■『よあけの焚き火』

今回は、内容もタイトルもほとんど知られていない映画の紹介です。残念ながら観客動員は伸びず、すでに名古屋の公開は終わってしまいました(涙)。プロの役者が使われていないし、宣伝も控えめな小品だから、致し方ないんだけど…もったいない話です。かくいうあたしも、劇場の方に薦められなきゃスルーでした(汗)。映画愛好家たるもの、これじゃあマズいだろうと反省し、ブログにまとめることにしました。映画って、念じているといつか見られることがあったりします(確率高い!)。記憶の片隅にぜひ入れておいてください。

土井康一監督による『よあけの焚き火』(’18)は、72分という短い作品ながら、わたしには“初めて尽くし”な映画で、かなり意表を突かれました。もちろんホメです。ご存知の通り、映画に関しちゃ相当すれっからしになってますから、脇腹をフイに刺される体験=ブラボー!なんです(笑)。

晴れた冬の朝、閑静な住宅街から映画は始まります。帽子にマフラーでしっかり防寒して車に乗り込む親子。サッカーの試合に出る息子の送迎でしょうか?…カジュアルウエアが板についた、今どきのシャレオツなパパと息子の絵ですわ。それにしてもニッポン、変わりましたね~(笑)。50年前の我が親子像とは全くの別物(汗)。しかもどことなくお品も良くて―。

いや、出で立ちは軽快だけど、息子は助手席ではしゃぐ様子もなく、遠い目をして後部座席に口数少なく座っています。凛々しくもあり、心細くも映る複雑な横顔。休日の親子の遠出にしては、場違いな緊張感が…一体なぜ?はい、実はこの親子、650年以上もの伝統がある大藏流狂言方の血筋を受け継ぐふたりで、山奥の稽古場へ向かうところなのです。

映画初主演かつ、じぶん役に挑むことになった親子―父は大藏基誠(おおくらもとなり)、10歳の息子は康誠(やすなり)と言います。車窓からの眺めは、雪の残る大自然へと見る見るうちに様変わりし、ふたりがたどり着いた先は、ひっそり佇む一軒の古民家です。

到着早々、親子は手分けをし、キビキビとおウチ作業を始めます。雨戸を開け放ち、隅々まで掃除をし、台所周りを整えて柱時計のねじを巻き、手作りのカレンダーまで貼り出します。どうやらしばらく滞在する模様。「おいおい、『男の隠家』by三栄書房っスか」とツッコミを入れてみましたが(笑)、昭和初期の匂いがする小ざっぱりと美しい空間の磁力にはあらがえません。なんと照明以外、家電製品が見当たらないのよ~、清々しいはずです。

そして驚くべきことに、一連の作業の間、父から教育的指導が入っても、息子はことごとく「はい」としか返さない…。ちょっと信じられないほど素直に振る舞い、聞き入れます(汗)。かといって、特殊な家業の躾に閉じるスケッチでもなく、家の中の「はい」の連発が、家の外の雄大な蓼科の山並みに抱かれるように描かれ、とても寓話的。一目で「これはノレそう!」と直感が働きました。

男2人の合宿生活には、小さな彩りも添えられます。自宅から持ち込まれたのは、人形の姿をした陶製のベルと一匹の金魚。ゲームとアニメではなく(汗)、留守番の母をイメージさせる小道具を登場させるとは…付け入るスキがございません。ここまで俗臭ゼロだと、これはこれで、変わりもの見たさ欲が募り、かえって新鮮。何せ稽古が始まれば、初めて尽くしにさらに血が騒ぎ、身体が勝手にヒートUPするのですから。

実際は、父から息子へ伝統の技が伝授されるシーンに奇をてらうような手触りはなく、カメラは絶えずクールダウンしていて、記録の構え。だからなのか、口伝え&身体伝えの繰り返しに、素描集を眺めるようなそぎ落とした美しさが立ち上がり、強い輝きを感じます。

