◾️『自然は君に何を語るのか』

「自然は君に何を語るのか」は、 ホン・サンスが2025年に発表した最新作。なんだか堅苦しいような…青臭いような…意味深なタイトルだ。一方で、哲学的命題をうっちゃり、茶化しているようなニュアンスも漂ってこないか?―何せデビュー30周年のこの作家は、映画界においてまごうことなき巨匠のポジションを築きながら、キャリアを積めば積むほど制作所帯はミニマムになり、今では監督・脚本・製作・撮影・編集・音楽までスルスルと一人でこなし、ハイペースで作品を発表し続けている。重鎮とは真逆の構え。自主映画を作る学生みたいだ(笑)。

付き合って3年になるドンファとジュニは、傍目には落ち着いた雰囲気の恋人同士。ある日ドンファは、ジュニを郊外にある実家まで送り届けたときに、高台に建つ彼女の家を初めて目にする。その立派さにマジか!とばかり驚くが、カメラが捉え続けるのは、ドンファと彼の背後をたまたま走り過ぎる通行車ばかりで、我々の眼に屋敷の映像は一向に届かない。親孝行なパパが祖母のために自らデザインした大邸宅とやらを、どうにかして覗きたいのだが…うーん、じれったい。早くもホン・サンスのはぐらかし劇場の幕開けだ。

ママも仕事に出掛けて不在だし、ジュニのその場の思いつきで、お茶でも飲んで行く?という流れになったふたり。ナイス!これでようやく我々も大邸宅が見られるぞ~♪とワクワクしたのはいいが、坂を登って車を駐車場に入れる瞬間、ジュニのパパがひょっこり現れるではないか!見たいのは彼女んちのファザードなのに、我々の思惑を飛び越し、いきなり交際相手の父親をぶっこんできた。も~タマラン。笑うしかない。だって3年も付き合っているのに、ドンファが彼女の家族と会うのは今日が初めて。心の準備ゼロのまま、自己紹介タイムに入ってしまう気まずさに、苦笑いと同情心が沸き起こる。

微妙な空気が流れる中、話題はドンファ愛用の古めかしい中古車に移るが、パパの褒めそやしぶりは単なる物珍しさだけで、いくら?運転していい?と、本当に乗り込んで走らせるのにはまたもや爆笑だ。娘の彼氏を中古車ディーラー扱いか?試乗サービスに来たわけじゃないんだから~。そう、見たかったはずのものが、素知らぬ顔ですり替わって進み、化け続けるから油断ならない。しかもホン・サンスのはぐらかし劇場が恐ろしいのは、何がどれだけズレて行くのか、皆目見当がつかない点なのだ。おそらくあの意味深で曖昧なタイトル付けも、映画の行方を見えなくするための仕掛けに違いない。ちなみにここまでで第一章。道のりは八章まで続くが、果たしてドンファがもつか…先が思いやられる。

さて、居間に通されたドンファが次に遭遇するのは、人ではなく(笑)ジュニの姉が奏でる調子はずれの琴の音である。すでにジュニから、メンタルに問題があって実家で静養中の姉ちゃんの存在は聞かされていたが、広い屋敷内で鳴り響く奇妙な演奏は、姿が見えない分、かえってネガティブ想像が膨らみ、不気味で可笑しい。

ここでパパが、煙草を吸おうとドンファを自慢の庭へ連れ出す。さながら男同士水入らずでのマウント取りタイムである。庭と言っても山を開拓した敷地は広大で、獰猛な番犬に鶏小屋、パパの実母を弔った樹木まであり、山道を案内されながら恋人一家のファミリー・ヒストリー情報が、様々な角度から更新されて行く。パパのやたら身内贔屓な発言は引っかかるし、臆面もなく自称”詩人”を気取り、ジュニへの愛情を口にするドンファの軽さにも呆れるものの、見晴し抜群な頂上に着けば、自然を背景にマッコリと煙草ですっかり距離は縮まり、初対面にしてはまずまずの滑り出しだ。「ママが戻ったら、夕飯を一緒にどう?」と誘われるのもごもっとも。

続きまして、夕飯までのつなぎに登場するのが、先ほどの琴の妖精、ジュニの姉ちゃんだ。姉を交えた3人は、息抜きがてらにランチ&プチ名所観光へ繰り出し、ざっくばらんな若者タイムへシフトする。ところがこの姉ちゃん、おっとりした印象とは異なり、なかなかのツワモノ。なぜ髭?なぜ時代遅れの車?なぜフリーター?妹のどこがいいの?と、要所要所で突っ込みまくる。ドンファはパパとの対話同様、青臭いこだわりを曲げずに親の援助ナシで清貧に自立しているじぶんの哲学を説くが、どうも姉ちゃんにその貧乏臭いご高説はササらない。メンタル療養中という前情報が、かえってドンファの脇を甘くしたように思うが、本人はいたってのんきで、姉ちゃんの値踏みや皮肉にまるで気づいていなさそう…。こうして映画は、一同が介する晩餐のフィナーレへ。

満を持しての大団円。最後にドンファと対峙するのは、詩をライフワークとするママだ。まずはドンファに、じぶんちの鶏(!)で作った凝った料理をふるまい、「お婿さんみたい~」などと持ち上げ、終始朗らかなホスト役になり切って場を和ませる。ドンファからも、ママの書く詩に敬意が示され、親密度は高まる一方だ。さらにパパが秘蔵の酒をどんどん持ち込めば、宴の席は絶好調♪まるであらかじめ予定されていた初顔合わせの日のごとく、食卓には適度な配慮とはにかみが漂って見える。

ところが日が沈み、夜も更ける頃になると、宴のトーンが徐々に変化するから気が気でない。やっぱり中古車より新車の方が安全だ、お金や豊かさも大切、著名な弁護士の父親に支援してもらえば?…などと、ドンファに対するパパ・ママ・姉の本音が見境なく噴出し、食卓に不穏な空気が立ちのぼり始めるではないか。ドンファも、よせばいいのにミニマリストのプライドに固執し、徹底抗戦。挙句の果てには、じぶんの詩を暗唱して実力を見せつけるつもりが、むしろ独りよがりポエマーを決定づける結果となり…ああ無情だ。見かねたジェニが泥酔したドンファを連れ出し、ようようお開きとなるものの、覆水盆に返らず―。

これは、やっちまった話を笑うだけの映画ではない。偶然の訪問から、自然鑑賞&平和外交を経て、悪魔のいけにえ並みの恐怖体験へ、我々をはぐらかしながら一瞬たりとも止まることなく刻々と変化し続けるホン・サンスの緻密な設計に唖然とする。だって、それこそが自然を含めた我々の生の一回性の現実そのものなのだから―。もはや映画という虚構でないと、たまさかゆえの生のリアリティを感じる機会は持てないのかもしれない。

鳥のさえずりが聞こえる早朝、酔いが覚めたドンファは恋人に「あとはよろしく…」と告げ、ほうほうの体で独り帰路につく。ところが途中で愛車が故障し、我らが主人公はひとり呟く―「この車、売ろうかな…」と。最後の最後まで転げ落ちるエンディングが、ヒッチコックの「鳥」以上に恐ろしい💦 傑作。

2025年/108分/韓国

監督・脚本・製作・撮影・編集・音楽/ホン・サンス

出演/ハ・ソングク クォン・ヘヒョ チョ・ユニ カン・ソイ パク・ミソ