苦手。人生なんてもんは、1回だけで充分。トラウマを掘り起し、追い詰めあったところで、疲労しか残らない。それよりは、1回きりの時間にいかに動くかじゃないのか。本作はラストにそれぞれが動いた軌跡を想像させ、後味がイイ。
父はレイチェルに降板を願い出て、屋敷を売った自己資金を元手に、改めて常連スタッフと新作の製作に入った。そしてノーラは、妹の勧めで父の脚本を読み、正式に主演を承諾。撮影場所は、実家を模したセットになったけど、家の呪縛から解放されたとも受け取れる。愛着ってヤツは盛りすぎると動けなくなるから。
さあ、これで念願通り、グスタフ・ボルグ監督の復帰作が公開される日も近いだろう。作品の出来栄えは知らんけど―。
2025年/133分/ノルウェー
監督・脚本/ヨアキム・トリアー
脚本/エスキル・フォクト
撮影/キャスパー・トゥクセン
出演/レナーテ・レインスヴェ ステラン・スカルスガルド エル・ファニングイ