稽古場のしつらえがこれまた素晴らしい。コーナー2面が共にガラス窓になっている畳敷きの和室は、ちょっと手狭にも感じる暮らしと地続きの一室ですが、黙々と稽古を続けるうちに、普段使いの空間の“気”が、徐々に上昇してくるから目が離せません。日常と非日常な営みが溶け合い、なんともイイ塩梅に…。そしてここでも、屋外の凍てつく空気が親子稽古の書割りとなって、静謐な情景を生み出していました。

とはいえ、親子であり子弟である関係は、向き合いすぎて煮詰まることも。寝食を共にし、逃げ場のない閉ざされた場所でのトライだからなおさらです。映画はそこに風穴を開けるように、親子じゃれ合い狂言合戦を差し挟み、なんとアクション映画にも仕立ててくれちゃうんです。

父が作った具だくさんのお味噌汁を食べながら、はたまた人っ子一人いない広大な草原ではしゃぎながら、興にまかせて狂言のフレーズを繰り出し、親子で丁々発止する様子が楽しいったらない!そう、ラップの掛け合いノリなんですよ。狂言のことなどまるっきし知らないあたしも思わずつられてしまいました。相棒がいるっていいなあ…。大自然を舞台にいっしょのアクションで共振しあうのって愉快だなあ…と。

そんな親子に映画は、近所に住む宮下老人の孫の咲子を巡り合わせます。両親を震災で亡くし、この地へ移り住むようになった物静かな少女と、伝統という名のレールが敷かれた運命を生きる康誠。いわば対照的な境遇の2人が出会い、ほんの一欠けらの未来の兆しを、共に探り当てるまでが描かれて行きます。詳しくは書きませんが、少女を絡ませることで、映画が世界へ向けるまなざしはさらに遠くまで伸び、かつ、言葉に置き換えられないたおやかな仕上がりになりました。

土井監督は、人間国宝シリーズなどのドキュメンタリーで実績のある人らしいです。なるほど!被写体との距離が絶えず一定で、余計なものを足したり引いたりせず、落ち着いています。なので当然のように、大藏基誠・康誠親子ありきで始まった長編初監督作品なのかな…と思っていたら…これがまったく違ったの!

鑑賞後、監督の舞台挨拶を聞きました。するってーと、なんと原案はポーランドの絵本にあると言うじゃありませんか。『よあけ』という絵本の世界観にインスパイヤーされ➡家族をテーマにした映画にできないか➡家族の日常は「伝える・伝わる」の連続だ。でも「伝える・伝わる」とは一体何なのか?➡伝統芸能の家系に生まれた親子はまさに「伝える・伝わる」の体現者だから…とまあ、想像とは正反対のルートで狂言方親子を主人公にしたことが判明してビックリ!

そして原案となった絵本の世界観も監督仕立てで見事に開花させます。自然という名のカンバスに頼った絵的なイメージの捻出だけではなく、大藏親子と咲子を通じて、スクリーンの前の我々自身の内なる “よあけ”を想起させるよう設計してるんです。控えめに見えて、この監督の巻き込み胆力はなかなかのものです(笑)。

ついでに、ご本人にあの魅力的な稽古場のことを尋ねたら…稽古場は大藏家のものではなく、監督の師・本橋成一氏と縁のある建物を借りてのセット撮影だって!確かに出来過ぎだろうと思う節はあったものの、思わずめまいが…。もしかしたら大藏親子も役者?(爆)いやー、なんて素敵なウソつきさんなの~!マンマと乗せられましたあ~。もちろん最上級のホメです。

すでに映画監督としての資質をじゅうぶん備えておいでの土井康一氏、次作も素敵なウソつきでよろしくです(ぺこり)。

『よあけの焚き火』
2018年/72分/日本
監督/脚本/編集  土井康一
撮影      丸池 納
音楽       坂田 学
照明      三重野聖一郎
キャスト    大藏基誠 大藏康誠 鎌田らい樹