▪️『君は行く先を知らない』

予告映像を目にした時から気になってしょうがなかった。絶えずテンションMAXのクレイジーなガキが、スクリーンを占拠していたからだ。そのうえ、荒野を車で移動するロードムービーとくれば、間違いなく退屈はしないはず…。公開早々、急ぎ足で劇場へ直行した。

イランのパナー・パナヒ監督作品『君は行く先を知らない』は、いかにも長編デビュー作にふさわしい疾走感を保ちつつ、その一方で、葛藤という名の回り道も滋味深くつなぎ、なかなか手練れな仕上がり。改めてイラン映画の魅力に開眼した93分だった。

さて、ロードムービーと書いたが、映画はだだっ広い道路の脇に停められた1台の車中から始まる。おやおや、移動の要が動いていない(笑)。しかも、脚のギブスが痛々しい父親が不機嫌顔で後部座席を占拠し、停滞感満載ではないか。そんな父に、ハエのようにまとわりつくのが、予告で目を付けたあのチビガキ!この一家の次男坊とのことだが、予想を遥かに超えた減らず口で、車内の温度を確実に上昇させている。映画とはいえ、真夏日にこのチビと対面するのはちょっとした苦行だ💦

助手席では、やけに美人の母親がヒジャブを付けて静かに目を閉じている。ただし、やんちゃな次男にイエローカードを切るときは、手加減知らずでなかなかの迫力。ユーモアの切れ味も鋭くて、見た目とのギャップが◎ですね。そしてもう1人、どこか思い詰めた面持ちで休憩中のドライバーの姿を車外に発見。メガネの奥に頑なさが漂うこの青年は、どうやら一家の長男らしい。

映画は、エンジンOFFのオープニングから家族4人を短いスケッチで狙い撃ちし、我々の好奇心に火をくべる。そもそも、車をメインに使ったロードムービーとなれば、車中は自動的に乗車メンバーたちの居間と化すので、そこへカメラが中から外へ、外から中へ自在に潜入すれば、一家4人はより立体的に捉えられる。もちろん、観客もあっという間に5番目の同乗者に早変わりだ。

とはいえ、このロードムービーがフツーの家族旅行でないことはすぐに気づく。例えば、次男が携帯電話を隠し持っていてそれがバレたときの騒ぎっぷりや、長男が尾行されてるんじゃないかと疑心暗鬼になる様子とか、この旅がレンタカーを借りてわざわざ計画されたものだとわかったりもして、どうものんきなイベントではなさそうだなあ…、やんごとなき事情があっての移動なんだな…と、推察できるのだ。

おそらく、まだ幼い次男坊だけは何も聞かされていないのだろう。まあ、聞かされたとしても、チビのあの超絶おしゃべりが止まるとは思えないが―(笑)。そのうえでザックリ言うと、一家は父親と長男が陰キャラで、母親と次男が陽キャラに設定されているのね。

カーステレオから流れる懐メロに即座に反応するのは陽キャのふたりだし、何かとリアクションに富み、目にもハートにも小気味イイ。反対に陰キャなふたりは、独りで勝手に世界の不幸を背負い込んでいる気配が濃厚で、口を開ければボヤキ調。本人たちは気づいてないだろうが、典型的な似た者親子。これまた別の意味で見飽きることがない。

わちゃわちゃとむっつりが混在し、行く先も名前も不明の一家4人。あっ、失念。唯一名前を呼ばれるメンバーがいた!最後部席で大人しく横たわる愛犬のジェシーだ。ただし、哀しいことに死期の迫った状態にあり、安楽死させるべきかがみんなの悩みの種だから、これまた車内の空気を複雑なものにしている。

ではこの先、閉じた空間のままで物語をどう展開させるのか…と見ていると、自転車ロードレース中の一団と遭遇するではないか。意表を突かれた。しかも、最後尾で悪戦苦闘していた選手の一人が一家の車に接触して転倒したため、自転車ともども車内に招き入れることに。すると今度は、突然の珍客と、不正が発覚して永久追放されたランス・アームストロング選手ネタで大モメとなり、オヤジもチビガキも口が減らねぇ!

遂には、ピスタチオを拾っている間に競技集団を抜き去り、珍客を遥か先頭で降ろしてやって、まさかのごぼう抜き展開。ケガのシンパイより、あえて不正の片棒を担ぐアナーキーさがこの一家にはある。あー、面白い!行きずりの他者との化学反応にこそ、ロードムービーの醍醐味がある。

やがて一家の旅の目的が輪郭を見せ始める。次男坊には「お兄ちゃんは結婚して家を出る」と言い聞かせていたが、実は長男は単身で国外逃亡する意思を固めているのだ。そんな長男のために、父親は家も車も処分して金の工面をしており、母親のシンパイはもっとストレートに「行かないで」。詳しくは語られないが、合法的に母国を去るのではなく、家族4人が生きて再び会えぬレベルの別離が待ち受けている。

そう、これは最後の家族旅行。そして4人はいよいよ最終コーナーのトルコとの国境近くの村へ、長男を送り届けに到着。目の前には、山間で羊が群れる景色が広がるが、一服の風景画のごときのどかな眺めが徐々に謎めきはじめ、案の定、ここから先は息を凝らして見守る絵の連続となる。

羊飼いが亡命請負業者だったり、霧の中から覆面をした手配人が現れたりと、あれよあれよという間に映画のトーンが変わり果て、風雲急を告げる展開になるではないか。何が何だか分からない。霧の効果もあって、劇中劇に突入したような、ハシゴの外され方だ。しかも、状況が変わるたびに引きの絵が増え、4人の姿が米粒くらいに小さくなり、目で追えない。我々は親しくなった一家と引き離され、もはや山の向こうに響き渡る差し迫った叫び声から成り行きを想像するしか手立てはなく、心細さの極致へ放り出されるのだ。

自国に希望が持てぬ若者が、家族との生き別れを承知の上で亡命を決断するとは…テーマとしては相当深刻で重い。ただ、そんな長男と共に、父性も母性も次男坊の無邪気さも極限まで出し尽くして旅してきたからか、閉幕に向けて奇妙な爽快感が一家に宿り始める。一家4人がそれぞれに、「家族だからこそ」と「家族といえども」の間を行ったり来たりして抱いた様々な感情が、旅の時間の果てに浄化され、輝きに転じたように見えたのだ。

イランの懐メロが流れる中、泣き笑いのエンディングが胸に染みる…。4人+1匹で始まった旅が幕切れに3人にシフトチェンジしても、それでも人生はつづくのだ―。

2021年/93分/イラン

監督・脚本 パナー・パナヒ

撮影/ アミン・ジャファリ

製作/ ジャファル・パナヒ パナー・パナヒ

出演 モハマド・ハッサン・マージュニ、パンテア・パナヒハ、ヤラン・サルラク、アミン・シミアル