🔳『トリとロキタ』

『トリとロキタ』は、まるで犯罪者を取り調べるような緊迫したやりとりから始まる。この娘が一体何をした?

追い詰められ、おびえているのはロキタ。アフリカからベルギーへ流れ着いた未成年の少女だ。海を渡る途中で再会した弟のトリにはビザが下りたが、じぶんは未だ取得できず、早く発行してほしいと訴えている。でも尋問が苦しい。彼女にはメンタル面の持病がある。いや、それ以上に崖っぷちなのは、トリとは血のつながりがなく、密航の途中で偶然出会った偽りの姉弟だからだ。

映画は早々に、ふたりの秘密を我々に打ち明けて進む。観客を共犯者に仕立て、しかと見届けさせようとの狙いだ。ただ、彼らは孤立無援でもない。保護者のいない未成年のふたりには、身を寄せられる施設や人権保護のしくみがあり、支援の手も具体的に差し伸べられている。つまり、それだけ移民問題が日常化して久しい証でもあるのだが―。

実際にトリとロキタがどんな経緯でめぐり会ったかは明かされない。登場人物の過去を割愛し、いまいま、目の前で行われている行為にのみ集中させて語るのが、監督のダルデンヌ兄弟の作法である。見た目からは、小学生の弟と高校生の姉に見えるふたりは、一緒にイタリア料理店に潜り込み、客の前でカラオケを歌ったり、ドラッグの運び屋をして小銭を稼いでいるが、かなり危うい暮らしぶりだ。

映画が、故意に煽ることなくサラサラ綴られて行くので、ツイ見流しそうになるが、このあたりの描き込みはかなり緻密。料理店の裏の稼業の表情や、携帯TELが弱者になるほど命綱化している様子や、運び屋を利用する側のスケッチなど、リアリティの醸成がハンパない。金と薬物が頻繁に出入りするロキタのポシェットを眺めているだけでも、時限爆弾並みの恐怖を感じるし、ふたりの綱渡りの日々が皮膚に直に伝わってくる。

しかも、そんな危険と背中合わせの必死の稼ぎも、ビザのない未成年の不法就労者という弱みに付け込まれ、日常的に搾取される。そのうえロキタは、店のオーナーにはした金で性的サービスまで強要されて…。言葉を失うばかりの現実だ。

搾取はそれだけで終わらない。密航仲介業者に未だに張り付かれ、脅され、たかり続けられている。おそらく移民をカモにして根こそぎ奪い取るしくみも常態化しているのだろう。その一方で、祖国からロキタに金を送れとせっつく母親の圧も強烈なのだ。なのに「親ガチャ」と揶揄するどころか、彼女自身が家族を支える責務を一番自覚して生きているかのようで、何ともやり切れなくなる。一体どうなっているんだ?この世界は―。

そこでトリだ。超しっかり者のトリの存在にどれほど救われることか!びっくりするよ、賢くて。常にロキタに寄り添い、大人たちの言動を冷静に見極め、機転を利かせて偽装姉ちゃんを守り抜く。姉ちゃんの尊厳が傷つけられたときには、誰よりも早く手を差し伸べ、そっと励ましたりして…子どもながらにカンペキな神対応を見せてくれるのだ。

だからロキタの願いは、正規の仕事に就いて家族へ仕送りをし、トリにちゃんとした教育を受けさせ、ふたりでいっしょにアパートを借りて、自立して暮らすこと。そんなささやかな幸せだけを夢みている。ビザさえ取得できて働けるようになれば、ふたりの未来は開けると信じてやまない。ところが練習の甲斐なく、ビザ取得の面接に失敗し、非情にも申請は却下―。

さらなる地獄の釜の蓋が開く。絶望したロキタに闇組織がすかさず接近。偽造ビザが欲しけりゃ金、金がなければ高額報酬の仕事で稼げと追い詰めるのだ。それは、外界と遮断された地下室に独り閉じ込められ、薬物栽培に明け暮れるという過酷かつ危険な仕事。果たして持病がある彼女に、トリと離れてそんな作業ができるのか?…

ここから映画は、サスペンスドラマのフォーマットを巧みに利用し、潜入ルポタッチで観客を巻き込みイッキに攻めてくる。予想だにしない出来事が、次から次へと具体的に綴られ、我々はふたりと共に闇ビジネスの底なしの恐ろしさを目撃する。もはや進むのも止めるのも命に関わる選択となり、劇映画だとわかっていても、とてもじゃないが深々とシートに身を沈めて眺めてなどいられない。

ただ、トリとロキタの、互いをいたわり合いかつ支え合う呼吸が、想像以上にぴたーっとハモるので、逆に複雑な感情を抱いてしまったのは私だけだろうか。ふたりの只ならぬ絆を神々しく思う反面、共依存の脆さが目に付いてしまったのだ。

そもそもまだ幼いふたりは、なぜ困難な状況を誰かに相談しないのだろう。偽装がバレて引き離されるのを危惧してのことか?もはやじぶんたち以外は誰にも心が許せないのか?…わたしの目には、ふたりだけの世界があまりに強固ゆえ、むしろ孤立を深めてしまっているようにも映ったのだ。

そうは言っても、命懸けて国を出た未成年のふたりが、藁をもすがる思いで互いを手繰り寄せ合ったことは、十分に想像できる。過酷な現実社会を前にして、ふたり一緒じゃないと生きて行けないと強く思うのは必然なのかもしれない。何より肉親と離れ離れになってまで新天地を目指したのは、それだけもう待てない、進むしかないと、未来に賭けた証でもある。

だからトリは走る。ふたりの未来のために走る。監禁されていたロキタを助け出し、一緒に逃げる。とにかく逃げる。どちらかが欠けてもダメ。大柄なロキタとちっこくて痩せっぽちのトリが、互いを気遣いながら必死で逃げる後姿を、私は生涯忘れることはないだろう。そしてこの後の結末も―。

ラスト、ロキタの葬儀の席でトリはつぶやく…「ビザが下りたら死なずに済んだ」と。涙も見せず、まっすぐな目をして―。ダルデンヌ作品で、ここまで直接的に社会を非難したセリフが吐かれることは今までなかった。そしてふたりが劇中で何度もいっしょに歌い、歌うことで慰め合ったあの童謡が、幕切れで鎮魂歌としてリフレインされ、閉幕するのだ。

厳しい映画だった。場内が明るくなっても、しばらく現実の時間に戻れなかった。我々は命を懸けてロキタが守り抜いたトリの未来を、この先も想像せねばならない。大手芸能プロダクションの亡き社長を性的搾取で告発した件、国際人権基準を下回る入管法案の通過など、昨今見聞きした衝撃的な問題とも重なるテーマ…けして遠い国の話ではない。

2022年/89分/ベルギー・フランス

監督・脚本 ジャン=ピエール・ダルデンヌ  リュック・ダルデンヌ

撮影/ ブノワ・デルボー

編集/ マリー=エレーヌ・ドゾ

美術/ イゴール・ガブリエル

出演 パブロ・シルズ ジョエリー・ムブンドゥ