2022年制作のルーマニア映画、『おんどりの鳴く前に』のチラシには、ピンボケの鶏と、死体を連想させる血糊のシーツがクローズUP。インパクトは大だが、煽り方は泥臭く、ネタがこれだけじゃあ、正直言ってかなりの賭けだ。ルーマニア・アカデミー賞6冠という惹句も、一般的な評価基準に値するものなのか、はなはだ疑問。でも、予告動画にはうっすらとのんき色が漂い、ヒッチコックの『ハリーの災難』風コメディに見えなくもない。はてさて何処へたどり着くのやら…この目で確かめようと、封切直後の劇場へ駆け付けた。
すると、冒頭から本当に鶏が登場するではないかー。夕暮れの田舎道を走るトラックの荷台から、一匹だけ振り落とされ、見事に着地し、スタスタ歩いて行く鶏が!これは一体何の隠喩なのだろう…。コメディの幕開け?それとも単なる掴み?背後に不協和音が鳴り響くし、そうそう落ち着いてばかりもいられない。
ところがすぐに鶏のことは忘れた。唐突に場面が変わると、不動産と金の問題で話合う元夫婦の気まずいやり取りが繰り広げられ、妙に引き付けられたからだ。くたびれた中年男女の一向に交わらない会話➡そこに男の兄が立ち合いに入り➡不動産屋も合流するという短いシークエンスは、テーマはおろかドラマの糸口さえみつけられないほど、ダルすぎてヨメない。なのに、観客の先ヨミをあえて萎えさせるようなこの茫漠とした空気の醸成こそが、本作への導入に素晴らしい効果を上げている。
同時に、不動産を売って果樹園を手に入れたいと願う男―イリエのしけたビジュアルが、瘦身の猫背で、時折お爺ちゃんに見える瞬間さえあり、従来の主役とは真逆の意味で奇妙な絵になり、目が離せなくなる。彼の、濃いのか薄いのかハッキリしない存在感が、映画のトーンを決定づけているのだ。日本人役者で例えるなら寺田農といったところか―。
そんな、何かやらかしてくれる気配が漂うイリエは、ルーマニア北部の田舎町モルドヴァに独り駐在する警官だ。ただ、人生を再起させるための果樹園夢物語を語るときはヤケに力が入るものの、職務に関しちゃからっきしヤル気がない様子。村長や神父など、村の顔役たちの子飼いに甘んじながら、余計なことはしない、言わない、そもそも見ない…が常態化している。
雄大な山並みと、豊かな牧草地に恵まれたこの村は、つい最近洪水に襲われて大きな被害を受け、村長の尽力でようよう復旧したばかりらしい。ここでも小さな村の絵葉書みたいなキラキラな横顔と、生々しい災害の傷跡の両面をあえてのぞかせ、揺さぶりをかけてくる。速度はスローだが、周辺情報は執拗に我々の小耳に挟ませるのだ。
そして、この一見〝何も起こらない村〟に、理想に燃えた新人警官ヴァリが赴任した途端、〝犯罪が起こりまくる村〟に豹変する。干しておいたシーツが盗まれたという苦情から始まり、頭を斧でぶち割られた村人の男性死体が唐突に転がって、おっかないやら可笑しいやら…💦一瞬ギャグかと思ったら本当で、検察の捜査やメディア取材が入ったりして、のどかな村がいっぱしの犯罪都市めいてくるではないか。忘れかけていた鶏の姿が再び意味深に捉えられ、映画はギアを一つあげてきた。
さて多くの場合は、ギアをあげてBGMの不協和音も激しさを増せば、事件究明へと舵を切る流れのはずだが、なぜかそうはならない。むしろイリエは、熱心に聞き込みを続けるヴァリを叱りつけ、家へ帰れと命令。じぶんも事件に背を向けるかのように昼寝を決め込む。やる気の問題ではなく、厄介事が消え去る迄、冬眠するのが務めだと心得ているのだ。映画は、闇を匂わせてもおとぼけでかわし、やすやすと加速させないつもりらしい。しかも我々をさらに混乱させる。
なんと犯人が早々に見つかった。神父に付き添われてイリエに会いに来た村長が、あっさり自白するではないか!そのうえ「この件は、キミに任せる。情けをかけてくれ」と。あまりの開き直りに、へっ?人を殺してますよね?と、ツッコミを入れたいところだが、イリエの長い物には巻かれろ的な振る舞いや、信念の欠片もない仕事ぶりを承知済みの我々には、彼が闘う姿を1ミリも想像できない。そう、あの猫背は、権力者にひよって生きてきた証。案の定、村長と神父と3人で、十字を切って秘密厳守を誓い合う。その馬鹿馬鹿しさには苦笑するしかない。なるほど、情けをかけあうことから腐敗が始まるとは、やけにリアルじゃないか。そして手打ちは果樹園の権利書だと!
別れた妻と所有していた不動産は高値で売れない➡でも果樹園は欲しい➡夢はあきらめたくない➡そんな鼻先に権利書がぶら下げられたら、誰だって渡りに船だ。だが、映画は意地悪。イリエが子飼いに徹し、果樹園オーナーになる道が現実化するにつれ、闇へのスピードは加速し、新たな犠牲者が続出する。水面下で捜査を継続していたヴァリが半殺しのめにあい、殺された男の未亡人が脅迫と暴行を受けて村から逃げ出す。もはやこの村は神に見捨てられたのか―。
主人公のはずなのに、オーラがゼロでシンパイするほどだったイリエ。最後の最後、ギリギリのところで、ようようギアをTOPに入れた。”もう、黙っちゃいられねぇ!”とばかりに、まずはロッカーに入れままだった銃を着装し、制帽をかぶり、身だしなみを整え、私腹を肥やし続ける村の顔役たちを征伐しに立ち上がる。その後ろ姿は少しだけ背筋が伸び、まるで独り「ワイルドバンチ」。だが、川べりの密輸現場を奇襲し、悪党どもを現行犯逮捕するはずが、映画史上最も締まらないドンパチへとなだれ込み、戦慄しながらも笑いが止まらずタイヘン💦これほど当たると思って当たらない、当たらないと思って当たるグダグダの銃撃戦がかつてあっただろうか。この場に及んでなおカタルシスに至らせてくれないネゴエスク監督の徹底ぶりに心底惚れた。
独りで悪を一掃し、背中に斧が刺さったまま(!)水たまりに映ったじぶんの顔をしばし眺めるイリエ。「思ったより悪くない」とつぶやき、前のめりにぶっ倒れて幕。最期だけはストレートに、「勝手にしやがれ」ばりのやつしの美学で決めてくれた。あー、たまらなく可笑しい。脅しと忖度が常態化する世の中…今や現実世界に近すぎて笑ってばかりもいられないのだが―。ちなみに不思議なタイトルは、イエスの一番弟子のペテロが保身の為に師を裏切るという新約聖書からの引用。鶏は最後にもう一度クローズUPされる。
余談だが、権力の腐敗に悩み、独りで闘う警官ドラマは数あれど、本作のように目覚めるのにやたら遅くかつ野暮っちい設定は早々お目にかかれない。近しい過去の傑作をあげるなら、トニー・リチャードソン監督作品「ボーダー」(81)、アレックス・コックス監督作品「エル・パトレイト」が思い浮かぶ。これを機に見直したくなってきた。
2022年/106分/ルーマニア・ブルガリア合作
監督/ パウル・ネゴエスク
撮影/ アナ・ドラギチ
脚本/ ラドゥ・ロマニュク オアナ・トゥドル
出演 ユリアン・ポステルニク
アンゲル・ダミアン