およそ20年振りの再見、そして制作されて30年あまり経たエドワード・ヤン監督作品『恐怖分子』((86)の登場だ。
かつての私の備忘録にはこんなことが書かれている―感情のブレがこれ程ない作家も珍しい。自分のルーツにこだわり続けるホウ・シャオシェンと異なり、何度見直しても色褪せしない視座で世界を捉えている―と。ベタ褒め。でも正直に告白すれば、今回、予告篇をウットリ見惚れながらもストーリーの記憶がほとんどなく、若干焦った。恥ずかしながら幾つかのシーンを断片的に思い出すだけだった(汗)。そんなわけで、初めて挑むつもりで飛びついたら…予想以上に強い映画で驚愕!もしかしたら30年寝かせて正解だったかも。やっとこの映画とまともに対峙できるようになったようだ。そのくらいヤンが捉えていた現代性は、時代の一側面をなぞっただけの代物ではなかった。作品そのものが有機的で、今も息をし続けているように映ったのだ。
なんだろう、この生々しい感触は―。
ドラマには3つのグループが登場する。カメラ小僧と読書好き女子の同棲中カップル。ヤバイことに首を突っ込みまくる不良少女とその仲間たち。出世に貪欲な病院勤務の男とスランプ女流作家の倦怠期夫婦。ここに夫の友人の刑事や妻の元カレも絡みあい、台北を舞台にけしてほどけることがない悪夢が描かれる。内輪揉めなのか、犯罪絵巻なのか、それとも誰かの頭の中の妄想か…。早朝の都会で起きたドンパチを合図に、それまで接点のまるでなかった人々の動線がイッキに表出し、もつれだすのである。複数の登場人物を個々の関係性を浮かびあがらせながら進行させ、やがて大きな世界観が立ち上るように練られた構成は、確かに色褪せしにくいものではあるが、うーん、それほど通りのいい類型でもなかった。監督は、超・俯瞰で映画を緻密に設計しながらも、手中から零れ落ちるものはわざとそのまま放り出し、知らんぷり。微妙に余白を残しているのだ。そこに、登場人物たちの肉体があてどなく漂い、余白を埋めているように見えた。映画の中心に座するような役柄も演技も見当たらないのだが、どいつもこいつも自分のことしか考えていない物体として漂い、その負のエネルギーの総量がやけに生々しい。しかもまさに現代(いま)だ!
特にドキッとしたシーンが3つある。1つは、小説家の妻が、テーブルを挟んだ向かい側にいる夫に三下り半を突き付けるくだり。この映画で一番長いセリフが用意され、切々と内面を吐露する唯一のシーンでもある。カメラは含みを一切排除し、ひたすら真正面から妻の顔を捉え続け、スクリーンはしだいに熱を帯びてくるのだが、一方でこの必死の訴えは対面する夫へ向けられてはおらず、過去の自分と決別するための体内会話に映る。他者不在の熱演。我々はいたたまれなくなる。ただし均衡は保たれる…夫は自動的に耳を塞ぎ、何も聞いていないのだから―。2つめは、兵役前の重圧から逃避中のカメラ小僧が、恋愛を出汁(だし)に生の意味を探しあぐねながら、ついにやることがなくなって実家へ戻るシーンだ。プール付きの豪邸で優雅にひと泳ぎして、だだっ広いダイニングテーブルで独り麺を啜るお坊ちゃまくん。話し相手は使用人だけ。驚いたことにその空虚な背中からは、独居老人の昼下がりのけだるさが漂うではないか。お坊ちゃまくんは入隊前からすでに老人と化している。そして3つめ。とどめを刺すのは、妻に逃げられ、出世の夢も断たれた八方塞がりの男と、友人の刑事が酒を酌み交わすやりとり。なんと監督は「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」の絵を借りて、恐怖のボルテージを最高値に上げてみせた。夢遊病者のような佇まいで現れ、嬉しそうに嘘を並べ立てる男と、なにも疑わず快く祝杯をあげる刑事の寛いだひとときに、戦慄を覚えずにはいられない。誰に向けられた笑顔なのか、何を見据えた嘘なのか不透明なまま、旧友を観客に見立てて繰り広げる虚ろな独り芝居の感染力は、演出の範疇を超え、やがてスクリーンの外にいる我々の足元へ忍び込むのだ。そして最後にたどり着くのが、コントロール不能となった男が静かにおっぱじめる “死の舞踏 ”。崩壊寸前の男の見る悪夢が、もはや誰の悪夢か特定できぬ輪郭線のない地獄絵になり、登場人物全員の脳内へ感染して行くではないか―。ここに至り、『恐怖分子』という奇妙なタイトルの全貌が解き明かされるのである。
不意打ちのアクションを流麗に繋ぎ、予測不可能な日常を現実以上の弾力を湛えて描いたエドワード・ヤン。いや、彼の作品は、現実の日常以上に我々の生に痕跡を残すと断言しても過言ではない。絶えず人物と等価にモノ・音・空間が放つ情報を拾い上げ、それを映像に編み入れて進行させるため、ヤンの映画内時間の根は深く、強い。未来まで軽々と射程圏内に置ける表現になっているのはそれ故だ。しかも知性は上手に刈り込まれ、我々を置いてきぼりにすることなく、時折り笑いすらも送り届けてくれる…。そう、抜け殻になった大勢の人々をスクリーンで目撃しながら尚、我々は娯楽映画の高揚感に包まれ、エンドロールを眺めることになるのだ。
『恐怖分子』はこの先も呼吸し続ける。我々より長く生き延びる有機体映画である。
恐怖分子
1986年/台湾/カラー/109分
監督 エドワード・ヤン
脚本 エドワード・ヤン シャオ・イエ
撮影 チャン・ツアン
製作 リン・ドンフェイ
キャスト リー・リーチュン
コラ・ミャオ
チン・シーチエ