去年の10月に写真集『ギプス』を出版した。
作品じたいは四半世紀以上もまえのものである。それらの写真が撮影された1991年頃の、それこそ写真家駆け出しの頃のことは長めの「あとがき」に書いたので、ここではなぜいまの出版なのかなどについて触れておこうと思う。
撮影―現像、プリント―展示というサイクルをひたすら繰り返していた。振り返る余裕はなく見返したりはしないし、展示したプリントさえ忘れ去っていることも多々あった。寄る年波もあり、そろそろモノクロ印画紙の先行きも不安だし(いまでさえ高騰しているし)展示プリントの整理などを身体が動くうちにやっておかなければとは常に考えてはいたのだけど、なかなか時間が思うように取れずにいた。カラー自動現像機の不調を機にしばらくモノクロを焼いてみようと思い立ったのが2年前、バイテンの粗焼きを作っていなかった時代のものを見直したさい、記憶の中からも埋もれていたこのシリーズを発掘したのだった。
モノクロの現像はいまもまだ継続しているのだが、1000枚ほど焼いて見直してみると、年代も傾向もバラバラで、いくつか分冊した方がいいように思った。
このシリーズは特に他のプリントと混ぜるよりも単独でまとめた方がいい気がした。出版社の人に見てもらったりしながら、写真集にする話がまとまったのが約1年前のことだった。
もちろんモノクロの暗室だけに集中していたわけではなく、数年前から通っている琵琶湖だとか、そのほかの撮影も合間合間にやっていて、どちらもやっていかないと日々のバランスがとれない。もっと集中すべきなのかもしれないが、頭でこうした方がいいかもしれないと思うことは、たいてい外れるので従わないことにした。
もっと早くに作れればよかったのかもと思わないでもない。古い写真の出しどきを考えていたわけでもない。そういう出版がいっぱいあるのは横目で見てはいる。たいていは年齢的に体力の衰えを感じた世代が、不用なネガなどの見極めもかねて、はっきりしているうちに見直そう(誰もやってくれないし頼めないし)という私と同じような動機かと推察する。今さら詮無いことではあるが、生前にきちんと見てもらいたかった方も何人かいた。
今しかないというわけではないだろう。けれどタイミングとしか言いようのない流れだった。これを逃すと果たしてどうなったかと思うと、作り手としては作れるときに自然と――もちろん多くの人の協力と作為があるのだけど―−あたかも自然と実ったかのようにできるのがうれしく、また作品にとってもいいような気がする。