香港映画『年少日記』は、ニック・チェク監督のデビュー作にして、いきなり数々の賞に輝いたという注目の一本。ここのところずっと、2時間越えの映画が続いていたから、95分という上映時間にも好感が持てて、公開直後に速攻で劇場へ向かった。
ところが、日記➡回顧モノと安直に構えていたら、幕開けから構成が複雑で、ボケボケしていられない。けして難しくはないのだが、注意深く追いかけていないと、物語の背骨が捉えられなくなりそう…。予想外に集中力を要す作品なのだ。舐めたらアカンね💦
映画の冒頭、可愛らしい顔をした小学生の男の子がビルの屋上に駆け上がり、スッと姿を消す。飛び降りか?と肝を冷やしていると、逆に大声を出しながら自身を叱咤激励し始めるではないか…なんだか奇妙な光景。続いて、高校生男子たちのいじめの現場と、成人男性が浮かない表情で通勤するスケッチが同時進行する。どうやら男性は高校で教鞭をとるチェン先生で、いじめられていた男子生徒の担任らしい。私生活でも結婚が破綻したばかりで、お疲れの様子。さらに放課後、チェン先生の教室のゴミ箱の中から自殺をほのめかす遺書が見つかり、これが職員会議で問題に―。
そう、始まってすぐに緊張を強いられる大きな要因は、4つもの異なるエピソードがパタパタと綴られるのに、映画の主人公が一体誰なのか、一向につかめない点にある。
小学生の男の子なのか、いじめの渦中にいる高校生男子なのか、チェン先生なのか、遺書の書き手か…。そもそも時間軸は1本なのか、それとも複数なのか…見通せない。ただ、どのエピソードも学校や学生生活が背景になっているので、観客が映画につなぎ止められるのは間違いない。取り急ぎ参照可能な共通体験があると、想像力は発動するものだからー。
次に映画はチェン先生にフォーカス。先生は、遺書に書かれた「私はどうでもいい存在だ」というフレーズが頭から離れなくなっていて、遺書の筆跡をもとに、書き手の手がかりをつかもうと捜索に乗り出す。と同時に、そのフレーズから自身の幼い頃の記憶が蘇った先生は、押入れから一冊の日記帳を探し出し、読み始める―。
さて4つのエピソードが、ここで一旦、遺書の書き手とチェン先生の記憶に絞られた。そして早くもタイトル通り、日記が登場。チェン先生の子供時代の回想シーンへ移行する。日記の書き手であり回想の中の主人公は、何と冒頭に登場した愛らしい少年ヤウギツではないか。なるほど、映画は冒頭から回想を織り込んだ仕立てになっていたわけだ。
ヤウギツは、両親と弟の4人家族。運転手や家政婦が常駐し、学校に多額な寄付もする富裕層のお坊ちゃまくんである。が、弁護士の父は家父長制の権化のような暴君で、勉強もピアノも優秀な弟のヤウジョンと比べては兄のヤウギツを罵倒し、体罰を繰り返す。服従を強いられている母は、ヤウギツをフォローするどころか保身に走り、弟は要領の悪い兄から距離を置く。家族の一員でありながら、ヤウギツは完全アウェイ状態だ。
いやアウェイどころか、安心であるはずの家庭内で、いじめの構図ができあがっているのには言葉を失くす。しかも切ないことに、そんな理不尽な目にあってもヤウギツは、まっすぐ過ぎて怖いほど日記の中で絶えず努力不足を反省し、家族みんなに認めてもらえ、理想の大人になれるようにと頑張り宣言を繰り返す…。いやいや、本当に小学生?家族の中でキミが一番大人では?と思わずにいられない。
そんな健気なヤウギツの心の友は、お気に入りの漫画の主人公と、話し相手のマペット人形と、ピアノの家庭教師だけ。いつも優しく寄り添ってくれる彼女に「弟と同じじゃなくてもいいんだよ」と慰められると、ボクもいつかこんな先生になりたい!と感化され、日記の中でささやかな希望を見出すことも…。なんだかイチイチ涙ぐましくて、嫌な予感が渦巻くばかり。
このあたりになると、映画の主人公は、概ねチェン先生なのだろうなあ…、幼い頃に深く傷ついた経験があったのね…と、見守るようになる。やがて遺書の発覚をきっかけに、チェン先生の中で変化が起きる。教え子たちに自分から歩み寄り、破綻した結婚生活の記憶とも再び向き合うようになる。特に本作が巧みなのは、チェン先生の現在進行形の問題を語る際に、彼の回想シーンを因果に直結させず差し挟む点だ。そのうえ絶えず新しい登場人物を過去の記憶から送り込み、あえて遠回りしながら描き進める。当然複雑にはなるが、現在と複数の人々と紡いだ過去の時間とを抱き合わせて語るがゆえに、単なる一人の人間の回想録に閉じず、映画に社会的な視座が加わって映るのだ。
ところが、ヤウギツの背負う運命は想像以上に惨酷で、回想シーンであってもなぜか「すでに終わったこと」扱いし切れない緊張感が続く。進級試験に失敗し、大好きな宝物を没収され、父からはもちろん、助け舟を求めた弟にも見放されて、追い詰められ方がハンパない。終には絶望の果て、みんなの期待に沿えない自分を自らの意思で葬り去ってしまうのだ―。
思わず「えっ!」と声を上げた。ヤウギツ=幼い頃のチェン先生ではなかったのか!先生が弟の方だったなんて!どこで見誤り、思い込み違いをしてしまったのだろう…。オープニングの飛び降りもどきがまさか本当に起こるとは…。ここには、不意に梯子を外され、宙づりにされるという映画鑑賞の醍醐味がしかと設計されている。だが、鮮やかなギミックはあくまで呼び水で、秘密の解明が映画の狙いではない。終盤では、兄が消え去った後に贖罪に苦悩する弟が、今度こそ閉じずに世界とどう向き合い生きて行くのかが描かれ、さながらチェン先生が綴る弟日記のような仕立てになっているのだ。
そこには、後悔に苛まれながら死期の迫る父や、自己開示する勇気が持てず傷つけてしまった妻、そして教え子たちも登場し、彼らとの双方向の対話が積み重ねられ、チェン先生は自身の手で過去の痛みから解き放たれてゆく…。そしてもちろん最後は兄との対面だ。屋上にあがり、兄の幻影に花を手向けた弟の人生は、ここからもう一度動き出すのだ―。
2023年/95分/香港
監督/ ニック・チェク
出演 ロー・ジャンイップ ロナルド・チェン ショーン・ウォン