映画館通いを続けて半世紀以上になるが、入場の際にお菓子を手渡されたのは、今回が初めてだ。何だかわからぬまま、映画が始まる前に食べてしまおうと開封したら、餃子の皮をねじったような奇妙な形状の煎餅で、ガリッと噛むと中からおみくじが出てきた。「あなたはもう、原石ではなく、宝石。」と書かれている。口の中に広がる煎餅の懐かしく素朴な味と、どう解釈するべきか一瞬戸惑う不思議なメッセージをかみしめるうち、映画はゆるりと始まった―。
幕開けの舞台となるのは、女性ばかりが働く小さな食品工場。もっとも、労働現場の割には流れている時間はユルく、モノクロ&スタンダード画面のせいか、寓話の趣すら漂って見える。次に、できあがった商品を袋詰めにしている作業がスクリーンに映し出されたとき、「もしかして、さっき食べた煎餅では?」と、遅まきながら気づいた。どうやらあれが、映画の邦題にもなっているフォーチュンクッキーらしい。図らずも私は、現物配付によって、すでに映画内世界とリアルに結びついていたってわけだ。おそるべし宣材力!
さて、袋詰め作業員の1人、ドニアが本作のヒロインである。顔つきがイイ。自分の頭で考えようとしている印象。何より、若さという無限の可能性に生きる人間の眩しさがある。―が、おしゃべりな同僚ジョアンナにムダ話を振られても、リアクションが乏しく、ちょっと気になる。無視する気も皮肉るつもりもなく、むしろ丁寧に耳を傾けている様子だが、話は弾まず、表情も変わらない。大学出にこの仕事は単調?有り余る若さの渦中にいながら、本人がその恩恵に最も無自覚というのはありがちな話でもあるが―。
しかし心配は続く。ドニアは慢性的な不眠症らしい。夜中に星を見上げながら、不眠症つながりの隣人に精神科に通いたいと打ち明けるのには軽く驚いた。確かに、若くても健康的に見えても、背負いきれないものを抱えていることは少なくない。ドニアは幸運にも、隣人が譲ってくれた予約を使い、精神科のカウンセリングを受診できるようになった。なるほど、医者との対話によって、我々は彼女の背景を徐々に知ることになるわけか。うまい運びだ。
祖国アフガニスタンの米軍基地で通訳をしていたが、軍の完全撤退&タリバンの復権によって、アメリカへ単身で逃れ着いたこと。故郷に残した家族は裏切り者のレッテルを貼られ、苦境に立たされていること。友人たちが殺される中、なんとか生き延び、特別移民ビザが下りて8カ月前からフリーモントに住んでいることなど…衝撃の事実が次々と明かされる。
ただ本人は医者を前にしても、饒舌になるでも、苦痛で言葉を詰まらせるでもなく、表情を変えず、聞かれたことに落ち着いて淡々と答えるだけ。穏やかな語りのリズムと内容のあまりの落差にツイ笑ってしまうが、そりゃあこれほど過酷な体験をしたなら、感情が追いつけなくもなるだろう。ドニアは、自分の過去にも未来にも焦点が合わせられず、宙吊りになったままのようだ。
映画の舞台 “フリーモント”は、カリフォルニア州のベイエリアにある街で映画の原題にもなっている。人種も国籍も多様な人々が住んでいて、北米最大のアフガン人のコミュニティもある。ドニアはここへたどり着いた。ただし、移民居住区での彼女の暮らしは正直言ってビミョー💦同胞たちも皆、それぞれに重い現実を背負って生きているようだが、連帯ムードはなく、閉塞感が漂っている。まあ、それだけ祖国への絶望が深く、拠り所が持てないのだろう。ドニアの行動範囲も、勤務先のクッキー工場と、行きつけのアフガン食堂と、精神科の3か所を行き来するだけだし…。このままでは歌を忘れた籠の中のカナリアだ。
ある日ドニアは、工場のオーナーからクッキーの中に入れるおみくじ用のフォーチュンメッセージを書く仕事を任される。いきなりコピーライターに配置換えだ(笑)。あらゆる人を対象に、さりげなく前向きなメッセージを紡ぎ出すのは、自身の人生を想像できないと難しい。自分独りが生き残ったことに罪悪感を感じ、幸福を遠ざけてきたドニアにはある種の試練だが、これを機に彼女の意識はゆっくり変化する。
オーナーは執筆への心構えを説き、医者は治療に役立つと背中を押し、ジョアンナはカラオケで美声を贈り、食堂のオヤジは「最後に胸がときめいたのはいつだ?」とハッパをかける…。そう、みんなが遠巻きに彼女を応援している。何よりドニア自身が他者からの声援に気づいたことで、自分も幸せになりたい!と目覚め始めるのだった。
そんな中、ドニアはフトした思いつきから、自分の名前と電話番号をメッセージに書き込み、こっそりクッキーに忍び込ませてみた。やるなあ、なかなか大胆じゃないか!すると早々に、メッセージを読んだ相手から連絡が届き、迷いながらも会いに行くことを決意する。貯金を切り崩して旅の計画を立て、着て行くものを選び、鏡の前で笑顔の練習♬ジョアンナのお母さんから借りた車に乗って、初めてフリーモントの外へ旅立つ…可能性の大海へ一歩踏み出すスケッチの、武者震い感がたまらない。
映画は最後の最後に至って、それまでと全く違うテイストの顔つきに変わり、我々を驚かせる。向かった先には運命の人は現れず、オーナーの妻が謀った“鹿の置物”があるだけ💦 ところが目的地の手前に、とびっきり美しいサプライズをサラリと用意するではないか。
旅の途中、ドニアはたまたまオイルチェックに立ち寄った自動車工場で整備士の青年に対応してもらい、隣接するダイナーでも再び顔を合わせる。ブラインド越しに光が差し込む窓際の、一つ離れた席に向かい合い、不器用に言葉を交わす見知らぬ男女。長い沈黙に私の方が照れたりなんかして…。これぞ本当の意味での“ブラインドデート”だと、思わずツッコんだ(笑)。しかも整備士を演じるのは、今を時めくジェレミー・アレン・ホワイト。最短最速で恋愛映画に豹変しても何の問題もなしだ。
「あとでコーヒー飲みに来ない?」と誘われ、事務所の扉を開けるドニアは、すでに8カ月前の彼女とは別人である。いつもどこか遠い目をしていた彼女の瞳の先に、今は自分から近づいて言葉を交わしたい対象が存在するのだ。凄惨な記憶や贖罪の思いはこの先も消せはしないが、世界は広い。自由に生きて幸福を追い求めたいと願う気持ちに、もうウソは付けない。自動車工場の裏庭に佇み、列車の音を聴きながら吹き抜ける風を感じるドニアを、引きで捉えた幕切れの抒情性が素晴らしい。今夜から彼女に睡眠薬は不要だろう。命短し恋せよ乙女。
2023年/91分/米
監督・脚本/ ババク・ジャラリ
脚本/カロリーナ・カヴァリ
出演 アナイタ・ワリ・ザダ グレッグ・ターキントン ジェレミー・アレン・ホワイト